“手数王”菅沼孝三の娘として生まれ
、ドリカム、ASKA、吉川晃司、稲葉浩
志等の作品に関わる人気ドラマーSAT
OKO。そのドラマティックな歩みに迫
る【インタビュー連載・匠の人】

その道のプロフェッショナルへのインタビュー連載「匠の人」。今回登場するのは、ドラマーのSATOKOだ。父親は“手数王”と称されたスーパードラマー菅沼孝三(2021年没)。13歳のときから父親のドラムスクールに通いはじめ、青春時代はまさにドラム一色。20代前半でロックバンド・FUZZY CONTROLのメンバーとしてデビューを飾り、その後、様々なアーティストとのライブやレコーディングに参加してきた。これまで関わったのは、吉川晃司DREAMS COME TRUEDAITA稲葉浩志花澤香菜スガシカオ山本彩ASKA等。高いテクニックと豊かな表現力を備えた彼女のドラムは、幅広いアーティストに求められている。
――SATOKOさんの父親は“手数王”と呼ばれたスーパードラマー、菅沼孝三さん。当然、子どもの頃から音楽に親しんでいたんですよね?
そうですね。小学校に上がる前まで大阪にいたんですけど、初めて見たライブが父親が出てたCHAGE and ASKAの大阪城ホール公演なんです。1987年頃だと思うんですけど、そのときに「将来、私もこれをやるんだな」と思って。ASKAさんにもお会いしてるんですよ。抱っこしてもらったり、可愛がっていただきました(笑)。
――すごい(笑)。子どもの頃はどんな音楽を聴いてたんですか?
父親が参加した作品だったり、影響を受けたアーティストのCDですね。チャゲアス、ビートルズ、カーペンターズからはじまって、ピンク・フロイドやキング・クリムゾン、オールマン・ブラザーズ・バンドなども聴くようになって。『夜のヒットスタジオ』や『ミュージックステーション』をよく観てました。お父さんが出てると、次の日に学校で「おまえのお父さん、ドラム叩いてたな」って言われたり(笑)。ドラムをはじめたのは中学1年のときなんですけどね。それまでは家にある練習用のパッドを叩いたり、スタジオについていって、ドラムで遊んでいたくらいで。あと、ピアノをちょっと習ってました。あまり上手にならなかったけど(笑)。
――小学校のときからドラムをみっちりやってたのかと思ってました。
お母さんに「自分で電車に乗って通えるようになったらやりなさい」と言われてたんですよ。当時は鷺沼に住んでいて、父親のドラムスクールは渋谷で。通い始めたのは中学1年の2学期からですね。と言っても、他の生徒とまったく同じ扱いでしたけどね。すごく忙しい人だったから、私ひとりにかまってる暇なんかなかったと思います。
――どんなレッスンだったんですか?
毎回1時間15分くらいで、半分はルーディメンツと呼ばれる基礎練習。日本のルーディメンツは26種類、世界には400種類あるんですが、それをお父さんが独自にカリキュラム化していたんです。それを応用した練習楽曲もあるので、キリがないんですよ。あとの半分は、初見の楽譜で演奏する練習ですね。その場で譜面を渡されて、曲を流して、お父さんがお手本を見せて、「さあ、どうぞ」という感じで生徒が叩いて。それは今も役に立ってますね。実際の現場でもあらかじめ音源をもらえるとは限らないし、その場で楽譜を見て叩くこともけっこうあるので。
――つまり菅沼さんは、プロを目指す人のための実践的なレッスンをしていた?
たぶんそうだと思います。お父さんのスクール、プロをたくさん輩出しているんですよ。シシド・カフカさん、坂東慧さんとか。この前発売された『リズム&ドラム・マガジン』4月号でお父さんを大特集してくれてて、お弟子さんがたくさん登場しているので、ぜひ見てください。ドラマーとしてはもちろん、教えることの功績もとても大きかったかもしれないですね。
――素晴らしいですね! SATOKOさんもめちゃくちゃ練習してました?
