INTERVIEW | Taishi Sato誰のためで
もなく私自身のために──音楽家・T
aishi Satoが踏み出した新たな一歩
誰のためでもなく私自身のために──
音楽家・Taishi Satoが踏み出した新
たな一歩

Taishi Satoが初のソロ作『抱擁 / オネスティ』を2月にリリースした。
ライブサポートや楽曲プロデュースなど、近年のODD Foot Worksにとって必要不可欠の存在としても知られるTaishi Sato。また、入江陽やSalanなどの作品にも携わり、ぷにぷに電機のライブサポートも行うほか、ODD Foot Worksのギタリスト・Tondenheyこと有元キイチと共にユニット・Zattaを組み、これまでにEPとアルバムをそれぞれ1作ずつ発表している。
そんな縁の下の力持ちとして暗躍してきたTaishi Satoから届けられた本作は、極めて私小説的な響きと同時に、普遍的なポップネスを湛えた一作となっている。力強い鍵盤が牽引するビートレスなデジタルクワイア“抱擁”、音身近な音楽仲間たちと作り上げた、生楽器の芳醇なアンサンブルがパッケージされた“オネスティ”。2曲ともまるで自分に歌いかけるような力強さと切実な感情が込められた作品だ。
《誰の為? 私自身の為? お金の為? 私自身の為?》(“オネスティ”)──果たしてTaishi Satoはなぜ今、自身で歌うことを選んだのか。新たなキャリアの歩み始めたSato Taishiにインタビューに、これまでの足取りを振り返りつつ、音楽家としての素直な胸中を語ってもらった。
Interview & Text by Takazumi Hosaka
Photo by Kota Ishida
バンド音楽との出会い、「ベーシストはいぶし銀」
――Taishiさんの音楽的原体験を教えて下さい。最初に意識して音楽を聴いたのはいつ頃ですか?
Taishi:なんだろう……一番最初に買ったCDはORANGE RANGEのミラーボールのジャケのアルバムだったと思います。
――『musicQ』(2004年)ですね。
Taishi:そうです。たぶんテレビで流れてきたのを耳にしてだと思うんですけど。そのアルバムをCDウォークマンで聴きながら一輪車に乗ってました(笑)。
――(笑)。
Taishi:そこで「バンド」っていう形態があるんだっていうことを知って興味を持つのと同時に、漠然とした憧れを抱いたんですよね。人が複数集まって音楽をやってるけど、どうやら歌わない人もいるらしい。テレビによく出ているアイドルやボーカルグループとどう違うんだろう? って。それで中2のお正月頃かな、お年玉を使ってベースを買いました。
――いきなりベースだったんですね。
Taishi:ボーカルは恥ずかしいし、ドラムは場所取りそう、ギターより弦の少ないベースの方が簡単なんじゃないかって思ったんです。あと、ネットで調べたら「ベーシストはいぶし銀」みたいなことが書いてあって、当時中学生であまり意味もわかってなかったんですけど、何かカッコいいなって思って。ただ、中学時代はバンドを組む人が見つからず、家で教則本とかを見て、ひとりで練習してました。バンドを組んだのは高校で軽音部に入ってからですね。
――高校時代はどのような曲を演奏していましたか?
Taishi:なんだろう……最初はRamonesとかThe Whoとかですかね。本当はONE OK ROCKとかやりたかったんですけど、難しくてできないから簡単なものを、ということで。RamoneやThe Whoもちゃんとカバーできてたのかって言われると怪しいんですけど。とにかく楽しければいいやって感じでやってました。
――そういったクラシックなロックにはどのようにして辿り着いたのでしょうか。
Taishi:軽音部の先生がすごい音楽好きで、部室に色々なCDが置いてあったんですよね。そこで色々な音楽を知ったり、あとはメンバーそれぞれ好きな音楽を教え合ったり。あとはレッチリとかも好きでよく聴いていたし、そこからブラックミュージックに流れ、〈Motown〉系にハマったり。日本だとBLANKEY JET CITY斉藤和義さんとかをよく聴いてましたね。
――現行のものより、どちらかというと過去の音楽に惹かれることが多かった?
Taishi:そうですね。シンプルというか、何をやってるのか、どう演奏しているのかがわかりやすい音楽を好んで聴いていた気がします。シンプルなんだけど、熱を感じるというか、そういうものに惹かれていましたね。たぶん、それは今もあまり変わっていないと思います。
――バンドでオリジナル曲はやらなかったんですか?
Taishi:挑戦はしたんですけど、誰も曲の作り方を知らなかったし、勉強して一朝一夕でできるものでもないので、最終的にはセッションにポエトリーリーディングを乗せる、みたいな感じになりましたね(笑)。ワンコードでそれぞれ好き勝手に弾いてる中で、ボーカルが語る、みたいな。
有元キイチとの出会い、Chance The Rapperから受けた衝撃
――大学時代はどうですか? そのままバンド漬けの日々を送っていたのでしょうか。
Taishi:バンドばっかやってたのは変わらずなんですけど、サークルは1週間で辞めちゃって。結局、高校時代の先輩とバンドをやることになりました。
――差し支えなければ、サークルを辞めた理由についても教えてもらえますか?
