名曲紹介:革命後のソ連。時代に翻弄
されながらもショスタコーヴィッチが
見出した音楽とは

みなさんごきげんよう。お盆も近くなってきて、世の中的には夏休みムードがぐんぐん高まってきていますね。出かけたい気は山々ですが、なにせこの熱気で出不精になりがち。熱中症になってもなんですから、お家でゆっくりクラシックを聴きながらティータイムというのもいいと思います♪

とは言え、やはりせっかくのバケーションですから、今日ご紹介するのは華やかめの楽曲にしましょう。
社会主義リアリズムとショスタコーヴィッチ
前回、複雑なリズムや不協和音をよしとしない「新古典主義」の動きを取り上げましたが、今回は革命後のソヴィエト連邦で広がった「社会主義リアリズム」に話題をうつします。当時のソヴィエト連邦では “芸術もまた革命思想を反映しなければならない” として、美術や音楽、文学などの分野に対し「社会主義リアリズム」というあり方を提示しました。これは何かというと “社会主義を称賛し、革命国家が勝利に向かって進んでいる現状を平易に描き、人民を思想的に固め革命意識を持たせるべく教育する目的を持った芸術(wikipedia)” のこと。こうした縛りの中で葛藤しつつも自らの「芸術」を追い求めていった人物がディミトリー・ショスタコーヴィッチ(1906〜1975年)です。
交響曲第7番「レニングラード」(1941年)
私は自分の第七交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の宿命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる
とショスタコーヴィッチ談。第二次世界大戦において、ナチス・ドイツ軍に方位されたレニングラード市内で作曲されたもので、戦争をテーマにした作品です。非常に壮大で音楽的に傑作であることは疑いようがないのですが、同時にソ連のプロパガンダに迎合した作品として認知されており、そういう意味で愚作と評価する見方も。
ですが、1979年に音楽学者ソロモン・ヴォルコフが回想録『ショスタコーヴィッチの証言』を発表したあとは、ショスタコーヴィッチが “公式で発表していた見解以外の意見・思想を持っていた” という説が濃厚なようです。
オペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(1932年完成)
 
時系列はややさかのぼり1932年。ショスタコーヴィッチが20代半ばの頃に作曲したのがこちらのオペラです(発表は34年)。オペラ自体はレスコフの小説を原作とするセンセーショナルな作品で、裕福な商家の妻カテリーナと情夫との浮気から舅(しゅうと)と夫の殺害にいたり、最後は罪がばれて自殺する…というかなり暗澹(あんたん)としたもの。しかしその音楽は生命力にあふれて瑞々しく、ショスタコーヴィッチの才能や可能性を感じるには十分すぎる作品です。
しかしこの作品は「社会主義リアリズムを欠く」としてスターリンの逆鱗に触れ、共産党中央委員会機関紙「プラウダ」に「音楽のかわりに荒唐無稽」と題した批評が掲載されることに。オペラは事実上の上演禁止に追い込まれ、これを皮切りにショスタコーヴィッチへの冷遇が始まります。このときショスタコーヴィッチは何を思ったのか。推して測ることはできても実際の苦悩を知ることはできないでしょう。
『ジャズ組曲』から第2番(「舞台管弦楽のための組曲」)
重めの曲調から一転して軽快なダンス音楽を紹介。実はこの曲は『舞台管弦楽のための組曲』というのですが、本来の『ジャズ組曲第2番』の楽譜が戦争により消失していたために「これが第2番だろう」と長い間勘違いされていたということです。とても聴きなじみがよく、音楽の明るくて幸せな側面だけを感じることができる作品なので、ぜひ最後はこの曲でしめましょう。
それではまた来週、真夏の午後にお会いしましょう。

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