RADWIMPSの
哲学とロックバンドとしての
革新性を『アルトコロニーの定理』
から振り返る

『アルトコロニーの定理』('09)/RADWIMPS

『アルトコロニーの定理』('09)/RADWIMPS

3月11日、東日本大震災から10年という日にアルバム『2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs』を発表したRADWIMPS。今週は彼らの過去作品を紹介する。担当編集者からは“やっぱり『RADWIMPS 4〜おかずのごはん〜』ですかね?”とのアドバイスがあったのだが、個人的には本作が発売された2009年に最もよく聴いたアルバムであった『アルトコロニーの定理』をチョイスさせてもらった。本作はその年とにかくよく聴いた。何でそんなに気に入っていたのか客観的に考えたことがなかったのだけれど、今回改めて聴かせてもらって、この頃のRADWIMPSというバンドの特徴を整理することが出来て良かった(?)と思う。このアルバムは今でも2000年代邦楽屈指の名盤だと思っている。

独特のワードセンス

RADWIMPSのファンにはここで改めて説明するまでもないことだし、ファンでなくとも“そんなこと分かっとるわ!”とか突っ込まれそうだけれども、RADWIMPSの楽曲は言葉使い、言葉選びが独特だ。すなわちバンドのほとんどの楽曲を手掛ける野田洋次郎(Vo&Gu&Key)のワードセンスに特徴があるということだが、それはこの『アルトコロニーの定理』でも十分に発揮されていると思う。まずはそこから見ていこう。楽曲のタイトルからしてひと筋縄ではいかない。M1「タユタ」は“ゆらゆらと揺れ動いて定まらない様子”、または“気持ちが定まらずためらう様子”という意味の“揺蕩(たゆた)う”をもじったもの。M5「七ノ歌」の“なのか”やM9「雨音子」の“あまおとこ”などもあまり目にしない言葉だ。M11「魔法鏡」を“マジックミラー”と読ます辺りは、他のアーティストでも似たようなことやってそうだが、M13「37458」を“みなしごはっち”と読ませるのはそうはいないだろう。スピッツの「8823」など他にも前例がなくはないけれども、「05410-(ん)」(『RADWIMPS 4 〜おかずのごはん〜』収録)、「4645」(『RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』収録)もあったりするから、この辺はRADWIMPSの得意技(?)と言ってもいい気はする。M4「謎謎」も独特だと思ったが、いわゆる“なぞなぞ”もこの漢字を当てるようで、ことさらにバンドの特徴というわけではないけれども、“なぞなぞ”よりも「謎謎」のほうがまさに謎めいてRADWIMPSらしい感じはある。で、歌詞の内容はこんな感じ。

《さぁ無茶しよう そんで苦茶しよう 二つ合わさって無茶苦茶にしよう/さぁ有耶しよう そんで無耶しよう 二つ合わさって有耶無耶にしよう》(M2「おしゃかしゃま」)。

《俺は0でも1でも2でも3でも4でも5でも6でもない/だから ほんとはお前といるのは8でも9でも10でもない》(M5「七ノ歌」》。

《分かり合ってるふりはいいから 所詮僕らはアリスとテレス/なのになんでどうしてなぜ今日も 君はアルキメデス》(M7「ソクラティックラブ」)。

《「君」は7画で 「僕」は14画で/恐いくらいよく出来てる/僕は僕の半分しか/君のことを愛せないのかい》《このメロディーは/ド・ミ・レ・ド・ド》(M8「メルヘンとグレーテル」)。