Taishi:ミッシェル(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)が好きだったので、彼らが在籍していた明治学院大学の「ソングライツ」という有名なサークルに入ろうと思って、それをモチベーションに受験勉強を頑張ったんです。無事に大学に合格してサークルに入ったんですけど、何か満足しちゃったんですよね。僕、結構こういうことがあって。目標を達成すると、急に「もういいや」っていう気持ちになるというか。我ながら、本当に非合理的だなって思います。
――決してサークルに対してネガティブな感情を抱いたとかではなく、自分の気持がシラけてしまったと。
Taishi:はい。サークルのみなさんは本当に優しくて。……でも、今振り返ればその優しさも嫌だったのかも知れません。嫌というか、気を遣ってくれることに対して居心地の悪さを感じてしまうというか。結局は自分の問題なんですけど。
――なるほど。(有元)キイチさんとの出会いも大学ですか?
Taishi:さっきお話した通り、高校の先輩のバンドに後から入る形で合流したんですけど、そこでギターを弾いてたのがキイチだったんです。金額を抑えるためにいつも深夜にスタジオに入ってたんですけど、練習終わりにいつも嫌そうな顔で車で送ってくれた記憶があります(笑)。
――(笑)。そのバンドはその後も長く続いたのでしょうか。
Taishi:僕が大学に在籍していた4年間はずっと続いていましたし、それ以前からのことも考えると、かなり長く活動していたことになりますね。多いときだと月に4〜5本ライブもやってましたし、オーディションなどにも参加したり、結構本気で活動していました。でも、みんな大学卒業したりするタイミングで一回立ち止まって、自分たちのことを見つめ直すことにして。それで話し合った結果、活動休止にすることになりました。
――Taishiさんはそのとき、自身の今後についてどのように考えていましたか?
Taishi:あまり深くは考えてなかったんですけど……(笑)、漠然と音楽は続けたいなと考えていて。それ以降は知り合いのバンドのサポートなどを不定期でやったりしていく中で、キイチが「何か一緒にやってみない?」「曲を作ってみたら?」って言ってくれて、それがZattaに繋がり、僕もDAWを触るようになりました。
――DTMで曲作りを始めた当初、どのようなサウンドを作っていたのでしょうか。
Taishi:その頃にたしかChance The Rapperの『Coloring Book』(2016年)がリリースされたんですよ。それまでの僕は〈Motown〉系だったりSteely Danとか、生楽器で演奏されている音楽ばかり聴いてきたんです。プレイヤーとして糧になるような。それが、Chanceの場合は色々な音が入ってるし……
――生楽器なのかソフトの音色なのか、その境界線も曖昧ですよね。
Taishi:そう。色々混ざってるけど、トータルの音像としてめちゃくちゃカッコいい。そこに感激して、すごい影響を受けました。
――Zattaの1st EP(2018年リリースの『雑多』)の頃から、Chanceや彼ら周辺のシカゴ勢が得意としていたゴスペルフィーリングなサウンドを取り入れていましたよね。それこそ自身でラップをしてみようとは思わなかったんですか?
Taishi:実はひっそりと挑戦してみたこともあるんですけど、難しくて。「やっぱり無理だな」ってなりました(笑)。ただ、そういうひとり遊びみたいなことはずっと好きで。ベース買ったばかりの頃もひとりでずっと練習してましたし、バンドが止まってからもひとりで黙々とトラックを作ってました。
「挑戦してみる前から諦めるのは違うなって」
――ZattaとしてはEPから2年空けて、2020年に1stアルバム『ZATTA 2』をリリースしました。
Taishi:キイチはODD Foot Worksとして活動を始めましたし、マイペースに作ってたので時間がかなり空いちゃいましたね。お互いの波長が合ったら制作を進める、という感じでした。基本的に何かに目掛けて作ろうってなることはなくて、僕が「いい感じのトラックできた」って声を掛けることもあれば、キイチからデモを送ってくることもある。普段から好きな音楽を教え合ったりして、お互いの音楽の趣味もある程度共有していますし。
――ODD Foot Worksの制作やライブサポートにはどのような経緯で加わることになったのでしょうか?
Taishi:キイチと一緒に暮らしてたとき、よくODDのメンバーがうちに来て制作したり、お酒を飲んだりすることがあって。自然な流れで部分的に少し手伝ったり、絶妙な距離感で以前から関わっていたんです。それでとある飲み会のときに、「サポートで入ってよ」みたいな感じで言われて、勢いで参加することになりました。
――制作面で本格的にジョインしたのは、2022年リリースのアルバム『Master Work』からですか?
