「黄昏のビギン」はいかにしてスタン
ダード・ソングとなったか 名プロデ
ューサーの快著を読む

「黄昏のビギン」という歌謡曲をご存知だろうか。

 作詞は永六輔、作曲は中村八大。そもそもは、デビュー曲「黒い花びら」で第1回レコード大賞を受賞した水原弘の、2枚目のシングルB面として1959年10月に発表されたものだが、B面ということもあり、ほとんど反響もないまま埋もれていた。

 ところが、30余年を経た90年代以降、にわかに幾人もの歌手によってカバーされ始め、そして今や戦後歌謡曲屈指の名曲という評価をたしかにしつつある——「黄昏のビギン」はそんな数奇な運命を辿った歌である。

 これまでカバーした人たちは、ちあきなおみ中村美律子憂歌団木村充揮石川さゆりさだまさし菅原洋一中森明菜中村中稲垣潤一岩崎宏美、鈴木雅・鈴木聖美小野リサ、松原すみれ(セルジオ・メンデスとのコラボ)、薬師丸ひろ子といったところで、いずれ劣らぬ実力派が並ぶ。

 再発見の契機となったのは、ちあきなおみが91年に『すたんだーど・なんばー』という昭和の流行歌をカバーしたアルバムで取り上げたことだった。当時はほぼ忘れられた歌だった「黄昏のビギン」を、ちあきは、幕開けの曲に選んだのである。

 アルバムタイトルに込められた意気込み通り、「新たなる日本のスタンダード・ソングが生まれたことが、聴いていくうちにはっきりとわかった」と著者は記す。ただし、このカバーによってすぐさま「黄昏のビギン」がリバイバルヒットしたわけではなく、雌伏はもうしばらく続くことになる。

 スタンダード・ソングとは何か。本書の扉にその定義が書かれている。

「スタンダード・ソングとは長年にわたって歌い継がれ、演奏され続けることで親しまれるようになった楽曲のことである。時空を超えて、国境を越えて生きているスタンダード・ソングには、歌い手や演奏家によっていつも新しい息吹が加えられている」

 だが日本にはなかなかスタンダード・ソングが誕生しなかった。戦後も音楽業界に旧弊なシステムが残り続けたのが主な原因だが、そのシステムに風穴を開けたのは他でもない永六輔と中村八大の六・八コンビであり、「黄昏のビギン」が長い時を超えスタンダード・ソングとなりおおせたことは、数奇ながら宿命めいた出来事だったのだ。

 本書のタイトルが『「黄昏のビギン」の物語』となっているのはそれゆえであり、ちあきなおみ、中村八大、永六輔、水原弘、渡辺プロの渡邊晋といった登場人物たちそれぞれの物語の交わりとして、「黄昏のビギン」の誕生からスタンダード・ソングとなるまでの物語は描き出されていく。

■「黄昏のビギン」が成立した背景

 とりわけページを割かれているのは、中村八大と永六輔の六・八コンビについてだ。

 シングルB面として発表されたもののパッとせず忘れられていた曲が、ある一人の歌手によって発見され、新たな生命を吹き込まれてリバイバルした。

 表面的にはそれだけの話だが、著者の佐藤剛はこの経緯を、偶然ではなく、必然だったと見なしている。だからこそ物語は紡がれねばならなかったのである。

 佐藤がそう考えるようになったのは、永六輔が、「黄昏のビギン」の作詞は、自分じゃなくて中村八大だと漏らしたことがきっかけだった。『中央公論』2013年1月号で対談したとき、永は佐藤にこう切り出したのだった。


永 実はあの歌、八大さんがつくったんです、作詞も作曲も。
佐藤 (驚いて)エッ、作詞もですか。
永 僕じゃないんです。でも八大さんが「君にしておくね」って言って。(…)それで八大さんは、自分で作詞・作曲をしたから、あれが一番好きなの。


 半世紀後に明かされた驚きの事実だが、佐藤は驚くだけで済ませずに、「黄昏のビギン」という曲が成立した背景と、いうなれば創造の秘密へと分け入っていく。この本がなかば、中村八大と永六輔の評伝の体を呈しているのはそのためである。

 綿密に調査し、集めた情報を分析して仮説を立て、検証していく。

 佐藤のやり方は極めて実証的で、主観や思い入れが先行しがちな音楽評論とは一線を画している。といって学術書みたいに堅苦しいというわけでもない。

 調査の過程でも、これまで知られていなかった新事実がいろいろ見つかっている。

 最大のトピックにして秘密を解く鍵となっているのは、「黄昏のビギン」にはいわば草稿というべき原型があり、水原弘が歌う以前に、映画の劇中歌として歌われていたという発見だろう。

