ミュージカル『オリバー!』に魅せら
れて~観た・気付いた・愛した

ミュージカル『オリバー!』新演出版が東京で上演中である(東急シアターオーブ/プレビュー公演:2021年9月30日~10月6日、本公演:10月7日~11月7日。その後、12月4日~12月14日に大阪・梅田芸術劇場メインホールで上演)。筆者はこの作品に魅せられ、既に複数回、観劇した。当然ながら観れば観るほど気付くことは多い。そして色んなことに気付けば気付くほど、もっと作品が好きになっていく。そんな心の内のあれこれを、ここに書き連ねてみた。ただし、筆者の誤読や偏見が含まれているかもしれない。お子様には少々難しい内容なので、あまりお勧めできない。また、これから舞台を観るうえで、予習には大いに役立つだろうと自負する一方で、ネタバレを嫌うむきには今すぐにでもページを閉じていただきたいと思う……とまあ、そんな文章である。

■ 四つの理由 Four Reasons
もとより筆者は今回の『オリバー!』上演が発表されて以来、「必ず観よう」と心に決めていた。その理由は四つあった。
まず第一の理由は、直截的ながら、“ミュージカル作品”としての出来が非常に優れていることだ。名匠キャロル・リード監督によって1968年に映画化された『オリバー!』を以前観て、そう思った。19世紀英国の文豪、チャールズ・ディケンズの傑作小説「オリバー・ツイスト」を、脚本・作詞・作曲のライオネル・バートが、絶妙なセンスによって、取っ付きやすい劇世界へと再構築した。何よりも、ミュージカル・ナンバーが名曲揃いときている(1963年には、トニー賞最優秀楽曲賞を受賞している)。それらは筆者自身も折に触れ無意識で口ずさんでしまう。また、オリバー役:マーク・レスター、ドジャー役:ジャック・ワイルド、フェイギン役:ロン・ムーディーら、キャストたちもみな、好印象だった。
かくして映画版は、アカデミー賞の作品賞や監督賞など6部門を受賞してしまうほどに、とても出来が良かったわけであるが、ならば『オリバー!』は映画で楽しめばそれで充分なのであろうか。否、映画版が魅力的であればあるほど、舞台版のほうも観てみたくなるのがシアター・ゴーアーの性(さが)というものだ。映像とは別次元の、「ナマモノ」ならではの豊かな魅力が迫ってくるだろうことは想像に難くなかった。
続いて第二の理由。それは本作が大勢の子どもたちの活躍するミュージカルであることだ。彼ら・彼女らが演技に励む姿を目の当たりにするだけで何故かウルッと来てしまうし、ピュアな歌声を聴くのもたいへん耳心地が良い。ただし、その煌めく魅力に触れられる期間はごく限定的である。というのも、子どもという生き物はすぐに成長してしまうからだ。先ほど、演劇を「ナマモノ」と述べたが、子役の儚さこそはその究極的形態であり、まさに「いま」しか味わえない「瞬間の美」といえるだろう。もちろん、その一方で観客にとっては、子役が成長し、立派に変貌・進化を遂げていく過程を追っていく楽しみもあるのだが。
そのように『オリバー!』は、子どもの存在感をメイン・ディッシュとして楽しめるミュージカルの代表格である。同系列のミュージカルは、『アニー』『ビリー・エリオット』『マチルダ』など、他にも幾つかあるが、何と言っても1960年初演の『オリバー!』こそはその草分け的な作品だ。子役の出演する人数も一番多い。しかるにそれは、大人だけが出演する一般的なミュージカルと較べて、遥かに製作的配慮が要されるものであり、上演プロダクションにはしかるべき体制が整備されていなければならない。
その製作に大いに関係するのが、第三の理由だ。すなわち、今回の『オリバー!』が、あのキャメロン・マッキントッシュによってプロデュースされている、ということである。英国ロンドンはウエストエンドから『キャッツ』『レ・ミゼラブル』『オペラ座の怪人』『ミス・サイゴン』をはじめとする数々の画期的なミュージカルを世界に送り出してきた稀代のプロデューサー。いまや「マッキントッシュ製作」といえば、大胆にして、クォリティ管理の細かく行き届いた、演劇界最高の信頼のブランドである。ミュージカル愛好者ならば、彼の製作舞台を見逃すわけにはいかない。……が、こと『オリバー!』に関しては、さらなる特別な事情が添えられる。
もともと『オリバー!』初演(1960年)は、ドナルド・アルベリーという英国の大興行師によって手掛けられた。その舞台を初日から数週間経ってロンドンのニュー・シアターで観たのが少年キャメロン・マッキントッシュ(当時13歳)だった。そのわずか5年後(1965年)には、彼はもう『オリバー!』英国内ツアーの舞台監督補として、ニュー・シアター(後に彼が所有する、現・ノエル・カワード劇場)でのリハーサル現場に立っていた。丁度同じ頃、日本では東宝の菊田一夫による『オリバー!』招聘計画が立ち上がり、3年後の1968年には帝国劇場で3カ月にも及ぶ公演(英語上演)が実現する(※1)。マッキントッシュ曰く、その東京公演に持ちこまれた実際のセット一式こそ「私が参加したプロダクションのものであり、それはのちに英国に戻され、1977年に私が手がけたリバイバル公演で使用されることになりました。そのプロダクションのセットの梱包を解くと、まだ日本の新聞にくるまれたままの状態で、それを当時見習いデザイナーだったボブ・クロウリーが丁寧に組み上げていきました」(※2)。なんと、ここであの天才ボブ・クロウリーの名が出てこようとは!
