【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#225
ギタリスト・鈴木茂の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

バンドで音楽を仕上げよう

より

はっぴいえんどティン・パン・アレーなどで活躍した鈴木茂シュガー・ベイブの村松邦男。共に、日本のロックの黎明期を牽引したバンドの伝説的ギタリストである。この2大巨匠は大滝詠一のナイアガラ・レーベルで交わっている。2021年7月に公開された対談記事は、鈴木と村松が日本のロックシーンを振り返るという意義深い内容。2人が参加した大滝詠一のアルバム『NIAGARA MOON』(1975年5月30日リリース)の話題となり、司会者が「75年ってお2人にとっても凄く重要ですよね? 」と話をふる。『NIAGARA MOON』の1ヵ月前にシュガー・ベイブがアルバム『SONGS』を、鈴木はその1ヶ月前に初のソロアルバム『BAND WAGON』をリリースしているのだ。今回の名言は、その話の流れから生れた言葉である。鈴木は言葉の意味を「ひとつ言えるのは、どれも“リズム・セクションで完成させる音楽だった”ってことだよね。その頃は大体そういう作り方で、ストリングスなんてむしろ必要なのか? っていう雰囲気だった。大滝さんも『A LONG VACATION』みたいなサウンドになる前の状態で、僕はその感じが好きなんですよ」と語っている。当時の音楽制作法を知ることができる貴重な証言である。“鈴木が好きな大滝詠一の楽曲”のひとつとして挙げている「論寒牛男」(『NIAGARA MOON』収録)をぜひ聴いてほしい。そんな熱い想いが伝わってくる圧巻のギターソロである。
鈴木茂(すずきしげる)
1951年12月20日生まれ、東京都世田谷区出身。ギタリスト、シンガーソングライター、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、ロックバンド・SKYEのメンバー。1968年、林立夫小原礼らと共にロックバンド・スカイを結成。1969年、ロックバンド・はっぴいえんどのメンバーとなる。1972年のはっぴいえんどの解散後、松任谷正隆細野晴臣らと共にロックバンドのキャラメル・ママ(1974年にティン・パン・アレーに改名)を結成。1975年、渡米しソロアルバム『BAND WAGON』を発表。同年、帰国後にロックバンド・ハックルバックを結成。1992年、尾崎亜美、小原礼らと共に桃姫BANDを結成。2000年、細野晴臣、林立夫とティン・パンを結成し、この頃から、作曲家、編曲家、セッションミュージシャンなど音楽家として幅広い活動を始める。2014年、ギター教則DVD『鈴木茂 ギター・プレイ・オブ・バンドワゴン』をリリース。2021年10月27日、鈴木茂、小原礼、林立夫、松任谷正隆という超豪華メンバーにてSKYEを再結成しデビューアルバム『SKYE』をリリース。
仲村 瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。

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