「暗譜」の習慣を作ったのは彼女だっ
た。クララ・シューマンという音楽家
のカリスマ性

ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。放課後の音楽室で、お茶を淹れながら「今の教科書」に載っていない音楽の話をしたいというコンセプトでお送りするこの連載。第2回目の本日は、ピアニストで作曲家のクララ・シューマン(1819-1896)を取り上げます。

「神童」では終わらない、クララの活躍
今日の1曲は、クララ・シューマン作曲『3つのロマンス Op.22』より、第2番です。
クララ・シューマンは旧姓をヴィークと言いまして、父親が高名なピアノ教師でした。クララを神童にすべく厳しく育て上げ、彼女の演奏旅行の引率をおこない、彼女にすべてをかけてきたのに、ヴィークの弟子のロベルト・シューマンとクララが結婚しようとするので、父親として猛反対。このいざこざは法廷までもちこまれます。
ところでクララの時代は、神童に夢をかける大人が一定数いました。子供がひとりで演奏旅行をすることは叶わないので、実質父親が自分の仕事を放り投げて引率兼マネージャーとなりました。そうなると一家の家計はすべて神童に任されます。このあたりは、別連載『モーツァルトとワイン旅行』に詳しいです。モーツァルトという成功例があったから、それにならえと子供を鍛えたケースは後を絶たず、ベートーヴェンもその一例です。
ヨーロッパの楽壇で、1750年から1850年のあいだに「神童」として活躍した記録が見つかる約300人のうち、およそ100人が女の子だったと言われています。当時の音楽家全体における女性の割合はおよそ20パーセントと言われているので、こと「神童」に絞ると女性比率が30パーセントを超えるというのは、高い数字であることがわかります。
彼女たちの多くは結婚によって演奏家としてのキャリアを終えました。「子供」は性別を超えた清らかな存在であるからすばらしいのであって、大人になってしまった少女は「女」でしかないと考えられていたため、“用なし” 扱いされる側面もありましたし(なんとひどい扱いでしょう)、あるいは演奏の能力を「嫁入り道具」と考える親もいました。
それでも、そんな風習にあらがって果敢に演奏活動を続けた女性たちがいます。中でもクララは特別に広く活躍し、名を残した演奏家です。
神童の父は、今で言う「毒親」?
さて、先述の通りクララとロベルトは裁判までして結婚を勝ちとったわけですが、この背景には父フリードリヒの強い執念があります。そもそもフリードリヒはクララが誕生する前から「生まれてくる子供が女の子だたら、偉大な芸術家に育てあげてやろう」と目論んでいました。男の子よりも女の子のほうが、「自分の言いなりにできる」と考えたためです(ちなみに現代では、性別が性格を作らないことは脳神経科学で証明されていますよ!)。運よく一番上のクララが音楽的に頭角を表したので、フリードリヒはクララに大きな期待を寄せます。
フリードリヒにとって、クララは自分の承認欲求を大いに満たしてくれる存在でした。家では「音楽教師」としてクララ以下子供たちを前に、「無知な聴衆」の中で唯一「つねに正しい意見を述べることができる権威者」としてふるまっていた様子が彼の自著から読みとれると、音楽学者フライア・ホフマンは指摘しています。
またクララとの演奏旅行中に彼が妻に送った手紙にはこんな記述があります。「(クララの)演奏を聴いたあとも、集まった人びとには、あの子自身と、教師をはじめさまざまな役割を担ってきた父親との、どちらにより驚嘆すべきかがわからないようだ。(中略)わたしは至って慎み深いので、これ以上のことはいわないでおこう」。
クララがキリスト教の儀式「堅信礼」をおこなった頃には(10代半ば)、フリードリヒはこのようにクララに書きました。「わたしはお前のため、お前の教育のために、およそ10年にわたる生涯の貴重な年月を捧げてきた。お前はわたしに対してどのような義務を負っているか、肝に銘じておきなさい」。
ロベルトと裁判になった際のエピソードは顕著です。フリードリヒはロベルトに、音楽的才能の証を見せるよう求め、「君の作った交響曲を見せていただきたいものだね」と問いかけます。ロベルトが「あなたのはどこにあるというんですか?」と返すと、フリードリヒは「子供たちこそが、わたしの交響曲だ」と答えたのだとか。これらを読むと、クララは父から逃れたかったのでは……などと勘繰ってしまいます。
クララがロベルトとの結婚を勝ちとったあと、がっかりしたフリードリヒは反省を生かすどころか、過ちを繰り返します。すなわち、クララの妹のマリーを「第二のクララ」にすべく、再び「ステージパパ」になるのです。しかしマリーはクララほどの華々しい活躍には至らず、神童としての活動を終えたあとは、父との直接対決を避けて生涯独身を通します。のちのち「神童を『作る』ために厳しい調教をしたのではないか」と世間から白い目を向けられたフリードリヒ。(それは事実なのですが)マリーは著書を通じて父の名誉を守る発言をしたほどに、父に尽くしました。
「暗譜」はクララから始まった