ところが、まだ続きがある。その、マッキントッシュによる最初のリヴァイヴァル公演を「アラン・ブーブリルとクロード=ミッシェル・シェーンベルクが(中略)1978年1月にロンドンで観劇し、そこから発想を得て『レ・ミゼラブル』を書き上げました」(※3)というのだ。念のためブーブリル&シェーンベルクの伝記(※4)をあたると、そのとき観劇したのはブーブリルだけだったようだが、ドジャーが「Consider Yourself/信じてみなよ」を歌いながら舞台に登場した瞬間に「ガブローシュのイメージが浮かんだのです」と、ブーブリルは告白している。『オリバー!』なくして、マッキントッシュのドル箱演目『レ・ミゼラブル』は生まれてこなかった、というわけだ。
このように『オリバー!』は、マッキントッシュとは特別な縁で結ばれてきた作品なのである。そして、それが日本上演されることを、マッキントッシュ当人が強く望んだ(※5)というのに、私たちはどうしてその本番を見過ごすことなどできるだろうか。
ただ、それほどの作品であるにも係わらず、これまで日本での上演機会はあまりに少なかった。そう考えると、今回の公演は貴重きわまりない。それが、筆者の観劇を決心させた第四の理由だった。
『オリバー!』世界初演以来、過去60年間の歴史の中で、日本での公演は(今回を含めて)たった4回しか行われていない。本邦初演は1968年、前述の帝国劇場における招聘公演(英語上演)だった。そこからの1980年に、劇団四季が日生劇場で初の日本語上演をおこなった(演出:浅利慶太。オリバー役:広瀬正勝、フェイギン役:松宮五郎、ドジャー役:飯野おさみ)。そのの1990年、今度は東宝による日本語上演が帝国劇場でおこなわれた(オリバー:黒田勇樹、フェイギン:津嘉山正種、ドジャー:土部歩、ナンシー:前田美波里)。そしてその次が、前回からなんとの2021年、今回のシアターオーブと梅田芸術劇場メインホールなのである。
こうして見ると、やはり子役を大勢出演させるミュージカルは製作上のハードルが高いのだろうか、と思う。しかも2021年はコロナ禍にも見舞われて……。となると、もし今回を見逃したら、次はいつ生で観ることができるのだろうか。もはや自分が生きているうちに観られないかもしれない? とさえ心配してしまう。もちろん、それが杞憂であることを願うばかりだが、過去の上演間隔を振り返れば、必ずしも油断のできないことも確かだ。その意味で、今回の公演では複数回を観劇し、できるだけ細部に至るまでしっかりと記憶に焼き付けておきたいと思った次第である。ふつう、観劇の理由など一つもあれば充分なのだが、今作には以上のような四つの理由が束になって筆者の背中を激しく突いたのだ。もし、四つのうちのどれか一つにでも興味を持たれた方には『オリバー!』の舞台を実際にご覧いただければと願う。「いや、理由云々より、実際の舞台はどうだったのか」という突っ込みの声が聴こえてきそうだ。それについては、これから述べよう。
【動画】ミュージカル『オリバー』2021 60秒スポット
■ 愛はあるんか
ミュージカル『オリバー!』は19世紀英国の、どこかの街の「救貧院」のシーンから始まる。壁面には「GOD IS LOVE」「GOD IS GOOD」「GOD IS JUST」と記されている。おどろおどろしい音楽の流れる中、厳めしい表情の三人の女性職員が登場、それに続き、食器を手にした生気のない子どもたちが列をなして左右上下の階段から次々に登場してくる。どことなくエッシャーの「相対性」という騙し絵を彷彿とさせる構図だ。子どもたちの数を数えると二十数人。公表されている1ステージあたりの救貧院キッズは13人だから、その倍の人数がここに存在していることになる。双眼鏡で確認してみると、他役の子役俳優も混じっていることがわかる。
それにしても、なんて怖ろしくダークな幕開けだ。しかしミュージカル・ファンならば、19世紀英国の暗さについて、他の作品でも経験済のはず。『スウィニー・トッド』『ジャック・ザ・リッパー』『ジキルとハイド』『フランケンシュタイン』……。でも『オリバー!』って、そんな怪奇趣味の話だったっけ?と訝しがる人もいるだろう。しかし近代の歪みが生み出した大英帝国の闇は、様々な演目に跨って根源が通底しているものなのだ。
