かぐや姫、その真の姿を
『かぐや姫LIVE』で確信
それまでのイメージを覆された歌詞
チューニング音とMC(このMCはこうせつ氏?)、そしてMCの中で「海」なるナンバーが披露されたあと(この「海」は収録曲としてカウントされていないようだ)、M9「星降る夜」、M10「置手紙」、M11「眼をとじて」、M12「あの人の手紙」と続く。この流れからも、ほぼ3人だけのアンサンブルといっても、単調にはならないことがよく分かる。ザっといくと、M9はカントリーブルース寄り、M10「置手紙」はマイナー調、M11「眼をとじて」はポップなアメリカフォーク、M12はウエスタン(スパニッシュと言ってもいいかも)と、全体的には米国音楽からの影響が色濃いものの、曲毎にしっかりと個性があって、アルバムに収めた際も起伏が生まれている。グループの特徴が分かるとともに、ここでもまたその懐の深さ、ポテンシャルの確かさがうかがえるところだ。ラストはM13「神田川」。アンコールを求める拍手からMCを挟んで披露される。か細いギターの音が重なり合うアンサンブルが歌詞の世界観にジャストフィットしていることを感じて、日本のフォークソングや昭和という時代を象徴するナンバーであることを改めて強く思う。邦楽シーンの名曲であることは疑うまでもない。
…と、ザっと解説してみても、それまでぼんやりと思っていた、かぐや姫のイメージが、いい意味で覆されたのだが、最も衝撃的だったのは以下の歌詞だ。それまで抱いてきた、かぐや姫の印象は、これで完全に変わった。
《その男は恋人と別れた/さよならの口づけをして/髪の毛をやさしくなぜていた》《その時男は心のどこかで/赤い舌を出して笑った》《そうさ男は自由を とりもどしたのさ/そうさ男は人生の ペテン師だから/このいつわりも いつの日にか/ありふれた想い出に すりかえるのさ》(M3「ペテン師」)。
《ぼくのほんのひとことが まだ二十前の君を/こんなに苦しめるなんて/だから行く先は ぼくの友達に聞いてくれ/君に会わないで行くから/今頃は ぼくも また昔のように/どこかの町のカフェテラスで/ビールでも飲んでいるだろう/君が帰る頃は 夕暮れ時/部屋の明かりは つけたままで》(M10「置手紙」)。
《あなたのやさしいこの手は/とてもつめたく感じたけど/あなたは無理してほほえんで 私を抱いてくれた/でもすぐに時は流れて あの人は別れを告げる/いいのよ やさしいあなた 私にはもうわかっているの/ありがとう私のあの人/本当はもう死んでいるのでしょう/昨日 手紙がついたのあなたの 死を告げた手紙が》(M12「あの人の手紙」)。
M7「22才の別れ」でもその雰囲気が感じられ、深読みすればM13「神田川」もそこにカテゴライズされるかもしれないが、いくつかの歌詞で見られるのは理不尽にも思える別れだ。いや、“理不尽にも思える”ではなく、ある方向からは完全に理不尽としか思えない別れが描かれている。この辺は、フレンドリーでもないし、まったく柔和な感じはない。特にM3、M10は今となってはコンプライアンス的に“?”な感じがしなくもないし、見方によっては空恐ろしくもある。これらがどういう背景から導き出されたのか。今回、『かぐや姫LIVE』でほとんど初めてかぐや姫を聴いた者には、それを推測することすらできないけれど、冒頭で“かぐや姫が硬派なグループであることを知った”と言ったが、かぐや姫は硬派ところではない。無頼派と言ってもいいアーティストだったのではないかと想像した。いつか、メンバー3人のソロワークも取り上げてみたい。考察はまだまだ続く。
TEXT:帆苅智之