パフォーマンス・アートの見方とは?
 アーティスト・武田力が教える作品
鑑賞論

パフォーマンス・アートは、美術館やギャラリーだけでなく、町中や公園、古民家や自然の中でも目にする機会があります。パフォーマーは必要に応じてセットを配置し、何かをします。ダンスのようなこと、朗読のようなこと、殴り合いのようなこと、あるいは何も起こらないことも。演劇と比べ演者と観客の境界があいまいで、観客を巻き込む演出もしばしば。中には、路上でたこ焼きを振るまい、それを作品とするアーティストもいます。
好奇心でパフォーマンス・アートを見て、納得感を持ち帰るには、どんな心構えが必要なのでしょうか。アーティストの武田力さんに相談してみました。
パフォーマンス・アートに“答え”はない、あるのはたくさんの“応え”
武田力(撮影場所=立教大学池袋キャンパス)
——パフォーマンス・アートの見方を知りたいのですが、武田さんは「演劇出身のパフォーマンス・アーティスト」とご紹介していいでしょうか?
演劇の考え方を用いて制作をしているので、僕個人としては演劇をやっています。ですが、お客さんがその作品をどのジャンルに当てはめて考えるかは自由だと思っています。なので、僕の作品を見た人が、パフォーマンス・アートと思われたのであればそれで良いかと。
——素人目には、演劇かアートかわからない作品があることも、武田さんに相談したいところなんです。パフォーマンス・アートを観て、好き嫌いや良し悪し以前に、「なんだったんだろう?」という感想を持つことがしばしばあります。事前に演劇やアートの予習や、それに合わせた鑑賞態度が必要なのでしょうか?
たしかに演劇にもアートにも、それぞれに歴史があり、演劇だからできること、アートだからできることの違いもあります。でも観る側が「演劇か? アートか?」にこだわりすぎては、表現が元来持つ面白さが損なわれてしまうように思えます。あまり考えすぎず、かたくならずに観たらいいと思いますよ。
——自分の鑑賞態度にも課題がある気がします。ひとりの大人が心血を注いでパフォーマンスするのだから、何か伝えたいことがあるはず。SNS上に「素晴らしかった」「美しいものを観た」という感想もある。でも、自分はモヤっとしただけで正直よくわからなかった。こうなると、次回以降、観にいくことがギャンブルですし、恐縮もしてしまいます。
「相容れないもの」って誰にでもあります。自身の抱く「相容れなさ」を素直に受け入れること。その場合、パフォーマンスを観るのをやめて、スッと……その場を去ってもいい。
——スッと、いなくなっていいんですか? アーティストの方に失礼な気がします。
「ああ、相容れないな」と去ることも、アーティストの表現に対する“応え”ですから、その方が健全だと思います。
演劇的な考え方でいうと、演劇の一番大事な視点は、観客サイドにあります。観客が、いかに主体性を持てるかが大事で、そこは僕の作品がパフォーマンス・アートと捉えられても大事にしたいと思う。特にパフォーマンス・アートは、劇場という非日常的な空間でおこなわれる演劇よりも、日常に近いところで突然はじまることもありますよね。そこに巻き込まれたからといって、強制的に最後まで観なければならないものでもありません。
同時に、一言で片付く明確な答えはパフォーマンス・アートに用意されていません。では何がしたいのかというと、僕個人の感覚としては「観客の日常性をちょっとズラす」みたいなことなんです。考えるための素材は用意するけれど、答えはない。そこで新しい社会の形や可能性を一緒に考え、共有する。そういう場を提示するのが、アートだとも言えます。
だから誰かが「美しい」といったものを「美しくみえなかったからダメなんだ」と思う必要はまったくない。もし「ひどかった」と感じたなら、なぜ自分はそれをひどいと感じたのか。なぜ他の人はそれを美しいと感じたのか。そういったことを考えるきっかけになればいいですね。