さらに19世紀英国に限定しなければ、例えばピンク・フロイド1979年のアルバム「The Wall」(後に映画化もされた)の中の「Another Brick In The Wall」を思い出す人もいよう。あるいは1984年にAppleコンピューターが発表した、初代マッキントッシュのCM(オーウェルの「1984」を念頭にリドリー・スコット監督が撮った作品)を思い浮かべるかもしれない。いや、それこそ、ミュージカル『レ・ミゼラブル』冒頭の「囚人の歌」の雰囲気に似ている、と言う人だっている。これら、いずれも人間疎外を描いた情景である。だが言うまでもなく、それらに先行して最も早い時期に創られたのは、1960年初演の『オリバー!』であり、ミュージカルの『レ・ミゼラブル』が『オリバー!』からインスパイアされて創作されたことも前述の通りである。
はじまりこそ救貧院キッズらによって辛苦の生活環境がダークに歌われる「Food Glorious Food/素晴らしいご馳走」は、しかし途中から“ご馳走”という名の夢に飛び込むなり、一気に明るい曲調へと転じ、子どもたちの動きも活気を帯び始める(もし映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だったら、モノクロ画面からカラー画面に切り換わるだろう)。その後、救貧院の役員たちのために用意された豪華な料理やプルプルの巨大プリンなどが運ばれるに至り、子どもたちの興奮はいよいよ高まり、チキンの丸焼きに擬態する子まで現れる。少年オリバー・ツイスト(エバンズ隼仁/越永健太郎/小林佑玖/高畑遼大のクワトロキャスト)も高く澄んだ声で「素晴らしい」と高らかに歌い、その存在を客席に知らしめるのだった。しかし、実際に子どもたちに配膳される食べ物は、やはりいつも通りの、ごく少量の、ものすごく不味いお粥だ。忽ち現実に引き戻された子どもたちは、その臭いに吐き気すら催すほどである。
そんな中、くじ引きで負けたオリバーが、教区吏のバンブルの前に進み出させられ、「お願いです。もっとください(Please Sir, I want some more)」という、あまりに有名なセリフを発するのである。バンブルが「何?」と聞き返すと、周囲に強く促されたオリバーは再び「お願いです。もっとください」……ここで筆者は思わず「待ってました!」とばかりに拍手をしそうになった。が、シアターオーブの観客の反応は大衆演劇のノリとは掛け離れていた。よって筆者は両手を慌てて引っ込める。
ちなみに、今回の日本公演の主催者がキャメロン・マッキントッシュに公演をオファーした際、「Please Sir,I want some more(もう一本、上演させてください)」と、気の利いた言葉を投げかけたところ、大プロデューサーは大いに感激し、それによってホリプロや東宝は首尾よく日本上演の機会を得ることができたという。しかし同じ言葉を救貧院で発すれば、全く逆の対応が返ってくるしかなかった。オリバーは、おかわりをねだった罪により、救貧院を追い出されることとなる。
救貧院の現場を取り仕切っているのは、教区吏のミスター・バンブル(コング桑田/小浦一優=芋洗坂係長のWキャスト)と、婦長で未亡人のミセス・コーニー(浦嶋りんこ/鈴木ほのかのWキャスト)である。将来夫婦となるこの二人は意地悪で品性下劣だ。檻に閉じ込めたオリバーのすぐ脇で、いかがわしい痴戯を繰り広げる。きっとミュージカル『レ・ミゼラブル』のテナルディエ夫妻は、バンブル&コーニーからインスパイアされてキャラクター造形がなされたのではないか、と思える。なお、バンブル&コーニーを演じる俳優は、他の色々な場面に全く別の顔で頻繁に現れるので、都度都度それを確かめてみるのも秘かな愉しみとなるだろう。
問題を起こしたオリバーはといえば、非道にも売りに出されてしまう。バンブルがオリバーを連れて「この子、売ります」と街を歌い歩く(「Boy For Sale/この子売ります」)のだが、このとき、小浦の演じるバンブルはオーソドクスな歌唱法で声をまっすぐに響かせるのに対して、コングのバンブルのほうはビブラートを効かせて、やけに情感たっぷりに歌い上げる。滑稽な印象の小浦に対して、やや強面な印象のコングなのに、その強面のほうが何故か哀愁を醸すというギャップに奇妙な興趣が感じられた。
結局オリバーは、葬儀屋(Sowerberry's Funeral Parlor)を営むミスター・サワベリー(鈴木壮麻/KENTAROのWキャスト)に買われる。オリバーの悲しげな顔は、子どもの葬儀で棺の後ろを歩かせたら雰囲気がとても合う、というのである。ここで歌われるのが「That's Your Funeral/あなたの葬儀」なのだが、この時、店の外を幻影の葬列が通過する。この舞台にはマシュー・ボーンが共同演出・振付、そしてジェフリー・ガラットが追加振付・再ステージングとして係わっているが、幻影の葬列の動きにもキラリと光る振付センスが鋭く感じられ、ゾクゾクとさせられる。