Taishi:そうですね。その当時、僕とYohjiさん(Yohji Igarashi、DJ/プロデューサー)の2人がサポートで入ってたんですけど、2人とも曲作れるから、「全員で制作しよう」という話は前々から出ていて。『Master Work』へ向けて本格的に動き始めたときに、一回渋谷の貸し会議室で長いミーティングをしたんですよね。先に仮のトラックリストを書き出して、「この曲は誰々が担当」みたいな感じで振り分けていって。ODDは基本的にトラック先行が多いので、基本的にはひとりで作ってから投げるんですけど、このときは一緒に合宿とかも行きましたね。
――ライブサポートを重ねていくうちに、自然とチームの一員となっていったというか。
Taishi:僕としてもライブより制作が得意なので、嬉しかったですね。
――ODDチームとの制作で印象的な出来事、もしくは新たな気づきや発見はありましたか?
Taishi:とにかく自由っていうか、バンドなんだけど、主導権はあくまでも曲を作ってる人にある。それがちょっと意外でしたね。基本的に各々が自由に作ったものを、メンバーそれぞれがジャッジする。そこで全員が「いいね」ってなればリリースに至る、みたいな。もちろん最後の仕上げは全員で意見を言い合いますけど、そこまでは基本的に作曲者に任せられている。
――なるほど。
Taishi:気づきというか、再認識した点でいうと、やっぱり楽しく作らないとダメだなっていうことですね。制作しているときに曇っている気持ちがあると、それがどうしても出てしまうというか、悪い意味での引っ掛かりになっちゃうと思うんです。作っている人が純粋に楽しみながらじゃないと、他人にも響かないというか。わざわざ言葉にして確認することはないけど、たぶんODDのメンバーもそういう感覚をもっているんじゃないかなって。
――ODDの制作やライブに参加して以降も、自身の曲は作り続けていたのでしょうか。
Taishi:はい。Chanceの『Coloring Book』の影響がデカくて、DTMで作ってるんだけどベッドルームからどうにか出ていけるような、そんなサウンドを当時志向していた気がします。管楽器やストリングスを使ったりして、リッチな音像、あとは華やかで景気のいい雰囲気の曲を作りたくて。元を辿れば〈Motown〉に惹かれたのも、そういうリッチで華やかな要素が大きかったのかも知れません。
――それは今回リリースされたシングルにもどこか通底しているように思います。改めて、自身で歌うようになったきっかけや経緯などを教えてもらえますか?
Taishi:今後も音楽を作ることは一生続けていくとして、挑戦してみる前から諦めるのは違うなって思ったんです。長く続けていくなかで、自分に刺激を与えたいなとも思いましたし、そもそも全く興味がないことではなかった。インストだけ作るのも素晴らしいことだとは思うんですけど、僕の場合はやっぱり歌モノも作りたかったので。
――そういった考えはきっと様々な経験が積み重なっていった結果生まれたものなのでしょうか。それとも何かトリガーを弾くようなきっかけがありましたか?
Taishi:一昨年くらいにキイチのソロライブを観たことが大きいかも知れません。よく考えたら自分の周りにはすごい才能に溢れてる人たちがいるし、自分も挑戦してみないともったいないよなって。誰に止められてるわけでもないですし。
あと、やっぱりプロデューサー、トラックメイカーとして歌モノの曲を作るとき、自分で歌わない場合はやっぱりフィルターが1枚入ってる感じがするんです。もちろんそれがいい方向に作用することもあるんですけど、どこかで物寂しさを感じる部分もあって。自分の曲を自分で歌ったらそれがなくなるのかなと。
――実際、自分が歌う楽曲を完成させて、その感覚は解消されましたか?
Taishi:作ってみて、「100%自分」っていう曲はできないのかもしれないって思いました。結局自分がやりたかったことって、自分で主題を決めて、最後まで舵を取ることだったんだなって。それができるのであれば、他の方にボーカルをお願いしてもいいのかもしれない。ただ、今回のシングルではそういう気づきも含めて、達成感を感じることができました。挑戦してよかったなって思います。
「溜まっていたものを少し外に開放できた気がする」
――シングルに収録されている“抱擁”、“オネスティ”はどちらも最初から自分で歌うことを想定して作り始めたのでしょうか。
Taishi:そうですね。2曲とも歌を作ったあとからトラック制作をしたので、これまでの制作とは大きく異なるアプローチになりました。シンプルにMIDI鍵盤でコードを弾きながら仮のメロディや歌詞を考えていって、後から肉付けしていくという。いわゆるSSWの人だったらギターを弾きながら作ったりすると思うんですけど、僕の場合はギターが弾けないので、結構DTMっぽい作り方になりました。
――最初に作り始めたのは?
Taishi:“オネスティ”ですね。
――では“オネスティ”から、最初にどのような種を見つけて、そこからどう膨らませていったのかを教えてもらえますか?