無茶も無茶苦茶もあるが、“くちゃ”と読む“苦茶”という言葉はない(“にがちゃ”ならある)。有耶無耶はあるが“有耶”も“無耶”もたぶん単独で使うことはないはずだ。だけど、メロディーへのハマりの良さで、M2「おしゃかしゃま」の歌詞はあまり気にならないというか、そのウィットに富んだ感じに関心させられるほどである。M5「七ノ歌」の数字使い(?)は前述の通り、RADWIMPSの真骨頂。“ろくでもない”を《6でもない》、“とんでもない”を《10でもない》と当てるのは何ともらしい。M7「ソクラティックラブ」の《アリスとテレス》はおそらくそれほどに深い意味はないのだろうが(ソクラテスの弟子の弟子がアリストテレスとか、そのくらいはあるだろうけど)、何とも意味ありげというか、アリストテレスという人物名をふつに分けてしまうところに可愛さすら感じてしまうのは、ここまで説明して来たような、言葉遊びが随所にあるからで、聴いているこちらもそれに慣れたからだろう。M8「メルヘンとグレーテル」での《「君」は7画で 「僕」は14画で/恐いくらいよく出来てる》は、[歌詞を書いている最中に気づいたらし]く、凡人からしてみれば画数が倍だとして何だ…という話だが、《僕は僕の半分しか/君のことを愛せないのかい》とロマンチックにつなげるのは流石だと言える([]はWikipediaからの引用)。また、《このメロディーは/ド・ミ・レ・ド・ド》という辺りは、演劇や映画で言うというところの“第四の壁打破”にも似た手法であり、こういうことをするバンドも稀であろう。

寓話に近い哲学的な歌詞

それでは、それらの言い回しで紡ぐ歌詞の内容は…というと──。

《人はいつだって 全て好き勝手 なんとかって言った連鎖の/上に立ったって なおもてっぺんが あるんだって言い張んだよ》(M2「おしゃかしゃま」)。

《君は僕が愛しいと言うけど それは僕のナニを指すのだろう/僕を僕たらしめるものが何なのか 教えてよ》(M7「ソクラティックラブ」)。

《決まりきった世界で 僕はちゃんと生きてるよ/だから一つくらい僕にだって 決める権利は僕にだって/あるでしょう?》(M8「メルヘンとグレーテル)。

《一瞬たりとも同じ僕はいない それだけは忘れずに生きていたい》《全てが そこからの人生の 記念すべき一回目になんだよ/全てが そこまでの人生の 最後の一回になるんだよ》(M12「叫べ」)。

13曲全てがそうだとは言わないが、多くが哲学的だ。本作がリリースされた2009年に限らず、2021年の現在でも、1909年でも1809年でも通用しそうな内容である。また、M10「オーダーメイド」が最も顕著で、M4「謎謎」の他、M7、M8辺りもそうなのだが、説話や昔話、おとぎ話の雰囲気を持ったものも多い。長くなるのでこの辺の引用は止めておくが、M10はもろに物語調だし、それ以外ではメルヘンチックな言葉が踊っている。堅苦しい雰囲気はなく、小さい子でも分かる…とまでは言えないけれど、分かりやすい内容ではある。つまり、『アルトコロニーの定理』収録曲の歌詞、そのスタンスは寓話に近いものである。“アルトコロニー”とは昔話で言うところに“昔々あるところに”をもじったものであろうし、“定理”とは[数理論理学および数学において、証明された真なる命題]である([]はWikipediaからの引用)。アルバムタイトルがずばりそう言っているので、寓話に近いというのも的外れな話ではなかろう。普遍的な疑問、あるいは真理と思えるようなものを説話や昔話の形を借りながら述べて、しかもそこに、それまでRADWIMPS以外ではあまりお目にかかれなかった独自の味付けを加えている。それが『アルトコロニーの定理』の時点でのRADWIMPSの作風の特徴である。みなさんもよくご存知の通り、こののち、彼らは2016年に新海誠監督の映画『君の名は。』の劇伴を担当。主題歌『前前前世』を大ヒットさせ、バンド自体も大ブレイクに至った。そして、2019年に再び新海監督とタッグを組み、映画『天気の子』の音楽を手掛けたことも記憶に新しい。RADWIMPSと物語との親和性の高さは大ブレイク以前からその作品にはっきりと表れていたことを、ここに改めて記しておきたい。

OKMusic編集部

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