故郷ロシアを胸に、ストラヴィンスキ
ーとシャガールが描いた極彩色のバレ
エ『火の鳥』

知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回のテーマはバレエ『火の鳥』です。

火の鳥というと、日本では手塚治虫の漫画『火の鳥』が連想されるかもしれませんが、その原作はこのバレエ作品です。燃えるように赤い火の鳥は、魔法の力をもつ伝説の鳥。1910年初演のバレエ『火の鳥』は、ロシア民話を用いて広く評価された歴史的な作品です。
本稿では音楽はストラヴィンスキー、舞台美術と衣装はシャガールのものをご紹介します。彼らが描いた火の鳥は一体どんなものなのか? バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)がめざした真の“ロシア的”な芸術に迫っていきます。
ストラヴィンスキーの出世作『火の鳥』
バレエ・リュスは20世紀ヨーロッパを驚かせた気鋭のバレエ団。ロシア人興行師ディアギレフがロシア人ダンサーや芸術家を呼び寄せ、新たなバレエの歴史を作りあげました。自分たちのルーツに根ざした“ロシア的”なバレエを構想したディアギレフは、火の鳥が出てくる複数のロシア民話を組みあわせて、新しい物語を作りました。
舞台は魔王カスチェイの魔法の森。火の鳥は黄金のリンゴを食べに魔法の森にやってくる。火の鳥を追いかけて森に迷ったイワン王子はその羽根を手に入れる。そしてカスチェイにとらわれた13人の王女を発見する。一人の王女に恋してしまい、カスチェイと手下たちと戦うこととなる。さて火の鳥はイワン王子の救いとなるのか、カスチェイに勝つことはできるのか…。
 
