シライシ紗トリ

シライシ紗トリ

面白いものを作っている時は
あまり仕事っぽくてはいけない

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』の第18回目は、ORANGE RANGE、岡崎体育、乃木坂46など、数多くのアーティストの作詞、作曲、編曲、プロデュースを手がけるシライシ紗トリ。1995年から作家としてのキャリアが始まり、ソロアーティストとしての活動も続けながら“面白いものを作る”ことを貫くその姿勢は、どんな道のりによって形成されていったのだろうか?
シライシ紗トリ プロフィール

シライシサトリ:数多くのアーティストの作詞、作曲、編曲、プロデュースを手がけるトップクリエイター。ORANGE RANGE、SCANDAL、岡崎体育、藤木直人、乃木坂46、Disney作品、U-NEXTサウンドロゴ、ウルトラマンオーブなど幅広い音楽制作をしている。近年、自身がプロデュースをするアーティストのMVの監督を務めるなど映像作品にも力を注ぐ。2005年に発表した1stアルバム『Happydom』はニューヨークのアバタースタジオなどでレコーディング。レイ・パーカー・ジュニア、ウィル・リー、オマーハキムなど海外のミュージシャンが多数参加している。シライシ紗トリ オフィシャルHP

上京したての頃は
やるしかないと必死だった

シライシさんは小学6年生の時にお姉さんがやっていたバンドのベースに誘われたそうですね。その頃にはもう音楽にどっぷりハマっていたのでしょうか?

いや、その時はまだ全然でしたね。姉が受験勉強をしたいからって代わりに入ったんですけど…姉はベースではなかったはずなんですよ。でも、なぜかベースで入ることになり、新聞配達をしてYAMAHAのJB600Rを買いました。

もともとバンドをやりたい気持ちはあったんですか?

それさえもなく、怖い姉だったので逆らえなかっただけで(笑)。

そうでしたか(笑)。でも、そこから音楽に興味を持つようになっていったんですね。

そうですね。Sex PistolsとThe Policeが大好きで、姉の影響でビリー・ジョエルとオフコースも聴くようになって音楽に目覚めました。初めて買ったレコードはオフコースの「さよなら」で、初めてライヴで演奏したのもピアノの弾き語りで「さよなら」です。田舎なので周りもとにかくマニアックな人たちが多くて、P-MODELのカバーをやっていたり、メタルも多かったし、うちのバンドはSex Pistolsとオフコース。好きな曲を自由にやるバンドでしたね。

中学卒業後に上京し、ジャズピアニストの橋本一子さんを師事していたそうですね。

音楽学校のメーザー・ハウスに通いながら、江古田のBUDDYってライヴハウスでバイトを始めて。一子さんは講師もやっていたし、BUDDYにも出ていたのでそこから広げようと思ったんですけど、一子さんに“あんた、ジャズやりたくないんじゃん!”と言われて(笑)。しばらく経ってから“俺が入った世界はニューウェイブだったんだ!?”と気がつきました。でも、一子さんにはいろんな仕事を紹介してもらって、ずいぶんお世話になりましたね。

すごく必死な学生時代だったと。今はご自身の楽曲リリースもしながらクリエイターとしても音楽活動をされているわけですが、以前からそんな想像はありましたか?

まったくなかったです。

そんな中、西城秀樹さん、ダイアモンド☆ユカイさんらが出演するアミューズ主催のロックミュージカル『D-LIVE-Rock to the future』(1996年7月3日から7月14日に赤坂BLITZにて上演)での楽曲制作が、突如シライシさんのキャリアのスタートとなったと。

そうです。懐かしいな(笑)。オーディションで知り合った方から、初めてサウンドプロデューサーという仕事をいただきました。

さらに、1995年に久宝留理子さんの「コンクリートジャングル」で作家デビューし、1996年には金子美香さんとのユニット・PARADISE LOSTでデビューと、アーティストとクリエイターとして一気に道が切り開けていきますが、その当時はどんなお気持ちでしたか?

もうやるしかないと思ってやっていました。でも、やっと音楽業界にかかわれたという気持ちもあったと思います。初めての印税もその時で、銀行口座の通帳を思わず二度見したり(笑)。すごく変化のあった時期でしたね。

OKMusic編集部

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