やってましたね。最初は楽しくやってたんだけど、だんだん本気になって。できないと悔しいし、いちばん上手く叩きたいという気持ちが強くなって……18歳から20歳くらいまではかなり頑張ってました。できないことが悔しくて、泣いて、また練習して。高校を卒業したら、ドラムで食っていかなきゃと思ってたので。
■ファジコンの活動を通して学んだこともたくさんあるし、あの経験があるから今がある
――SATOKOさんは左利き。右手と左手がクロスしないオープンハンドのスタイルですが、ずっと同じ叩き方ですか?
そうです。ドラムはめちゃくちゃ練習しないとダメな楽器なので、途中でフォームを変えるのはすごく大変なんですよ。お父さんにも「オープンハンドでマッチドグリップがいちばん得」って言われたので、この叩き方になりました。同じスタイルのドラマーとしては、デイヴ・マシューズ・バンドのカーター・ビューフォードや、TOTOのサイモン・フィリップス、お父さんが好きだったビリー・コブハムもそうですね。日本だと東京スカパラダイスオーケストラの茂木欣一さんもこのスタイルですね。ただ、本格的にドラムをはじめて5年くらい経った頃に「クロスハンド、レギュラーグリップでないと奏でられない音もあるんだよな」って言われて(笑)。一瞬「おい!」と思ったけど(笑)、まあそんなもんですよね。そのときに「これがいちばんいい」と思ったことを話してくれてたし、考え方も変わるので。
――2003 年からはロックバンド、FUZZY CONTROLとして活動をスタートさせますが、バンドを結成したのはどうしてなんですか?
高校を卒業した後、ちょっとだけメーザー・ハウスという専門学校に通ったんですよ。入学してすぐにオーディションに誘われたんですけど、JUON(Vo&G)とKenKen(B)がドラムを探していたんです。そのバンドに参加したのが最初ですね。
――当初はJUONさん、KenKen、SATOKOさんのトリオだったんですね!
そうなんですよ。でも、KenKenが参加できなくなって、今度はJUONと私でベースを募集して、ベースのJOEと出会って。そこからはFUZZY CONTROLとして活動しはじめました。絶対売れるだろうと思ってましたね、ほんとに。JUONはギターも歌も上手すぎたし、この3人なら大丈夫だ!って。こんなに茨の道になるとは思わなかった(笑)。
――思ったような結果が出なかったと。音楽性、演奏テクニックはずば抜けていたんですが……。
そう言ってもらえることも多かったんですけど、「ここまで売れないとは!」という感じでした(笑)。私たちも若かったし、後から考えてみると「いろいろ違ってたな」と思うこともあって。ファジコンを好きでいてくれる人もいるので「ダメだった」とは言いたくないんですけど、ちょっと自由過ぎましたね(笑)。歌詞ができてない曲をライブで演奏したり、聴いてくださる方に対して、不親切なところがあって。ファジコンの活動を通して学んだこともたくさんあるし、あの経験があるから今があるので、ぜんぜん悔いはないんですけどね。
――ファジコンと並行して、ドラマーとしても活動してましたよね?
はい。ファジコンだけではとても食べていけなかったので。最初は相川七瀬さんのサポートをファジコン全員でやらせてもらいました。その後、吉川晃司さんにいきなり電話をもらって、「一緒にやろう」と言っていただいて。1年目は私だけ、2年目はJOEも一緒に参加しました。
■ドリカムの中村正人さんには寿司屋で出会ったんです
――2009年からはDREAMS COME TRUEのツアーにも参加されてます。ドリカムとつながったのは、どんなきっかけだったんですか?
嘘みたいな話なんですけど、中村正人さんに寿司屋で出会ったんですよ(笑)。2008年にビョークの武道館ライブを友達のシンガーと一緒に観に行って。それがあまりにも素晴らしくて、「このままでは帰れない!」なんて言ってたら、友達が「うちの事務所の社長が寿司屋にいるから、合流してごちそうしてもらおう」って言い出して、そこにマサさんがいらっしゃったんです。マサさん、私のことを知ってくれてたんですよ。「ポンタさん(村上“ポンタ”秀一)もSATOKOのこと話してたよ」って。でも私、かなり酔っぱらっちゃって、やらかしちゃったんですよ。「もう2度と会えないだろうな」と思ってたんだけど、翌日マサさんから電話があったんです。「昨日はすいませんでした」と謝ったら、「レコーディングに来てくれたらチャラにするよ」って。後日、本当に録音に参加させてもらったんですよ。
――すごい! どの曲ですか?