Taishi:歌詞の面できっかけになったのは、当時お付き合いしていたパートナーから、「なんで音楽をやってるの?」って聞かれたことですね。ネガティブな意味合いではなく、シンプルな疑問として。改めて問われたことで、自分も「どうしてなんだろうな」って考え直すきっかけにもなったんですよね。だから自分と向き合って、自分のアティチュードについて書いたんですけど、そこに自然とパートナーへの愛みたいなものも混ざってきて。歌詞を書くのって本当に難しいなって思ったのと同時に、セルフケアにも繋がると思いました。自分の深層心理みたいなものに触れられるというか。
――なるほど。サウンドはどのように構築していきましたか?
Taishi:ピアノと歌だけのデモを自分で作って、そこに友人たちにギター、ドラム、ピアノを入れてもらって。その大枠をもう一回自分で詰め直して、イメージを細かく伝えて本レコーディングしてもらいました。
――生楽器のアンサンブルが印象的な“オネスティ”に比べ、“抱擁”はよりシンプルに削ぎ落とした作品になっています。
Taishi:作り方自体は“オネスティ”と同じで、最初に鍵盤と歌で構築していきました。“オネスティ”よりも楽器の種類を絞って作りたいとは最初から考えていたんです。というのも、出てくる音色が増えるとそれだけ聴き分けなければならない要素が増えるので、リッチで華やかな雰囲気を作りやすい反面、受け手の気を散らしてしまうなとも思っていて。なので、熱量をシンプルに伝えることを念頭に置いて制作しました。
――ドラムなども排したビートレスな展開も、そういった理由から?
Taishi:はい。ドラムは低音から高音までのレンジが広いので、曲に取り込むと天井と床をある程度規定するような印象があって。もちろん、それは全く悪いことではないのですが、“抱擁”に関しては広く大きく爆発するような印象の音像にしたかったので、レンジの具体的な縁取りを決めないという目的でビートレスにしました。同じ理由で、ベースもピアノの低音以外には足していません。
あと、リズムパート以外に、曲そのものや各楽器のダイナミクス、フロウ、音の上下、うねりなど、波のような部分を感じながら曲にノるのが個人的に楽しいなと感じるので、そういう風に楽しむための余地を残したかったという狙いもあります。
――リリック面はどのようなところから着手しましたか?
Taishi:歌詞に関しては……基本的に自分は全ての物事に対してフラットでいたいんですよ。でも、人と交流したり色々な外的刺激を受けると、心がグラグラしたり、分裂してしまうことがある。それが自分はすごく気持ち悪いって感じてしまうんです。山奥でひっそりと暮らして、誰とも関わらなければそういうこともなくなるんだろうけど、やっぱりそういうわけにはいかない。でも、それも含めて人間だよな、というか。それでも良いんじゃない? って自分に言い聞かせているような曲になりました。
――それはこれまでの人生でもずっと感じていたことですか?
Taishi:そうですね。気持ちや感情がブレてしまうことってきっと誰しも多かれ少なかれあることだと思うんですけど、これまではあまり自分でも意識しないようにしてたんです。サークルを辞めたときの話でも、「優しいのが居心地悪い」って意味わからないですよね(笑)。
――今日お話を聞いて、とても繊細な印象を受けました。
Taishi:以前も同じようなことを言われたこともあるんですけど、自分でそうやって認識すると引っ張られちゃう気がして、あまり考えないようにしてます。繊細であることは決して悪いことではないと思いますし。たしかに悩むこともあるけど、困ってはいないし、毎日楽しいし(笑)。
――感情が大きく触れた瞬間を切り取って曲を作る人もいると思いますが、この2曲はそうじゃないですよね。より根源的な部分から出てきた2曲だと感じました。
Taishi:今後、もしかしたら自分もそういう書き方をするかもしれないですけど、今回は自分でもよくわからない部分と向き合って、歌詞として言葉にするっていうことができてすごくよかったなと思います。この2曲を作ったことで、溜まっていたものを少し外に開放できた気がするんです。
――それは、やはり音楽にするという方法以外では開放できなかったと。
Taishi:他の方法を試したわけではないので、何とも言えないんですけど、その手段のひとつとして音楽があってよかったなって思います。
――この先も引き続き音楽を作り続けると思うのですが、何か考えていることやビジョンはありますか?