オリバーは、店の“おかみさん”ことミセス・サワベリー(北村岳子/伊東えりのWキャスト)に、犬のエサの残りを食べさせられたり、棺桶の並ぶ店内のカウンターの下しか寝床はないと言われてしまう。筆者は“おかみさん”に対して思わず「そこに愛はあるんか?」と訊きたくなった。現代日本の消費者金融のCMならば、本来その質問を発するのは“おかみさん”の側のはずだが……。すると、ここで、すかさずオリバーも「愛はどこなの?」とタイミングよく歌い出すのであった(「Where Is Love?/愛はどこに?」)。美しい旋律を歌うオリバーの清らかな声に筆者はうっとりしながら、「だよねー、だよねー」と時代遅れな同意を心の中で繰り返した。この「愛はどこに?」という問いかけこそ、作品全体の主題となっていく。
愛なき葬儀屋夫婦のうちミスター・サワベリーの役者は、第二幕では、ちゃらんぽらんな医師ミスター・グリムウィグを演じ、ミセス・サワベリーの役者はオリバーへの愛情に満ちた家政婦ミセス・ベドウィンを演じるので、その見事な変貌にも注目したい。ところで愛の欠如については、葬儀屋もさることながら、壁に「神は愛なり(GOD IS LOVE)」などと記している救貧院からして、一体なんとしたことであろう。「そこに神の愛はあるんか?」と改めて救貧院に問いたい。そもそも救貧院とは何なのか。それは孤児院ではない。筆者も含めて日本の観客の多くは、救貧院のことをよく知らない。
「救貧院」という日本語の字面から受けるのは、文字通り貧しい弱者を救う慈善施設という印象である。しかし英語では「Workhouse」、実質的には「貧民の強制労働施設」または「貧困者の監獄」といってもよかった。その歴史的背景をざっくりと述べれば、ヨーロッパの歴史において宗教改革以降、貧しさは怠惰が原因とされ、罪と見なされた。したがって貧民を強制労働させる更生施設として救貧院(Workhouse)が機能していた。
『オリバー!』の時代の英国では、18世紀後半以降の産業革命により機械が人間の仕事を奪い、19世紀初頭のナポレオン戦争がもたらした不況も重なり、失業者が増加していた。貧富の格差は拡大するばかり。しかし、その頃には自由主義思想が主流となり、自己責任や自助がさかんに説かれるようになる(ん? 最近どこかの国で聞いたような……)。その影響で新救貧法という悪法が1834年に制定され、貧民全般に対して非人道的な措置がとられるようになった。子どもであろうが年寄りであろうが関係なく、救貧院で「最下級の労働者以下」の待遇を受けながら、強制労働に従事させられたのである。
オリバーのように人身売買の商品となる子も少なくなかった。劇中で、オリバーが売り飛ばされる際、救貧院から出ていく時に、その様子を同じ施設の子が数名ほど、上手側(客席から見て舞台右側)から覗きにくる、という小さく地味な振る舞いが確認できる。彼らは一体そこで何を思ったのか、想像するだに胸が締め付けられる。

■ 移民の歌 immigrant song
オリバーは、先輩従業員ノア・クレイポール(斎藤准一郎)に亡き母を侮辱されたことに憤慨し、騒動を起こして葬儀屋を脱走。その後、7日間も歩き通しでロンドンまでやって来る。蒸気機関車の走る音が聴こえる、ある記念碑の前で彼は、アートフル(逃げ上手の、という意)・ドジャーという異名を名乗る少年(大矢 臣/川口 調/酒井禅功/佐野航太郎のクワトロキャスト)と出会う。すぐに意気投合し、彼の棲み処で面倒を見てもらうこととなった。そこへ連れて行ってもらう際に歌われるのが、「Consider Yourself/信じてみなよ」という溌溂としたナンバーである。昔(1966年)、「オリバーのマーチ」というタイトルで「NHKみんなのうた」でも流れていたそうだ。マーチゆえに吹奏楽の世界で演奏されることの多い、ポピュラーな楽曲だ。いつしか舞台には、大勢の役者たちが所狭しとばかりに登場し、この劇で初めて、明るく賑やかな光景をまのあたりにさせられる。観ている側も心が躍り、リズムに乗せて勢いよく手拍子をしてしまう。やがてオリバーたちが目的地に到着すると、小さな男の子(ニッパー)がモップで床掃除をしながら、歌の続きをソロで口づさんでいて、心温まる。この一連で、オリバーは人生で初めて自分を受け入れてくれる安住の地に辿り着いた……のか?