偶然を待つだけでなく、仕掛けにいく
武田力(撮影場所=立教大学池袋キャンパス)
——今までパフォーマンス・アートを観る時は、答えやメッセージをくみ取ろうとしていた気がします。
パフォーマンス・アートと演劇に共通して面白いと思うのは、個々人にアプローチしつつも集団性があり、時間と空間を共有しているところです。これだけさまざまなメディアが発達している現在、そうした前近代的な手法によって、偶然に拓かれる可能性もあります。といいつつ、偶然を待つのではなく偶然を仕掛けにいく。それが作品です。
——偶然を仕掛けにいく、についてもう少し伺えますか?
僕は立教大学の文学部教育学科に在籍していました。小学校の先生になるコースですね。結局その道には進みませんでしたが、教育を例に説明すると、まず教室に先生がいて子どもたちがいる。先生は、子供たちを自分の価値観や思想に従うように啓蒙することもできる。教育には日常的に、大なり小なりそういった面があると思います。
一方で、教育における主役は、子どもたちです。最近は「子ども同士で対話を重ね、どう結論を見出せるか」という教育方法もあります。でもこの時に先生は、子どもたちにただ雑然としゃべらせているかというと、そうではありません。先生は、この対話がどう展開すれば、授業として成り立つのか。それを考えながら演出をしています。
ここでいう授業は、作品とも言い換えができます。パフォーマンス・アートとして、観客の主体性をどう担保するのか。観客と作家をどのようなバランスの上に立たせるかやその手法は、アーティストのセンスとも思えます。
「遺体」を食べるかは自分で決める
——観客の主体性について、武田さんのパフォーマンスでご説明いただくことはできますか? 「よくわからない」の例で恐縮ですが、2017年にフィリピンの国際演劇祭「カルナバル」でたこ焼きのパフォーマンスをされたそうですね。
作品のタイトルは《たこを焼く》です。フィリピンで、タコはあまり食されていません。都市部で食べられているたこ焼きも、中に入っている具はイカなどです。そんなフィリピンの首都マニラのスラム街を、屋台で転々とし、僕が作るたこ焼きと現地の方々の金銭以外の何かを交換するんです。絵や歌、ダンス、彼らが食べているお菓子など、さまざまな物とたこ焼きを交換しました。
(c) CNN Philippines
——たこ焼きのおいしさが国境を越えるのには納得です。でも、それはアートですか?
このパフォーマンスでは、たこ焼きを食べてもらう前に、紙芝居をします。
マニラ湾には、太平洋戦争中に攻撃をうけた日本軍の船が、今も沈んだままになっています。日本兵はもちろんのこと、他国の捕虜や多くの人々が一緒に沈みました。タコはなんでも食べます。死体も食べます。想像するに、マニラ湾で獲れるタコは、時には沈没した船を棲み処に、遺体も食べながら繁殖してきたんです。
これらを紙芝居にして話すことで、たこ焼きの中のタコを何に見立てるのか、自身で考えてもらいます。その上で、食べる食べないはその人次第。この《たこを焼く》という作品は、日本人とフィリピン人が出会い、戦災者を互いに体内に入れて再生する慰霊と、記憶の継承を狙いとしています。
Keely, Patrick Cokayne『Indie Moet Vrij! Werkt en Vecht Ervoor! (The Indies Must Be Free! Work and Fight For It!)』1944 (c) P.J. Mode Collection of Persuasive Cartography at Cornell University
——なるほど。それなら観る側の主体性も担保されています。もし「食べない」と言われたら?
それも表現に対する応えなので、もちろん構いません。いずれにせよ、紙芝居での説明がなければ、きっと普通のたこ焼きとして食べていた。作品によってその人のタコの意味合いが変わったということになります。
フィリピンは今、グローバリゼーションが進んでいます。一方で、貧富の差は広がるばかり。戦争から70年以上たち、当時を経験した方たちは次々に亡くなっていくわけですが、「あの戦争ってなんだったんだろう」と一緒に考えることもなく、時が過ぎてしまいました。
そうした機会がないと、またいつか同じような過ちが起きてしまうかもしれない。一方で、戦争記憶は重たいテーマです。おじいちゃんやおばあちゃんが日本軍に殺された人もいる国で、日本人がのこのことスラム街に入っていき、「戦争について考えてみよう」と言うのも、正直厳しい。
だから日本人とフィリピン人とで、慰霊や未来を考える場をどう作るか。重苦しくならずにやれたらいいね、と。そのしつらえとして《たこを焼く》はあります。食べるかどうかは自分で考える。タコを介して遺体を食べ、体内に含むことで、その人の血となり肉となり、明日に繋がる。その先の答えは、個々人が見い出すべきだと思います。
——武田さんは、そこで満足ですか? その先に期待することはありますか?
作品は終わっても、その人の日常の中で考える作業が続いていってほしいです。時間と場所を共有した彼らも、家に帰りご飯を食べ、子どもたちと遊び、いつもの日常へと還っていきます。その日常に、作品で起こっていたことが無意識にでもつながっていくといいですね。その意味で、アートって種みたいなものかも。いつ発芽するかわからないし、発芽しないまま死ぬかもしれない、ひとつの可能性のためのものです。
武田力(撮影場所=立教大学池袋キャンパス)

取材・文=塚田史香
撮影=SPICE編集部

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