Taishi:今まで勝手に諦めてたことに挑戦して、無事に形にすることができたことで、すごく胸がすくような気持ちになったんです。それと同時に、大げさかもしれないけど新たな音楽人生がスタートしたような感覚もあって。だから、今後も楽しみながら音楽を作り続けたいですね。自分自身に刺激を与えながら音楽を作り続けていくことが何よりも大事なことだと思うので。まだ未定ですけど、ソロでライブもやってみたいですし、恐れることなく新しいことにもトライしていきたいです。
【リリース情報】
【イベント情報】
・チケット
一般発売(LivePocket)(https://t.livepocket.jp/e/240506) :3月23日(土)10:00〜
■Taishi Sato: X(Twitter)(https://twitter.com/taison0016) / Instagram(https://www.instagram.com/taison0016/)
Taishi Satoが初のソロ作『抱擁 / オネスティ』を2月にリリースした。
ライブサポートや楽曲プロデュースなど、近年のODD Foot Worksにとって必要不可欠の存在としても知られるTaishi Sato。また、入江陽やSalanなどの作品にも携わり、ぷにぷに電機のライブサポートも行うほか、ODD Foot Worksのギタリスト・Tondenheyこと有元キイチと共にユニット・Zattaを組み、これまでにEPとアルバムをそれぞれ1作ずつ発表している。
そんな縁の下の力持ちとして暗躍してきたTaishi Satoから届けられた本作は、極めて私小説的な響きと同時に、普遍的なポップネスを湛えた一作となっている。力強い鍵盤が牽引するビートレスなデジタルクワイア“抱擁”、音身近な音楽仲間たちと作り上げた、生楽器の芳醇なアンサンブルがパッケージされた“オネスティ”。2曲ともまるで自分に歌いかけるような力強さと切実な感情が込められた作品だ。
《誰の為? 私自身の為? お金の為? 私自身の為?》(“オネスティ”)──果たしてTaishi Satoはなぜ今、自身で歌うことを選んだのか。新たなキャリアの歩み始めたSato Taishiにインタビューに、これまでの足取りを振り返りつつ、音楽家としての素直な胸中を語ってもらった。
Interview & Text by Takazumi Hosaka
Photo by Kota Ishida
バンド音楽との出会い、「ベーシストはいぶし銀」
――Taishiさんの音楽的原体験を教えて下さい。最初に意識して音楽を聴いたのはいつ頃ですか?
Taishi:なんだろう……一番最初に買ったCDはORANGE RANGEのミラーボールのジャケのアルバムだったと思います。
――『musicQ』(2004年)ですね。
Taishi:そうです。たぶんテレビで流れてきたのを耳にしてだと思うんですけど。そのアルバムをCDウォークマンで聴きながら一輪車に乗ってました(笑)。
――(笑)。
Taishi:そこで「バンド」っていう形態があるんだっていうことを知って興味を持つのと同時に、漠然とした憧れを抱いたんですよね。人が複数集まって音楽をやってるけど、どうやら歌わない人もいるらしい。テレビによく出ているアイドルやボーカルグループとどう違うんだろう? って。それで中2のお正月頃かな、お年玉を使ってベースを買いました。
――いきなりベースだったんですね。
Taishi:ボーカルは恥ずかしいし、ドラムは場所取りそう、ギターより弦の少ないベースの方が簡単なんじゃないかって思ったんです。あと、ネットで調べたら「ベーシストはいぶし銀」みたいなことが書いてあって、当時中学生であまり意味もわかってなかったんですけど、何かカッコいいなって思って。ただ、中学時代はバンドを組む人が見つからず、家で教則本とかを見て、ひとりで練習してました。バンドを組んだのは高校で軽音部に入ってからですね。
――高校時代はどのような曲を演奏していましたか?
Taishi:なんだろう……最初はRamonesとかThe Whoとかですかね。本当はONE OK ROCKとかやりたかったんですけど、難しくてできないから簡単なものを、ということで。RamoneやThe Whoもちゃんとカバーできてたのかって言われると怪しいんですけど。とにかく楽しければいいやって感じでやってました。
――そういったクラシックなロックにはどのようにして辿り着いたのでしょうか。
Taishi:軽音部の先生がすごい音楽好きで、部室に色々なCDが置いてあったんですよね。そこで色々な音楽を知ったり、あとはメンバーそれぞれ好きな音楽を教え合ったり。あとはレッチリとかも好きでよく聴いていたし、そこからブラックミュージックに流れ、〈Motown〉系にハマったり。日本だとBLANKEY JET CITYや斉藤和義さんとかをよく聴いてましたね。
――現行のものより、どちらかというと過去の音楽に惹かれることが多かった?
Taishi:そうですね。シンプルというか、何をやってるのか、どう演奏しているのかがわかりやすい音楽を好んで聴いていた気がします。シンプルなんだけど、熱を感じるというか、そういうものに惹かれていましたね。たぶん、それは今もあまり変わっていないと思います。
――バンドでオリジナル曲はやらなかったんですか?
Taishi:挑戦はしたんですけど、誰も曲の作り方を知らなかったし、勉強して一朝一夕でできるものでもないので、最終的にはセッションにポエトリーリーディングを乗せる、みたいな感じになりましたね(笑)。ワンコードでそれぞれ好き勝手に弾いてる中で、ボーカルが語る、みたいな。
有元キイチとの出会い、Chance The Rapperから受けた衝撃
――大学時代はどうですか? そのままバンド漬けの日々を送っていたのでしょうか。
Taishi:バンドばっかやってたのは変わらずなんですけど、サークルは1週間で辞めちゃって。結局、高校時代の先輩とバンドをやることになりました。
――差し支えなければ、サークルを辞めた理由についても教えてもらえますか?