アルバム『DO YOU DREAMS COME TRUE?』(2009年)に入っている「MIDDLE OF NOWHERE」です。その後、「SATOKOのバンドのギター、上手い?」って聞かれて、「めちゃくちゃ上手いです!」って答えたら、「じゃあ、次のツアーに参加して」って。で、JUONと20周年ツアー(「DREAMS COME TRUE CONCERT TOUR 2009 “ドリしてます?”」)に参加することになったんです。でも、最初は「私じゃないな」って思っちゃったんですよ。前年のツアー(WINTER FANTASIA 2008~DCTgarden“THE LIVE!!!”)を観させてもらったんですけど、それがあまりにも素晴らしくて。「私じゃないと思います」とマサさんに伝えたら、「次のツアーはロックっぽくやりたいんだよ。俺たちが必要だと思ってるだから大丈夫だ」って言ってくれたんですよね。
――マサさん、素晴らしいですね……。ドリカムのツアーは音楽のクオリティ、演出のスケール感を含め、日本のトップ。ツアーに参加してみて、どうでした?
すごかったですね! 吉田美和さんは打楽器にも精通していて。「いいドラマーが来た!ってベイビーズ(ドリカムのファンの呼称)にも紹介したい」って、ドラムソロのパートを作ってくれたんです。しかもパーカッションの大儀見元さんと一緒にソロを叩かせてもらって、私のことを見てもらえる時間を作ってくれて。本当に嬉しかったです。
――しかもライブの規模もデカくて。
いちばん大きいのは国立競技場かな。ただ、私は会場の大きさとかお客さんの数を気にしたことがないんですよ。「100万以上は大金!」みたいな感じです(笑)。
■どの現場でもその場にいるミュージシャンと一緒に気持ちいい音、豊かな音を作ることしか考えてない
――ドリカムのツアーを経て、ドラマーとしての仕事も増えたのでは?
そうですね。私、オーディションを受けたことがほとんどなくて。演奏を観てくれて、連絡をいただくことが多いんですよ。運だけでここまで来ちゃいましたね(笑)。
――(笑)2014年には稲葉浩志さんのツアーに参加してますが、稲葉さん、SATOKOさんの演奏を聴くために下北沢のライブハウスに足を運んだそうですね。
ビックリですよね。その日はいつもの対バンライブで、やり慣れた曲をドーン!とやるだけだったんです。なのにマネージャーがしきりに配線をチェックしたり、挙動不審だったんですよ(笑)。しかもその日は自分の楽器じゃなかったから、演奏はまあまあ。好き放題やって楽しかった!という感じだったんですけど、ライブ後に「実は今日、稲葉さんが来てて」って言われて(笑)。なんで?!ってビックリしたんですけど、その後、ツアーのバンドに参加しませんか?とご連絡をいただいたんです。
――中村正人さんもそうですけど、稲葉さんも自分の目と耳で確認して、「この人だ」と思ったら、躊躇せずオファーするんですね。キャリアや知名度ではなく、実力主義というか。
ありがたいです。私は幸いなことに超一流の方々と仕事をさせてもらってきたんですけど、みなさんに共通しているのは、“入口”を覚えていることなんです。どうやって音楽の道に入って、どんな道を歩んできて、今はどこにいるのか。そのプロセスをすべて覚えているし、隠そうともしないから、いつでも入口に戻れるんだと思います。
――若いときのことも心に刻まれている、と。
そうなんです。「俺はずっとすごかった」ということではなく、できなかった日々のことも覚えていて。だからこそ思い切ったチャレンジもできるんですよね。本当に教わってばかりですね。
――花澤香菜さん、山本彩さんなど、下の世代のアーティストをサポートすることも。ジャンルも多岐に渡っていますが、現場によって変化はありますか?