『オリバー!』初日オフィシャル写真より
そこは、スリ集団のアジトだった。構成員はドジャー以外に子どもばかり10人。ギャング・キッズの数は、公表されているのが1ステージあたり8人だから、プラス2人が追加投入されている。ドジャーが親方の名前を大声で何度も叫ぶと、「何だ!」と、ひとりの老人が奥から現れる。彼こそは、このキッズ窃盗団の親方、フェイギンである。演じるは、市村正親または武田真治。今度こそ、“待ってました!”である。俳優の登場ならば、歌舞伎見物ばりに(掛け声はさすがに自粛するとして)盛大な拍手を送って盛り上げてもいいのではないか。すると同じ考えの観客がいたようで、パチパチという反応が会場のあちらこちらから湧いて安堵した。しかし役者さんも、せめてあと10秒ほど拍手を受け続けていてくれれば、より一層高揚感が増すのではないか。お願いです、拍手タイムをもっとください……。
さて、そのフェイギンに、ディケンズの原作小説は差別的なニュアンスで「ユダヤ人」という呼称を用いている。もちろん筆者(私)は、あらゆる人種差別・民族差別に断固反対の立場をとる者であるが、ヨーロッパの歴史においては長きにわたって、ユダヤ人が差別の対象であったことは確かで、金に汚いとか悪辣といった、全く不当な負のレッテルを貼られることが多かった。シェイクスピアやディケンズですら、信じがたいほど無頓着に、ユダヤ人を悪の代名詞のように扱った。そして、そんな「イメージのユダヤ人」を演じるにあたって、少しばかり日本人離れした顔立ちの市村・武田は、まず見た目からしても、そして一筋縄ではいかない演技スタイルからしても、実にぴったりハマる配役といえる。
とくに市村。彼は過去にも色々なユダヤ人を演じてきた。『スクルージ(クリスマス・キャロル)』の守銭奴スクルージ、『ヴェニスの商人』のシャイロック、『屋根の上のヴァイオリン弾き』のテヴィエ、忘れそうになるが『ジーザス・クライスト・スーパースター』のヘロデ王ももちろんユダヤ人だ。そうした経験の蓄積が市村の身体から滲み出ているからなのか、キャメロン・マッキントッシュも、市村がフェイギンを演じるべきだと、前々から熱望し続けてきたという。ちなみに、本国イギリスでは、初演でロン・ムーディー(映画版も)、マッキントッシュのリヴァイヴァル版でジョナサン・プライス(『ミス・サイゴン』の元祖エンジニア役)、ローワン・アトキンソン(ご存知、ミスター・ビーン)といった錚々たる顔ぶれがフェイギンに扮してきた。彼らに全く引けを取らない市村のフェイギンを、日本の舞台で観られることは実に幸運だ。
ちなみにフェイギンは子どもたちに内緒で自分の財産を大きな箱に隠し持っている。そこから、小ぶりの宝石箱を取り出し、宝石との会話を楽しむシーン。ここで市村正親にはコウメ太夫が、そして武田真治には名古屋市長がそれぞれアドリブ的に憑依するが、詳しくは観てのお楽しみ。また、フェイギンの宝石箱は会場内のグッズショップで販売されているので、御土産に買って帰るのも一興だ。
『オリバー!』初日オフィシャル写真より フェイギン役:武田真治、ギャング団:ペッカム
ところで、筆者の記憶するかぎりにおいて、このミュージカルの中で、フェイギンをユダヤ人と説明している箇所は一つも無い。わかる人だけわかればいい、ということなのか。なるほど、衣裳などの外見から、いかにも彼がユダヤ人だと察することはできる。そして、それ以上に特徴的といえるのが、フェイギンの歌うミュージカル・ナンバーのうち、「Pick A Pocket Or Two/ポケットからチョチョイと」と「Reviewing The Situation/最初から考え直そう」の2曲だ。前者は新入りのオリバーにスリの心得を伝授する歌。後者は、状況が悪化する中で今後の自分の身の振り方を考える歌である。重要なのは、そのどちらも曲調が、明らかにクレズマー音楽であることだ。……クレズマー音楽とは何か。
それは、東欧系ユダヤ民族の民謡をルーツに持つ音楽ジャンルのことで、代表例は、かの有名な「ドナドナ」である。また、ウクライナ地方に住むユダヤ人家族が「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人排斥運動によって村を追われる悲劇を描いたミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』(1964年ブロードウェイ初演。最近では市村が主役テヴィエを演じている)にも、例えば冒頭の「Tradition/しきたり」など、クレズマーを意識して作られてた楽曲が含まれる。それらの多くが物哀しい短調で展開し、枯れた音色のヴァイオリンがよく用いられる。その『屋根の上のヴァイオリン弾き』よりも数年早く作られた『オリバー!』において、既にクレズマー音楽が登場していることは、もっと注目されていい。