Taishi:ミッシェル(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)が好きだったので、彼らが在籍していた明治学院大学の「ソングライツ」という有名なサークルに入ろうと思って、それをモチベーションに受験勉強を頑張ったんです。無事に大学に合格してサークルに入ったんですけど、何か満足しちゃったんですよね。僕、結構こういうことがあって。目標を達成すると、急に「もういいや」っていう気持ちになるというか。我ながら、本当に非合理的だなって思います。
――決してサークルに対してネガティブな感情を抱いたとかではなく、自分の気持がシラけてしまったと。
Taishi:はい。サークルのみなさんは本当に優しくて。……でも、今振り返ればその優しさも嫌だったのかも知れません。嫌というか、気を遣ってくれることに対して居心地の悪さを感じてしまうというか。結局は自分の問題なんですけど。
――なるほど。(有元)キイチさんとの出会いも大学ですか?
Taishi:さっきお話した通り、高校の先輩のバンドに後から入る形で合流したんですけど、そこでギターを弾いてたのがキイチだったんです。金額を抑えるためにいつも深夜にスタジオに入ってたんですけど、練習終わりにいつも嫌そうな顔で車で送ってくれた記憶があります(笑)。
――(笑)。そのバンドはその後も長く続いたのでしょうか。
Taishi:僕が大学に在籍していた4年間はずっと続いていましたし、それ以前からのことも考えると、かなり長く活動していたことになりますね。多いときだと月に4〜5本ライブもやってましたし、オーディションなどにも参加したり、結構本気で活動していました。でも、みんな大学卒業したりするタイミングで一回立ち止まって、自分たちのことを見つめ直すことにして。それで話し合った結果、活動休止にすることになりました。
――Taishiさんはそのとき、自身の今後についてどのように考えていましたか?
Taishi:あまり深くは考えてなかったんですけど……(笑)、漠然と音楽は続けたいなと考えていて。それ以降は知り合いのバンドのサポートなどを不定期でやったりしていく中で、キイチが「何か一緒にやってみない?」「曲を作ってみたら?」って言ってくれて、それがZattaに繋がり、僕もDAWを触るようになりました。
――DTMで曲作りを始めた当初、どのようなサウンドを作っていたのでしょうか。
Taishi:その頃にたしかChance The Rapperの『Coloring Book』(2016年)がリリースされたんですよ。それまでの僕は〈Motown〉系だったりSteely Danとか、生楽器で演奏されている音楽ばかり聴いてきたんです。プレイヤーとして糧になるような。それが、Chanceの場合は色々な音が入ってるし……
――生楽器なのかソフトの音色なのか、その境界線も曖昧ですよね。
Taishi:そう。色々混ざってるけど、トータルの音像としてめちゃくちゃカッコいい。そこに感激して、すごい影響を受けました。
――Zattaの1st EP(2018年リリースの『雑多』)の頃から、Chanceや彼ら周辺のシカゴ勢が得意としていたゴスペルフィーリングなサウンドを取り入れていましたよね。それこそ自身でラップをしてみようとは思わなかったんですか?
Taishi:実はひっそりと挑戦してみたこともあるんですけど、難しくて。「やっぱり無理だな」ってなりました(笑)。ただ、そういうひとり遊びみたいなことはずっと好きで。ベース買ったばかりの頃もひとりでずっと練習してましたし、バンドが止まってからもひとりで黙々とトラックを作ってました。
「挑戦してみる前から諦めるのは違うなって」
――ZattaとしてはEPから2年空けて、2020年に1stアルバム『ZATTA 2』をリリースしました。
Taishi:キイチはODD Foot Worksとして活動を始めましたし、マイペースに作ってたので時間がかなり空いちゃいましたね。お互いの波長が合ったら制作を進める、という感じでした。基本的に何かに目掛けて作ろうってなることはなくて、僕が「いい感じのトラックできた」って声を掛けることもあれば、キイチからデモを送ってくることもある。普段から好きな音楽を教え合ったりして、お互いの音楽の趣味もある程度共有していますし。
――ODD Foot Worksの制作やライブサポートにはどのような経緯で加わることになったのでしょうか?
Taishi:キイチと一緒に暮らしてたとき、よくODDのメンバーがうちに来て制作したり、お酒を飲んだりすることがあって。自然な流れで部分的に少し手伝ったり、絶妙な距離感で以前から関わっていたんです。それでとある飲み会のときに、「サポートで入ってよ」みたいな感じで言われて、勢いで参加することになりました。
――制作面で本格的にジョインしたのは、2022年リリースのアルバム『Master Work』からですか?
