【独断による偏愛名作Vol.1】
氷室京介、布袋寅泰、玉置浩二…
J-ROCKの巨人たちが
奥田圭子に佳作を捧げた『cresc.』

『cresc.』('85)/奥田圭子

『cresc.』('85)/奥田圭子

前回、【ライヴアルバム傑作選】として邦楽アルバムのライヴ盤紹介をスタートさせましたが、もう1本、コーナー内コーナーを立ち上げたいと思います。題して【独断による偏愛名作】。セールスも芳しくなく、もしかするとそれほど世評も高くないかもしれないけれど、筆者が個人的によく聴き、まさに偏愛を捧げている邦楽アルバムを、いつも以上に独断で紹介しようというものです。こちらも不定期ながら、月1作品は取り上げられたらいいなぁと考えています。その第1回は1980年代半ばにデビューした女性アイドル、奥田圭子の唯一のアルバムです。

1984年デビューの女性アイドル

この『cresc.』は筆者がジャケ買いした数少ないレコードである。いや、実際にはジャケ買いではなく、貸レコード店『友&愛』辺りでジャケ借りしたのかもしれないし、現場で衝動的に選んだのではなく、雑誌か何かで見て当たりを付けて買い(もしくは借り)に行ったのかもしれない。その辺りの細かいことは完全に失念したけれど、そのビジュアルに惹かれて『cresc.』を手にしたことはよく覚えている。

Wikipediaによれば、奥田圭子は[1982年のホリプロタレントスカウトキャラバン、1984年の東宝シンデレラに出場後、1984年にパイロット万年筆のイメージガールとして芸能界入り]したというから、1985年11月21日の『cresc.』のリリース以前からテレビや雑誌での露出はそれなりにあったはずである([]はWikipediaからの引用)。しかしながら、申し訳ないことに、その辺の記憶はさっぱりない。今さらながら謝りたいと思う。すみません。彼女のキャラクター云々ではなく、とにかくジャケにビビッときて『cresc.』を手にしたのであった。当時の気持ちは流石につぶさには思い出せないけれど、そこに映るお人形さんみたいな感じが良かったのだと思う。

余談だが、『cresc.』と同時期に発表された原田知世の3rd『PAVANE』もジャケが好きだった。『PAVANE』はその画が好き過ぎて、それと同じ写真をあしらった大判のポスターを入手して部屋に飾っていたほどだった。ただ、『PAVANE』は今となってはどんなアルバムだったかまったく思い出せないのに対して(ちゃんと聴いたかすらよく分からない)、奥田圭子の『cresc.』はよく聴いた。『cresc.』のリリースは1985年11月21日だったというから、下手すると、1986年頃に最も聴いたアルバムが『cresc.』だったのではなかろうか。思い出せる限り調べてみたら、1986年頃は有頂天の『ピース』、RCサクセションの『the TEARS OF a CLOWN』が自分のウォークマンに入っていることが多かったはずだが、それらと同じくらいに『cresc.』はリピートしていたと思う。1986年は前年からのおニャン子クラブのブームが続いていて、特におニャン子メンバーのソロ活動が盛んになっていた時期ではあって、それらの音源も耳にはしていたけれど、アルバム単位でアイドルを聴くことはほとんどなかったし、聴いたにしても何度も繰り返すことはなかった。そんな中で『cresc.』は相当に聴いた。愛聴していたと言っていい。

ちなみに、ジャケが気に入って音源を入手した『cresc.』ではあったけれど、そののち、奥田圭子が掲載されたグラビア雑誌等を購入することはなかった。たぶん『cresc.』のジャケだけがとにかく好きで、ホント彼女のキャラクターには興味が沸かなかったのだ。何か申し訳ない。今さらながら謝っておく。すみません。

今となってみれば、『cresc.』収録のM1「プラスティック」は氷室京介の作曲で、編曲は布袋寅泰であることはBOØWYファンの間では有名な話である。M4「STORMY NIGHT」もまた作曲が氷室京介で、彼女のデビュー曲でもあったM5「夢ください-知・的・優・遊-」は玉置浩二の作曲と、稀代のアーティストが楽曲提供している。アルバムの耳馴染みが良いのも当然だろう。ただ、『cresc.』を聴いた頃、筆者はまだBOØWYの音源をちゃんと聴いてなかった。前述の通り、『cresc.』の発売は1985年11月。アルバム『BOØWY』はその約半年前に発表されていたが、BOØWYが本格的にブレイクした『JUST A HERO』や『BEAT EMOTION』は『cresc.』の翌年の発売である。M5の玉置浩二は別として(それにしても玉置浩二の提供曲であることを意識して『cresc.』を入手したわけではないが)、M1やM4の作曲者が新進気鋭のバンドマンであることを、少なくとも当時の筆者は知らなかった。その後、1986年から1987年にかけてBOØWYをめちゃくちゃ聴くようになったわけだが、BOØWYのヴォーカル&ギターが奥田圭子に楽曲提供していたことを知ってちょっと驚いた記憶はある。あとでも述べると思うが、奥田圭子はいわゆる“売れたアイドル”ではなかったし、自分もそれを承知で『cresc.』を聴き続けていたところはあった。そんなメジャーとは言えないアイドルのアルバムに参加していたバンドマンが、その後、一世を風靡して日本の席巻する存在となったのはとても不思議な感じがしたこともまた確かだ。

OKMusic編集部

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