ときに、『オリバー!』の脚本・作詞・作曲を手掛けたライオネル・バートについて、過去SPICE記事(https://spice.eplus.jp/articles/290361)で中島薫氏が次のように紹介している。「1930年、ロンドンはイーストエンド生まれ。ユダヤ人居住区で暮らす一家は貧しかった上に、仕立屋の仕事で働き詰めの父親と、気が強い母親は口論が絶えず、バートは愛情に飢えた幼少期を送る。ただ音感に優れた彼は、救世軍の楽隊や大道芸人の楽器演奏から、盛り場から聴こえてくるジャズまで、街中で流れるあらゆるジャンルの音楽を吸収」。そして英語版ウィキペディアによれば「彼の一家は、ガリシアでのウクライナ・コサックによるポグロムから逃れてきた」とある。すなわちバートは、まさに『屋根の上のヴァイオリン弾き』の一家と同様に、ユダヤ人迫害によって追われてきた「流浪の民」の血が流れるアーティストなのである。
バートが幼少期に吸収したであろう「あらゆるジャンルの音楽」は、『オリバー!』の中にヴァラエティ豊かに散りばめられているが、彼の経歴を知った後では、やはりフェイギンの歌うクレズマー音楽2曲がとりわけ印象深い。その楽曲のノスタルジックなユダヤ性から感じられるのは、おそらく、子どもの頃にユダヤ人として辛酸をなめたであろうバートが、自分をフェイギンに重ねる部分もあったのではないか、ということだ。フェイギンも何らかの辛い事情で19世紀のロンドンまで流れ着き、窃盗団の頭目として生き永らえるよりほかなかった。そう考えたバートは、フェイギン同様に苦労を重ねた同じユダヤ系移民の視点から、フェイギンおよびユダヤ民族の救済を『オリバー!』の中で試みたのかもしれない。
そういえばフェイギンは、ディケンズの原作小説では相当な悪人として描かれているのに対して、バートの情状酌量が施されたミュージカル『オリバー!』では悪人色が薄らぎ、自分でも「言われるほど真っ黒な悪人でもないぞ」と歌っている。原作小説においてフェイギンは逮捕され死刑になるが、ミュージカルでは将来を未定にしたまま幕引きとなる(映画版の『オリバー!』に至っては、ドジャーと二人でうまくやっていけそうな希望さえ提示して終わる)。こうしてディケンズの無頓着なユダヤ人差別の浸み込んだ原作は、ユダヤの誇るべき民族音楽を巧みに組み込みながら、バートによって優しくアップデートがなされ、適度にバランスのとれた「相対性」の構図を獲得することに成功しているように思えるのだった。
ミュージカル『オリバ!』プレスコールより (写真撮影:五月女菜穂)

■ 引き裂かれる人生
第一幕の中盤から、ベット(植村理乃)という娘と共にフェイギンのアジトに入ってくる快活な女性ナンシー(濱田めぐみ/ソニンのWキャスト)は、気立てのよい姉御という印象だ。「It's A Fine Life/これが人生」という曲の中で「フェイギンと組めばそれなりにいい人生」と歌っているように、フェイギンの一味である。やがて劇中で明らかになることは、彼女が5歳くらいからフェイギンの下で15年もスリを務めてきた、ということだ。つまり、ドジャーたちの先輩である。そして、彼女同様にフェイギンの一味だったが今は最凶の悪党として怖れられるようになったビル・サイクス(spi/原 慎一郎のWキャスト)の情婦でもある。さらに、朝からジンを呑まずにはいられないアルコール依存症の気配も見受けられる。子どもの頃からフェイギンにジンを吞まされてきたのが原因ではないか。そのことはフェイギンがオリバーにジンを飲ませたことからも推察できる(この作品には本当によく「ジン」が登場する)。また、原作小説によると、ナンシーは売春稼業にも手を染めているようだが、そこはミュージカルにおいて直接的には描かれない。
『オリバー!』初日オフィシャル写真より ナンシー役:ソニン
ただ、第二幕の冒頭、スリー・クリプルズという居酒屋で、ナンシーが下品なダミ声で歌う「Oom-Pah-Pah/ウンパッパ」のシーンにおいて、彼女をはじめ店内の客たちがハメをはずし、文字に書くのが憚られるような卑猥な所作をあちこちで繰り広げるのであるが、これにより、ナンシーもまた、エロスの俗界に棲息している人間であることが推察できるのである。だいいち、ウンパッパというワルツの三拍子は、男女の交わりを助長するような淫らなリズムにしか聴こえてこない(とはいえ、「ウンパッパ」も1965年に「NHKみんなのうた」で流れていた。歌は、ペギー葉山東京放送児童合唱団)。この点に関してダンス史を紐解くと、ワルツのルーツが、13世紀のヴェラー (Weller) というヨーロッパの農民舞踊まで遡れることがわかる。ヴェラーは男女が体を接して共に回るダンスだったので「穢らわしい」という理由によりハプスブルク帝国が法律で禁じたほどだった。しかしこれが洗練化された形で都市部に普及し、ワルツへと発展すると、ナポレオン戦争後の処理を目的としたウィーン会議(1814年)の舞踏会に登場したのをきっかけに、ウィンナ・ワルツとして19世紀の欧州全体で人気を博すようになる。しかし『オリバー!』における「ウンパッパ」の場合、ウィンナ・ワルツの上品さとは遠く掛け離れて、むしろヴェラーの、庶民の卑俗なダンスへと先祖返りしていることが見出される。その点が非常に興味深い。