Taishi:そうですね。その当時、僕とYohjiさん(Yohji Igarashi、DJ/プロデューサー)の2人がサポートで入ってたんですけど、2人とも曲作れるから、「全員で制作しよう」という話は前々から出ていて。『Master Work』へ向けて本格的に動き始めたときに、一回渋谷の貸し会議室で長いミーティングをしたんですよね。先に仮のトラックリストを書き出して、「この曲は誰々が担当」みたいな感じで振り分けていって。ODDは基本的にトラック先行が多いので、基本的にはひとりで作ってから投げるんですけど、このときは一緒に合宿とかも行きましたね。
――ライブサポートを重ねていくうちに、自然とチームの一員となっていったというか。
Taishi:僕としてもライブより制作が得意なので、嬉しかったですね。
――ODDチームとの制作で印象的な出来事、もしくは新たな気づきや発見はありましたか?
Taishi:とにかく自由っていうか、バンドなんだけど、主導権はあくまでも曲を作ってる人にある。それがちょっと意外でしたね。基本的に各々が自由に作ったものを、メンバーそれぞれがジャッジする。そこで全員が「いいね」ってなればリリースに至る、みたいな。もちろん最後の仕上げは全員で意見を言い合いますけど、そこまでは基本的に作曲者に任せられている。
――なるほど。
Taishi:気づきというか、再認識した点でいうと、やっぱり楽しく作らないとダメだなっていうことですね。制作しているときに曇っている気持ちがあると、それがどうしても出てしまうというか、悪い意味での引っ掛かりになっちゃうと思うんです。作っている人が純粋に楽しみながらじゃないと、他人にも響かないというか。わざわざ言葉にして確認することはないけど、たぶんODDのメンバーもそういう感覚をもっているんじゃないかなって。
――ODDの制作やライブに参加して以降も、自身の曲は作り続けていたのでしょうか。
Taishi:はい。Chanceの『Coloring Book』の影響がデカくて、DTMで作ってるんだけどベッドルームからどうにか出ていけるような、そんなサウンドを当時志向していた気がします。管楽器やストリングスを使ったりして、リッチな音像、あとは華やかで景気のいい雰囲気の曲を作りたくて。元を辿れば〈Motown〉に惹かれたのも、そういうリッチで華やかな要素が大きかったのかも知れません。
――それは今回リリースされたシングルにもどこか通底しているように思います。改めて、自身で歌うようになったきっかけや経緯などを教えてもらえますか?
Taishi:今後も音楽を作ることは一生続けていくとして、挑戦してみる前から諦めるのは違うなって思ったんです。長く続けていくなかで、自分に刺激を与えたいなとも思いましたし、そもそも全く興味がないことではなかった。インストだけ作るのも素晴らしいことだとは思うんですけど、僕の場合はやっぱり歌モノも作りたかったので。
――そういった考えはきっと様々な経験が積み重なっていった結果生まれたものなのでしょうか。それとも何かトリガーを弾くようなきっかけがありましたか?
Taishi:一昨年くらいにキイチのソロライブを観たことが大きいかも知れません。よく考えたら自分の周りにはすごい才能に溢れてる人たちがいるし、自分も挑戦してみないともったいないよなって。誰に止められてるわけでもないですし。
あと、やっぱりプロデューサー、トラックメイカーとして歌モノの曲を作るとき、自分で歌わない場合はやっぱりフィルターが1枚入ってる感じがするんです。もちろんそれがいい方向に作用することもあるんですけど、どこかで物寂しさを感じる部分もあって。自分の曲を自分で歌ったらそれがなくなるのかなと。
――実際、自分が歌う楽曲を完成させて、その感覚は解消されましたか?
Taishi:作ってみて、「100%自分」っていう曲はできないのかもしれないって思いました。結局自分がやりたかったことって、自分で主題を決めて、最後まで舵を取ることだったんだなって。それができるのであれば、他の方にボーカルをお願いしてもいいのかもしれない。ただ、今回のシングルではそういう気づきも含めて、達成感を感じることができました。挑戦してよかったなって思います。
「溜まっていたものを少し外に開放できた気がする」
――シングルに収録されている“抱擁”、“オネスティ”はどちらも最初から自分で歌うことを想定して作り始めたのでしょうか。
Taishi:そうですね。2曲とも歌を作ったあとからトラック制作をしたので、これまでの制作とは大きく異なるアプローチになりました。シンプルにMIDI鍵盤でコードを弾きながら仮のメロディや歌詞を考えていって、後から肉付けしていくという。いわゆるSSWの人だったらギターを弾きながら作ったりすると思うんですけど、僕の場合はギターが弾けないので、結構DTMっぽい作り方になりました。
――最初に作り始めたのは?
Taishi:“オネスティ”ですね。
――では“オネスティ”から、最初にどのような種を見つけて、そこからどう膨らませていったのかを教えてもらえますか?