『火の鳥』初演時A・ゴロヴィンによる舞台絵(出典:wikipedia)
駆けだしの作曲家だったストラヴィンスキーに『火の鳥』の作曲依頼が舞い込みます。注目の興行師ディアギレフからの誘いに、ストラヴィンスキーはそれまでの仕事を中断して取り組みました。
ストラヴィンスキー バレエ音楽『火の鳥』(1910年版)
全体を通してカラフルで聴き手を楽しませる音楽ですが、『火の鳥』で特徴的なのは民謡のメロディではないでしょうか。「王女たちのロンド」のオーボエソロ(22:36)、「火の鳥の子守歌」(40:03)、フィナーレ部分「カスチェイの城と魔法の消滅」(45:32)で何度も繰り返されるメロディはどれもロシアに古くから伝わる民謡です。『火の鳥』における“ロシアらしさ”は、これら民謡のおかげでしょう。日本人である私たちにも、どこか懐かしく響くのも不思議です。
民謡を使っても決して田舎くさくならないのがストラヴィンスキーの手腕でしょう。「カシチェイの凶悪な踊り」でのトゲトゲしい金管楽器と鋭いリズム、火の鳥の羽根の震えのようなフルートの動きは、それぞれのキャラクターに合わせて作曲されています。さらにイワン王子や王女ら人間には聞きやすい調性のメロディ、火の鳥や魔王カスチェイなどの超自然的な生き物には非・調性和音や半音階を多く使うといった工夫がみられます。
『火の鳥』はストラヴィンスキーの出世作となり、その後もバレエ『ペトルーシュカ』『春の祭典』の音楽を手がけました。当時にしてはかなり野心的だったそれらの音楽は、聴衆にとって衝撃的だった、というのは有名な話です。
シャガールが美術・衣装を手がけると……
1910年の初演ではロシア人画家ゴロヴィンとバクストが素晴らしい美術を手がけていますが、それから35年後、画家シャガールのもとにアメリカのバレエ団から依頼が舞い込みます。バレエ『火の鳥』の新しい美術・衣装の仕事です。
シャガール『火の鳥』舞台幕デザイン(出典:ロサンゼルス・カウンティ美術館)
シャガール『火の鳥』背景画(出典:雑誌WWD)
ニューヨーク・シティ・バレエ団によるバレエ『火の鳥』シャガールの衣装デザイン(出典:New York City Ballet HP)
舞台の幕、舞台の背景画、何十種類に及ぶ衣装は高く評価されました。
一目でシャガールとわかるタッチですが、なんとも不思議な絵ではありませんか? 特に一枚目に描かれた白い鳥(おそらく火の鳥)は印象的で、女性と合わさり、その頭はひっくり返っています。この摩訶不思議なアイデアは一体どこからやってきたのでしょうか。その答えは、彼の育ったルーツがありました。
シャガールの故郷ヴィテプスク(現ベラルーシ、当時はロシア領土)では、住民の半数がイディッシュ語を話すユダヤ人でした。シャガールはイディッシュ語・ロシア語に加えフランス語も話しましたが、アメリカ亡命中はユダヤ人街に出入りしイディッシュ語の新聞を読んでいたそうです。
書籍『ああ、誰がシャガールを理解したでしょうか?』(圀府寺司ほか著)には、絵とイディッシュ語の影響について書かれています。たとえばイディッシュ語では、「混乱している」または「何かに夢中になっている人」のことを「頭がひっくり返っている」というフレーズで表現するそうで、シャガール絵画によく登場する、頭がひっくり返った人物はそこから着想されているのです。シャガール初期の絵にはこのような彼の故郷とつながった表現が多くあります。イディッシュ語からのアイデアは、ヨーロッパではユニークな表現として人気を博したのです。
(ストラヴィンスキーの『火の鳥』を聴きシャガールは)たちまち音楽の中に漂い始め、その力強い古風なリズムに完全に身を委ねていた。-中略- マルク(シャガール)の『火の鳥』の中では、なにもかもが空を飛びまわっていたのだから、そこで踊る踊り子たちは天人のように見えるに違いなかった。
ヴァージニア・ハガード著『シャガールとの日々-語られなかった7年間』より引用
シャガールの伴侶だったハガードはこのように回想しています。ストラヴィンスキーとシャガールに特別な交友関係はありませんでしたが、生涯を戦争に翻弄され、母国にも簡単には帰れないという、共通の複雑な思いを抱えていたと思われます。火の鳥に導かれるように、彼らの芸術はファンタジーと故郷が入り混じったユニークなものとなったのです。
幸福か災いか、神秘のキャラクター「火の鳥」
そもそも火の鳥とはどんなモチーフなのでしょうか? ロシア民話の本で描かれた挿絵はこのようなものです。
ビリービン『イワン王子と火の鳥と灰色狼』(出典:wikipedia)
ポレノヴァ『イワン王子と火の鳥』(出典:wikipedia)
お話にでてくる火の鳥は、火・熱・太陽の象徴とされています。その羽根は一本で部屋を明るく照らすほどの力があり、「力強さ」「不朽」を連想させるモチーフとしてロシアで愛されてきました。ソチ・オリンピック(2014)では聖火トーチのデザインにもなっています。一方ロシア民話では、火の鳥は災いを呼ぶともいわれています。触れるとヤケドをする、また人間がその羽根の魔力をめぐってトラブルを起こすからです。つまり火の鳥は、幸福と災いの両方をもたらす存在なのです。
さらにバレエでは女性ダンサーが火の鳥を踊ったことで、「魅力的な女性」としての一面が加わりました。
火の鳥役 タマラ・カルサヴィナ(出典:wikipedia)
作曲者ストラヴィンスキーは華奢ですらりとした火の鳥役を想定したそうですが、実際には写真のタマラ・カルサヴィナという曲線的な体系のダンサーが踊りました。王子と火の鳥のパ・ド・ドゥでは、ストラヴィンスキーの音楽もあいまって、火の鳥が動物にも妖艶な女性にも見えてくるのが不思議です。
魔法の羽根をもち、人間を翻弄する火の鳥。バレエ・リュスが真の“ロシア的”なバレエを計画したとき、火の鳥は絶好のモチーフでした。ヨーロッパの聴衆にとっては新鮮に、ロシア人にとってはノスタルジックに映ったのです。
ロシア民話で火の鳥は「救い」か「災い」か、どちらとも描かれていません。ただ火の鳥は人間を魅了します。火の鳥は何を象徴するのだろう、私たち人間の欲望を引き出すのか、もしや手塚治虫が描こうとしたものなのかな……など、筆者の頭の中で火の鳥はぐるぐると回っています。
皆さんはいかがでしょうか。ぜひ想像をふくらませてみてください。

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