栁 俊太郎/東京のプリンスたち01 〜
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10代の頃抱えていた、表現者への憧れ
柳:
幼い頃からずっと何かを表現する仕事がしたいと思っていました。直感として、普通に就職して会社員になることは絶対にないだろうと感じていて。幼稚園生の頃の文集に将来の夢を『スーパースター』と書いたりしていましたね。お遊戯会も絶対主役をやらせてもらったり。
何かを表現する仕事に就きたいう感覚を10代でも抱えていましたね。だから親に『勉強しろ』と言われても、『いや、大丈夫だよ』と言っていました。『それで、何が大丈夫なの?』と親に言われても、感覚でしかないから、ただ『大丈夫だから』と言ったりして(笑)。
柳:
そうですね。姉貴に『送ってみたら』と言われました。それがすごく嬉しかったですね。僕はそれまでこういう世界に入りたいというのは誰かに言ったことなかったので。一番近くで自分のことをみている家族はどこかで勘づいていたのかもしれないですね。よくよく話聞いてみたら、オカンが姉貴に『送らせてみなよ』みたいに言っていたみたいなんです。部活一筋だったので、ファッションのことは当時そこまでよくわかっていなかったのですが。
柳:
高校時代はバレー部に所属していたのですが、僕が所属していたのが東北地区大会の3位になるような強豪チームで。先生がすごく厳しい人だったのですけど、なぜか僕は『変わり者キャラ』みたいなノリで色々と許されていて。例えば、ウォーミングアップの時間にいつも僕らが選んだ曲を流すんです。ただそれが『気合いが入る曲』限定で、周りが若いアーティストの曲を流しているなかで、僕は従兄弟の家にあった、ボブディランのCDをパクって流したんです。そしたら先生が『誰だこの曲流したのは! 全然気合い入んねぇじゃねーか』って怒るんですけど、『すみません、僕です』と言ったら、『お前面白いな』と言われて。普通だったらモロに“指導”の対象なんですけど、なぜか許されるずるいポジションでしたね。
柳:
かもしれないですね。ボブディランを流していたのもどこかできっとこの狭い世界から抜け出すだろうなと思っていて、そのための準備を無意識でしていたんだと思います。映画でも音楽でも写真でも色々と自分で『格好いいな』と思うものを勝手に探求していましたし。映画マニアというわけではないんですけど、格好いいと思えるもの、絵が綺麗だと思えるものが好きでした。
柳:
日本だとわからないですけど、役者だと、『少年は残酷な弓を射る』『ウォールフラワー』に出ているエズラ・ミラーですかね。彼は俳優として次元が違うところにいるように思います。あと役者ではないですけど、King Kruleも凄まじい才能だって思いますね。年が近くて死んでしまった人だと2PAC。そういう圧倒的な何かを持っている人のことはすごく好きです。
柳:
あまり言いたくはないですけど、きっとこういうことやっているだろうなっていうのはある程度見えています。でも自分自身まだまだヌルいなって思うので、死に近づくギリギリ一歩手前くらいまでの熱さを宿してやってかないといけないなみたいな気持ちを持ってます。東京生まれで最初から本物を見て育ってきたタイプではないですけど、『成り上がっていきたい』という気持ちを持って仕事に臨んでいますね。
Hiroyoshi Tomite Profile 1988年埼玉県生まれ。フリーランスの編集・文筆業。紙・WEB・イベント問わず企画・編集、及び執筆業を行う。インディペンデントで4月に霧にまみれたライブイベント『Fog.』を原宿VACANTにて開催。9月には、リソグラフ印刷技法を取り入れた冊子『GRADIENT』を制作し展示を行った。 web|Twitter
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