【追悼 ジェフ・ベック】
ロック史上最高のギタリストとして
世界を魅了し続けた人生
ジョージ・マーティンに制作を委ねた
ギターインストの傑作
このファンキー+フュージョン路線は本作から遡ること4年前の第二期ジェフ・ベック・グループで試みていたサウンドだった。『ラフ・アンド・レディ(原題:Rough And Ready)』『ジェフ・ベック・グループ(原題:Jeff Beck Group)』の2枚のアルバムをその時期には残しているがクライヴ・チャーマン(Bass)、ボブ・テンチ(Vocal)というふたりの黒人アーティストを加え、ここからの付き合いとなるマックス・ミドルトンのクラビネットやハモンドを加えたサウンドはジャズとモータウン、ダニー・ハザウェイなどのニューソウルへの接近が感じ取れるのだ。2作目の『ジェフ・ベック・グループ』はプロデュースをブッカー・T&ザ・MG’sのギタリストであるスティーヴ・クロッパーに委ねるなど、いっそうジェフの狙いは明らかだった。
ことのついでにジェフの歩みとして書いておくと、第二期ジェフ・ベック・グループを続けるつもりだったジェフにレコード会社から横槍が入ったとも真相は分からないのだが、いったん第二期ジェフ・ベック・グループを解体し、元ヴァニラ・ファッジのティム・ボガード、カーマイン・アピスとパワートリオを組んでしまう。このトリオは第一期ジェフ・ベック・グループが解散した時に1度は組もうと試みられたメンツだったがジェフの交通事故で流れたプランだった。バンドは最初ロッド・スチュワートをヴォーカルに、あるいは第二期ジェフ・ベック・グループのボブ・テンチを加えて、ジェフとしてはR&B路線を続けたかったようだが、計画は頓挫し、結果はハードロック路線という、過去に戻る形になってしまった。残されたスタジオ作『ベック・ボガート & アピス(原題:Beck, Bogert & Appice)』はそれほど悪くない。だが、日本でのみ発売された大阪厚生年金会館 での実況録音盤『ベック・ボガート & アピス・ライヴ・イン・ジャパン(原題:Live in Japan)』を聴くとジェフがこのトリオに嫌気がさしていることが手に取るように分かる。メリハリのない、お決まりのスタイルで、手数が多いわりに凡庸に叩きまくるカーマイン・アピスのドラム、自己主張が強く、弾きすぎるベースにほとほとうんざりし、ベックも投げやりに弾いているように聴こえる。実際にコンサートに行った方、ライヴ盤を絶賛されていた方々には申し訳ないが、個人的にはこのトリオの活動は完全に失敗、時間の無駄だったと思う。
そして、目が覚めたかのようにベックは軸足を戻し、自分のギターサウンドだけでなく、アルバム全体を俯瞰して意見を出してくれるプロデューサーに制作を依頼するのだ。それがジョージ・マーティンが手がけた『ブロウ・バイ・ブロウ』 と『ワイアード』 の2作ということになる。