Taishi:歌詞の面できっかけになったのは、当時お付き合いしていたパートナーから、「なんで音楽をやってるの?」って聞かれたことですね。ネガティブな意味合いではなく、シンプルな疑問として。改めて問われたことで、自分も「どうしてなんだろうな」って考え直すきっかけにもなったんですよね。だから自分と向き合って、自分のアティチュードについて書いたんですけど、そこに自然とパートナーへの愛みたいなものも混ざってきて。歌詞を書くのって本当に難しいなって思ったのと同時に、セルフケアにも繋がると思いました。自分の深層心理みたいなものに触れられるというか。
――なるほど。サウンドはどのように構築していきましたか?
Taishi:ピアノと歌だけのデモを自分で作って、そこに友人たちにギター、ドラム、ピアノを入れてもらって。その大枠をもう一回自分で詰め直して、イメージを細かく伝えて本レコーディングしてもらいました。
――生楽器のアンサンブルが印象的な“オネスティ”に比べ、“抱擁”はよりシンプルに削ぎ落とした作品になっています。
Taishi:作り方自体は“オネスティ”と同じで、最初に鍵盤と歌で構築していきました。“オネスティ”よりも楽器の種類を絞って作りたいとは最初から考えていたんです。というのも、出てくる音色が増えるとそれだけ聴き分けなければならない要素が増えるので、リッチで華やかな雰囲気を作りやすい反面、受け手の気を散らしてしまうなとも思っていて。なので、熱量をシンプルに伝えることを念頭に置いて制作しました。
――ドラムなども排したビートレスな展開も、そういった理由から?
Taishi:はい。ドラムは低音から高音までのレンジが広いので、曲に取り込むと天井と床をある程度規定するような印象があって。もちろん、それは全く悪いことではないのですが、“抱擁”に関しては広く大きく爆発するような印象の音像にしたかったので、レンジの具体的な縁取りを決めないという目的でビートレスにしました。同じ理由で、ベースもピアノの低音以外には足していません。
あと、リズムパート以外に、曲そのものや各楽器のダイナミクス、フロウ、音の上下、うねりなど、波のような部分を感じながら曲にノるのが個人的に楽しいなと感じるので、そういう風に楽しむための余地を残したかったという狙いもあります。
――リリック面はどのようなところから着手しましたか?
Taishi:歌詞に関しては……基本的に自分は全ての物事に対してフラットでいたいんですよ。でも、人と交流したり色々な外的刺激を受けると、心がグラグラしたり、分裂してしまうことがある。それが自分はすごく気持ち悪いって感じてしまうんです。山奥でひっそりと暮らして、誰とも関わらなければそういうこともなくなるんだろうけど、やっぱりそういうわけにはいかない。でも、それも含めて人間だよな、というか。それでも良いんじゃない? って自分に言い聞かせているような曲になりました。
――それはこれまでの人生でもずっと感じていたことですか?
Taishi:そうですね。気持ちや感情がブレてしまうことってきっと誰しも多かれ少なかれあることだと思うんですけど、これまではあまり自分でも意識しないようにしてたんです。サークルを辞めたときの話でも、「優しいのが居心地悪い」って意味わからないですよね(笑)。
――今日お話を聞いて、とても繊細な印象を受けました。
Taishi:以前も同じようなことを言われたこともあるんですけど、自分でそうやって認識すると引っ張られちゃう気がして、あまり考えないようにしてます。繊細であることは決して悪いことではないと思いますし。たしかに悩むこともあるけど、困ってはいないし、毎日楽しいし(笑)。
――感情が大きく触れた瞬間を切り取って曲を作る人もいると思いますが、この2曲はそうじゃないですよね。より根源的な部分から出てきた2曲だと感じました。
Taishi:今後、もしかしたら自分もそういう書き方をするかもしれないですけど、今回は自分でもよくわからない部分と向き合って、歌詞として言葉にするっていうことができてすごくよかったなと思います。この2曲を作ったことで、溜まっていたものを少し外に開放できた気がするんです。
――それは、やはり音楽にするという方法以外では開放できなかったと。
Taishi:他の方法を試したわけではないので、何とも言えないんですけど、その手段のひとつとして音楽があってよかったなって思います。
――この先も引き続き音楽を作り続けると思うのですが、何か考えていることやビジョンはありますか?
Taishi:今まで勝手に諦めてたことに挑戦して、無事に形にすることができたことで、すごく胸がすくような気持ちになったんです。それと同時に、大げさかもしれないけど新たな音楽人生がスタートしたような感覚もあって。だから、今後も楽しみながら音楽を作り続けたいですね。自分自身に刺激を与えながら音楽を作り続けていくことが何よりも大事なことだと思うので。まだ未定ですけど、ソロでライブもやってみたいですし、恐れることなく新しいことにもトライしていきたいです。
【リリース情報】
【イベント情報】
・チケット
一般発売(LivePocket)(https://t.livepocket.jp/e/240506) :3月23日(土)10:00〜
■Taishi Sato: X(Twitter)(https://twitter.com/taison0016) / Instagram(https://www.instagram.com/taison0016/)

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