どうだろう……。まず、ジャンルの違いって、細かいことを言い出したらキリがないと思っていて。たとえばジャズだったら“頭の音を強調しない“、ロックだったら”リズムが変わるタイミングでフィルを入れる“みたいなルールがある。でも目的は同じで、その場にいるミュージシャンと一緒に気持ちいい音、豊かな音を作ることなんですよね。私はどの現場でもそのことしか考えてないですね。
■ASKAさんのツアーの初日はいままででいちばん嬉しさを感じました
――現在はASKAさんのツアー「ASKA premium concert tour-higher ground-アンコール公演」に帯同しています。SATOKOさん、お父さんに「自分に何かあったら、ASKAさんを頼む」と言われたそうですね。
はい。でも、ちょっとおかしくないですか?(笑)。普通だったら、ASKAさんに「俺に何かあったら、SATOKOを頼む」と伝えると思うんです。私なんかに頼まなくても、ASKAさんは大丈夫に決まってるし。でも、ASKAさんから「俺、SATOKOに頼まれてみるよ」って連絡があったんですよ。もちろんお引き受けしたんですけど、これまでの仕事とはちょっと違いましたね。これまで超一流の方々とご一緒してきましたけど、ASKAさんは私にとって生まれて初めてのスターだし特別なんですよ。子どもの頃から楽曲をずっと聴いていて、歌詞も一字一句覚えてる。音楽をはじめてからも、迷うたびに「ASKAさんはこうやってたな」って指針にしてる神みたいな存在なんです。だから今回のツアーの初日はいままででいちばん嬉しさを感じましたね。
――幼少期から憧れていたアーティストと大好きな曲を演奏できるって特別ですよね。
特にチャゲアスの「WALK」には思い入れがあって。ずっと一番好きな曲だし、自分のソロライブでも歌ったことがあるんです。ASKAさん、お父さんの葬儀に来てくださったんですけど、出棺にも「俺は家族みたいなもんだから」って立ち会われて、そこで「WALK」を歌い出したんですよ。それが素晴らしくて全員が号泣して……。私、知らなかったんですけど、お父さんが初めてチャゲアスのレコーディングに参加したのが「WALK」だったらしいんです。その「WALK」を今回のツアーで演奏できるのも本当に嬉しいんですよね。
――菅沼さんがチャゲアスのツアーで披露したドラムソロの映像に合わせて、SATOKOさんがドラムソロを叩くコーナーも印象的でした。お父さんのプレイを完コピしてますよね?
いえいえ、完コピではないんですよ。利き手も違うしセッティングも違うので。グルーヴが合ってるだけで、フレーズ自体は全然違いますね(笑)。これも偶然なんですけど、あのお父さんの映像、今の私と同い年なんですよ。すべてつながってるんだなって思いました……今思い出したんですけど、初日の本番中にASKAさんが「SATOKO、歌いやすいよ」って言ってくれたんです。その言葉で肩の荷が下りましたね。
――歌いやすいドラムを叩くことを意識している?
はい。ただ、それは大前提なんですよ。クリックから外れないとか、無難に叩くということではなくて、毎回毎回、その瞬間に感動しながら演奏することが大事なのかなと。そうすれば自ずと、シンガーも歌の世界に入っていけると思うので。もちろんお客さんにも感動してもらえたら最高ですよね。
――SATOKOさん、いつもめちゃくちゃ笑顔で叩いてますよね。
自分では意識したことないんです。そりゃ鼻水が出ちゃったりしたら恥ずかしいけど(笑)、見た目はどうでもよくて、音楽のことしか考えてないので。自分が参加したライブの映像もほとんど観直さないんですよ。俯瞰で見たほうが上達できるのかもしれないけど、自分に与えられた時間は無限ではないし、確認する作業よりもその瞬間をドラマティックに生きるほうが大事だなって。ちょっとカッコつけすぎたかな(笑)。あと、私すごい歌っちゃってるみたいです。ASKAさんのツアーを観てくれた友達からも「SATOちゃん、めっちゃ歌ってたね」って言われて気付きました(笑)。
取材・文=森朋之

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