 58年からのロカビリーブームを当て込んで、東宝は59年に2本のロカビリー映画を作った。『青春を賭けろ』と『檻の中の野郎たち』がそうだ。どちらもほぼ同じスタッフ、出演者で撮られた映画で、中村八大と永六輔のコンビが誕生したのも、これらの映画に使う音楽を中村が任されたことに端を発している。

 ドラッグ中毒から抜け出した中村が音楽家としてやっていく決意を新たにし、行き違いから疎遠になっていた渡邊晋に「なんでもいいから譜面を書く仕事をください」と頭を下げ、演出家の山本紫朗に紹介されて映画の仕事にありつき、だが詞をどうしよう、作詞家なんか一人も知らないしと日劇前を歩いていたら早稲田大学の後輩の永六輔にばったり出くわして、作詞などそれまで一行もしたことがなかった永とコンビを組むことになる……といった成り行きも、ドラマチックというか行き当たりばったりで面白いのだが、詳しくは直に読んでいただくとして先を急ごう。

 ともあれそうして即席で生まれた六・八コンビは、山本紫朗に一晩で10曲作ってくるよう命じられ、10曲仕上げた。水原弘のデビュー曲「黒い花びら」もそのうちの一曲で、もともとは『青春に賭けろ』の主題歌だった(「黒い花びら」の発売を巡っても一悶着あったのだが)。

 中村と永がこの晩に作った10曲のうちに「黄昏のビギン」も含まれていたのではないか。そう推理した佐藤は、一度もソフト化されたことがない映画の録画DVDを知人から入手し、果たして『檻の中の野郎ども』の劇中で、名もない挿入歌として同じメロディが歌われているのを発見するのである。

 しかし、歌詞は違っていた。劇中歌の歌詞こそ永六輔が書いたものであり、それを中村八大が改変して「黄昏のビギン」の歌詞は出来上がったのではないか——。

 双方の異同を付き合わせた佐藤は、得られた手掛かりと、収拾したデータから、さらにそんなふうに推理を展開していく。

 その一方で、幼少時から基地を回って歌っていたちあきなおみが、中村八大と接点を持っていた可能性、「黄昏のビギン」を耳にしていた可能性をつぶさに検討していく。むろん、ちあきが「黄昏のビギン」を歌ったことが、偶然ではなく必然であったことを示すためだ。

■著者・佐藤剛の狙いと、その経歴

 中村八大は1992年に没した。

 中村の死から数ヶ月後、ちあきなおみは、夫・郷鍈治が死去したのを境に表舞台から姿を消した。以来今日までもう20年以上も沈黙を続けている。

 佐藤の推理は結局のところ、説得力のある仮設の域に留まるだろう。

 しかしそれでもいいのだ。佐藤の目論見は、「黄昏のビギン」という希有な楽曲にまつわる事実をクリアにすることだけにあるわけではないし、当事者の証言があれば必ず真実に近づくというものでもない。

 歌というものがいかに不可思議なプロセスで生み出されるものであるか。一度生まれるや、いかに歌い継がれるべくして歌い継がれていくものであるか。

 そして何より、中村八大と永六輔のコンビが、いかに長く歌い継がれる歌を常に念頭に置き、既存の方法やジャンルに縛られない柔軟なソングライティングで実現していったか。

 事実を追究する過程を通じて、そうした機微を詳らかにすること。それもまた、あるいはそちらこそが本書の狙いであるからだ。


 本書は佐藤の2冊目の著作となる。前著『上を向いて歩こう』(岩波書店)は、日本の歌では唯一ビルボード1位を獲得した、最近ではBBCが「世界を変えた20曲」の8位に選んだこのスタンダード・ソングの真実と事実を、世界の音楽史のなかに位置付けて追ったものだった。「上を向いて歩こう」も六・八コンビによる楽曲であり、本書『「黄昏のビギン」の物語』は前作のスピンオフという性格を持つ。あわせて読むとより細部と全体を把握できるだろう(ちょっと重複が多いけど)。

 著者の佐藤剛は、70年代から音楽業界に携わり、ザ・ブーム、宮沢和史、ヒートウェイヴ、中村一義ハナレグミ、小野リサなどを手掛けてきた音楽プロデューサーである。先般、世界的なヒット作となった由紀さおり&ピンク・マルティーニ『1969』も佐藤の仕掛けだ。冒頭で触れた、松原すみれとセルジオ・メンデスのコラボによる「黄昏のビギン」にも、本の中にそのいきさつが書かれているが、佐藤が関わっている。

 自身のツイッターで佐藤は「新米の物書き」と謙遜していたけれど、すでにおわかりのように、実に手強い「新人」である。(栗原裕一郎)

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