それから、この猥雑な喧噪の場面には、もう一つ非常に興味深いことがある。それは、一つの見慣れない楽器の存在だ。「ハーディ・ガーディ」という手回しの鍵盤付き弦楽器で、バグパイプのような音を出す。劇中では、ミセス・コーニー役を演じていた女優が酒場の楽士役に扮して、この楽器を演奏している。ただ、実際に音を出しているのかどうかは聴き取り不能でわからない。20世紀初頭にはほとんど消滅したと言われるこの珍楽器をわざわざこのシーンに登場させた意図は何なのか、ぜひ今回の演出家(ジャン・ピエール・ヴァン・ダー・スプイ)に確かめたいところだ。
また、同酒場ではナンシーが歌う前にボクシングの試合が行われていた。といっても、この時代のそれは、Netflixの人気ドラマ『ブリジャートン家』にも出て来る、素手の拳闘だ。当時の英国で流行していたのだろう。垂れ幕には「The World's most famous pugilists John L Sullivan and Jem Smith(世界で最も有名な拳闘家、ジョン・ローレンス・サリバンとジェム・スミス)」と記されていたように記憶する。二人とも19世紀に実在した著名拳闘家だが、果たしてスリー・クリプルズのような怪しげな居酒屋で興業をおこなうものなのか。ここは美術スタッフの遊び心の賜物として捉えるのがよさそうだ。
話をナンシーに戻せば、かようなまでに彼女が“性”の臭いを漂わせる女性だから、犯罪団キッズの中でもアートフル・ドジャー、チャーリー・ベイツ(中村海琉/日暮誠志朗のWキャスト)、ディッパー(河井慈杏/福田学人のWキャスト)といった年長組の者にとって、思春期を刺戟する存在なのであろう。そのことは「It's A Fine Life/これが人生」のシーンにおける彼らの所作から垣間見ることができる。また、年少組にとってナンシーは母親のような存在たりえたことも容易に想像できる。そんな背景もあり、キッズらはナンシーを淑女として扱い、自身を紳士に見立てて「I'd Do Anyting/何でもやるよ」を歌うのである。この時、彼ら一人ひとりがパーツとなって馬車や帆船に擬態する演出は演劇的醍醐味が全開だ。『ウォー・ホース』(演出:マリアン・エリオット、トム・モリス)で多数のパーツから成るパペットで馬を表現したり、『フランケンシュタイン』(演出:ダニー・ボイル)で蒸気機関車を役者たちの複合マイムで表した、英国演劇ならではのお家芸を改めて見せつけられた気がした。
こうして見るとナンシーは、新約聖書の聖母マリアとマグダラのマリアを混在させたようなキャラクターなのだともいえる。しかし彼女当人が自らの本格的な母性に目覚めたのは、ペコリと上品に頭を下げて挨拶をするオリバーと出会った瞬間からではないだろうか。何故かオリバーには、他の子とは異なる純粋無垢な“聖性”が備わっている。この子を虐待してはいけないし、ましてや命を奪うなどもってのほか、この子が幸せになるためには自分の命さえ差し出してもいい……という善なる思考回路がナンシーの心の中で作動するのである。が、その一方で、彼女は長年にわたり悪党ビル・サイクスと築いてきたズブズブの情欲関係を断ち切ることがどうしてもできない。こうして“引き裂かれた自己”を応急的に仮修復すべく、彼女は「As Long As He Needs Me/彼が必要としているかぎり」という倒錯的な自己正当化ソングを絶唱し、フェイギンやサイクスの悪事に加担することを選択してしまう。その悪事とは、ある不手際で警察に逮捕された後に親切な老紳士の家に引き取られたオリバーを誘拐することだった。フェイギンとサイスクは、オリバーが彼らのことを他所で話したら一巻の終わりとなってしまうため、どうしてもオリバーを奪還する必要があった。
『オリバー!』初日オフィシャル写真より ナンシー役:濱田めぐみ、ドジャー役:川口調、ギャング団:ハックニー

■ 愛の行方
オリバーが引き取られていった先の老紳士の名はミスター・ブラウンロー(小野寺 昭/目黒祐樹のWキャスト)。彼、実は第一幕の中盤「Consider Yourself/信じてみなよ」の場面から既に上手上方に姿を見せ、街の子どもに小遣いを配ったり、ドジャーたちの踊りを見物している。その後、フェイギンに「Be Back Soon/必ずここへ帰れ」と言われて初仕事に繰り出したオリバーが、何もせぬままに警察に捕まえられたのは、ブラウンローの誤解が原因だった。ブラウンローはその非を深く詫び、釈放された孤児オリバーを自宅に保護する。やがてオリバーが誘拐されてしまい、礼金目当てに情報提供に訪れたバンブル夫妻がかつてオリバーの「人身売買」に係わっていた事実を知ると憤激もする。児童福祉の概念など殆ど無かったこの時代において、彼は人間主義の信念を有するインテリであり、そこに「愛」はあったのだ。どんな書物を読んで彼の思想形成がなされていったのか?(フォオイエルバッハか? マルクスか? エンゲルスか?)を知りたいと思った筆者は、双眼鏡で彼の周囲の本の表紙を必死で確認しようとしたが、さすがに判読不能だった。