この時代、「娘は父の所有物」であるという考えが強い中で、つぶれることなく演奏家であり続けたクララは、相当強い人であったのだろうと推し量れるわけです。当時は「男性演奏家」と区別するために、女性演奏家はわざわざ「〇〇令嬢」と呼ばれていたにも関わらず、クララだけは単に「クララ・ヴィーク」または「かのヴィーク」と呼ばれるほど、人々から認められた音楽家でした。そのように「演奏家」扱いをしてもらえた女性はクララが最初であったと言われています。
クララの活躍は一大センセーションでした。特に彼女が残した影響として大きいのは「暗譜」でしょうか。それまで譜面というのは「作曲者への敬意を示すために」本番でも舞台に置くのがならわしでした。とは言っても、演奏中にそうそう譜面をうまくめくれるとも思えないので、当時の人だって奏者はあらかた覚えていたのではないかとわたしは思いますが、なんとクララは譜面を「置かない」という行動に出ます。結局これが習慣となって現代まで続いているわけですから、音楽史の中では特筆に値する影響力があります。
今の音楽史では、どうしてもロベルトのほうが先に語られてしまいますが、ロベルトの作品が広まったのも、時の人クララが夫の曲をひっさげて演奏旅行に出かけたからこそ。当時は演奏家と作曲家がニアリーイコールだったために、同時代で言えばリストが顕著ですが、自作を演奏するのが演奏会の主流でした。だからクララがしたのは「新しい」ことだったわけです。
でもクララ自身にも作品があります。ピアノ・ソロのための作品や歌曲を残しており、彼女の作品リストはそのまま彼女のレパートリーであったことは、想像に難くありません。ピアノ・トリオも一曲書いているものの、ヴァイオリンのための曲はこの『3つのロマンス』が唯一です。一体彼女はどこの演奏会で誰とこの曲を弾いたのでしょうか。クララに敬意を表して、わたしも暗譜でこの曲を弾いてみました。
欧州大陸と英国を繋ぐ駅、限定の茶葉
本日のお茶はフォートナム&メイソンの「セント・パンクラス・ブレンド」。この茶葉はロンドンのセント・パンクラス・キングス・クロス駅構内のショップ限定のものです。
クララは演奏旅行でロンドンを訪れたことがあります。当時は船でドーバー海峡を渡ったでしょうが、今はドーバー海峡の底を高速鉄道が通っています。ユーロスターと呼ばれる高速電車は、ロンドンとパリを2時間で繋ぎ、パリからさらにオランダはアムステルダムに通じています。
モーツァルトの頃は演奏旅行というと馬車でしたので、事故も起こりやすいし、時間もすごくかかって、旅というのはかなり危険を伴うものでした。でもちょうどクララが演奏旅行をする頃には、ヨーロッパ大陸にも鉄道が広まって、旅の難易度はぐっと下がりました。そうした時代の変化も、クララの国際的な活躍を後押ししたでしょう。
それでは、また近いうちにお会いいたしましょう。次はどんな作曲家が登場するでしょうか、ぜひお楽しみに!
フォートナム&メイソン ロイヤルブレンド ティーバッグ
参考文献
Fine, Cordelia. “Testosterone Rex: Myths of Sex, Science, and Society” New York: W. W. Norton & Company, 2017.
HARADA Maho. “Maho plays Romance by C.Schumann #maketeaplaymusic.” YouTube video, 00:05:02. 9 March 2021. Accessed 16 January 2022. https://youtu.be/hqHunxIak0k.
Herzfeld, Friedrich. “leine Musikgeschichte für die Jugend” Watashitachi no ongakushi わたしたちの音楽史(上)(下) [Little music history for young people]. Shinsho edition. Translated by WATANABE Mamoru. Tokyo: Hakusuisha Publishing Co.,Ltd. 株式会社白水社, 2010.
Hoffmann, Freia. “Instrument und Körper: Die musizierende Frau in der bürgerlichen Kultur” Gakki to shintai 楽器と身体 [Instrument and body]. Translated by SAKAI Yoko and TAMAGAWA Yuko. Tokyo: Shunjusha Publishing Company 春秋社, 2004.
Wikipedia in English. “Clara Schumann.” Accessed 16 January 2022. https://en.wikipedia.org/wiki/Clara_Schumann.

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