【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#223
シンガーソングライター・八神純子の
言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

大事なことは自分で決めるし、失敗して
も責任を負う

より

2021年9月29日に約6年ぶりとなるアルバム『TERRA-here we will stay』をリリースした八神純子。八神にとって2021年は、本格的に音楽活動を再開して10年目という節目の年。今回の名言は、この10年を振り返っての言葉である。八神は、音楽活動再開を「第2の音楽人生」と語り、「やりたいようにやるわよ!」と駆け抜けてきた。その満ち足りた時間の集大成が最新アルバムに宿っているのである。2016年には自主レーベル『Listen J』を設立し、コンサートも自ら主催しているという。「リスクを取ってでもチャレンジするのが、私のエネルギーの源になっています」「音楽への思いは年々増している」という八神。このインタビューには、情熱を持ち続け、充実した人生を送るための数々のヒントが隠されている。
八神純子 (やがみじゅんこ)
1958年1月5日生まれ、愛知県名古屋市出身。シンガーソングライター、作詞家、作曲家。
1974年、高校在学中に初めて作詞作曲した楽曲「雨の日のひとりごと」で、『第8回ヤマハポピュラーソングコンテスト』にて優秀曲賞を受賞。1975年、『第9回ヤマハポピュラーソングコンテスト』にも出場し「幸せの国へ」で再び優秀曲賞を受賞する。1978年、シングル「思い出は美しすぎて」にて本格レコードデビューを果たす。同年、「みずいろの雨」をリリースし、売上60万枚を超える大ヒットとなった。1979年、「想い出のスクリーン」「ポーラー・スター」をリリース。1980年、54日間渡米し帰国後リリースしたシングル「パープルタウン 〜You Oughta Know By Now〜」がオリコン最高位2位となる大ヒット。同年、『第31回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。1986年に結婚してからはアメリカのロサンゼルスを拠点に活動。2000年代に入るとほぼ音楽活動を休止していたが、2010年にNHKの音楽番組『思い出のメロディー』と『SONGS』に出演した頃から音楽活動を再開し現在に至る。2016年、自主レーベル『Listen J』を設立。2021年9月29日、20枚目のオリジナルアルバム『TERRA-here we will stay』をリリース。
仲村 瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。

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