原作小説で、ブラウンローは自身を王立海軍の退役将校だと述べている。筆者(私)が勝手に想像(妄想)するに、彼は、ネルソン提督率いる英国艦隊がナポレオンのフランス・スペイン連合艦隊を打ち破ったトラファルガー海戦(1805年)で戦功をあげた一人だったのかもしれない。そんな彼はオリバーの中に特別な何かを感じ始めるのだが、近所への御遣いを頼んだ直後に、誰かにオリバーをさらわれてしまった。しかし、ブラウンローは気付いたのだ。オリバーが家を出る前に「とてもきれいな人ですね」と呟いた自分の娘アグネスの肖像画に、オリバーがとてもよく似ていることを。それはつまり……? ちなみに、アグネスの肖像画は客席からは見えない“想像の肖像画”だ。ただ、ブラウンローの書棚脇のラウンドテーブルの上にも、時計や本と一緒に小さな肖像画が飾られていることが双眼鏡で確認できる。ひょっとすると、それもアグネスの肖像画なのかもしれない。
ミスター・ブラウンローの存在は、ミュージカル『アニー』(1977年ブロードウェイ初演)で孤児アニーを自宅に招いたウォーバックス氏を強く連想させる(そのファースト・ネームは「オリバー」。彼が孤児だった点も見過ごせない)。そもそも『アニー』の脚本を手掛けたトーマス・ミーハンはディケンズの愛読者であり、20世紀アメリカ版ディケンズのキャラクターとして孤児アニーの物語を書いた、と述べている(※6)。また「ディケンズがオリバー・ツイストのような孤児の少年の小説を書けるのなら、私も孤児の少女アニーの小説を書けるはずだ」という思いで、『アニー』のノベライズ化も引き受けたそうだ(※7)。だから『オリバー!』と『アニー』の共通点が多いのは当然といえる。だが、一方で異なる点もそれなりにある。それらについて詳しく論じることは将来のお楽しみとして、ここでは一旦持ち越すこととしよう。
さて、オリバーが拉致される直前に、束の間の幸福を街の人々の中に見出すひととき。それが「Who Will Buy/誰が買うのだろう」のシーンである。個人的に最も気に入っている卓越した名曲である。そして第一幕の「Consider Yourself/信じてみなよ」と並んで、沢山の人々が賑わう壮大なスペクタルの場面である。ここで大道芸を披露する一団は「SLEARY'S CIRCUS(スリーリー・サーカス)」という看板を掲げている。ディケンズの『ハード・タイムズ』(1854年)という小説に登場するサーカス団の名前なので、これも美術スタッフの遊び心の反映であろう。その若いダンサーの二人は、別の場面で他の役を演じているあの二人……。そして黄服の女子4人と青服の男子4人が後ろ手を組んで歩く様や、風船や風車を貰って喜ぶ様は、眼福としかいいようのない。その子たちを連れ歩く大人たちも、別の場面で他の重要な役を演じている俳優だとわかる。個人的には、これらの情景を目を細めて眺めるのが『オリバー!』の中で最高の愉悦だといっても過言ではなかった。
この後、物語は大詰めに向かって急展直下の様相を呈する。ナンシーは、サイクスは、ギャング団キッズは、この先どうなるのか。そこまでは詳しく言及しないこととしよう。そして、「愛はどこに?」という主題への回答は、オリバー自身の中に見いだされるのではないか、と思っている。もちろん、「OLIVER」という名前の中にLOVEという言葉が隠れている、というオチを言いたいのではない。彼の探し求めていた愛は彼自身に備わった尊い“聖性”の中にこそあった、というのが筆者の見立てである。その“聖性”とは、愛の血統を受け継いだ者が、他郷をさまよいつつ幾多の試練を経験しなくては得られぬもの。すなわち『オリバー!』とは、貴種流離譚のミュージカルなのである。そう考えると、1968年に当時7歳の浩宮様(現・今上天皇陛下)が帝国劇場で『オリバー!』を観劇され、オリバー役の子役俳優と握手をされたことは(※8)、より深い感慨を誘うのであった。
【動画】ミュージカル『オリバー!』プレスコール (撮影・編集:エントレ)

文=安藤光夫(SPICE編集部)
[註]
※1:ミュージカル『オリバー!』2021公式プログラムにおけるノブコ・アルベリー氏インタビューより。
※2:ミュージカル『オリバー!』2021公式サイト「プロデューサーからのメッセージ」」https://www.oliver-jp.com/msg.html
※3:同上。
※4:マーガレット・ヴァーメット著「『レ・ミゼラブル』をつくった男たち」三元社(「The Musical World of Boublil & Schonberg」の抄訳本)。
※5:「市村正親✕堀義貴ホリプロ社長に訊く~ミュージカル『オリバー!』31年ぶり日本上演までの道のり」https://spice.eplus.jp/articles/292292
※6:トーマス・ミーハン著 三辺律子訳「アニー A novel based on the beloved musical!」あすなろ書房の「著者あとがき」。
※7:同上。
※8:ミュージカル『オリバー!』2021公式プログラムにおけるノブコ・アルベリー氏インタビュー、及び、blog「純と和子、ふたりの世界」浩宮様から令和天皇へ [家族と友人] https://hd1201jtk.blog.ss-blog.jp/2019-05-07

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