嵐・櫻井翔、応援してくれる人の思い
を背負い込む

の櫻井翔くんの「春色ほっこりトーク」が掲載されました。

翔くんが人生の岐路に立ったのは17歳の初秋、嵐のメンバーとしてデビューが決まった時だったとのこと。

「共に過ごしてきた仲間たちと離れるのが不安で仕方なかった。」と当時のことを振り返っていました。

その頃の仲間たちが大学に進学し、スーツを着て就活時期に入った時、翔くんは再び不安と焦りに怯えたとコメント。

「誰もが60歳くらいまでの人生を見通す中、僕は来年のことも見えなくて…。」と悩んでいたそうです。

そんな翔くんの悩みを解消する出来事が。

それは翔くんのファンだというある少年との出来事で、その少年は入院しており、天井に嵐のポスターを貼っていたとのこと。

嵐の音楽を聴くと神殿が振れるほど嵐が大切な存在に思っていてくれたそうで、翔くんは当時コンサートツアーが終わったら会いに行こうと思っていたそうです。

ところが、その訪問が叶わないまま少年は帰らぬ人に。

その体験が翔くんには「僕の仕事は人のためになれるんだ!」と痛感したとコメントしていました。

誰かのために何かをできる職業って素晴らしいと思った翔くん、その後も東日本大震災を機にその気持ちは更に大きくなったそうです。

「東日本大震災の被災地で、僕らの音楽を聴いて今日を頑張れる人がいると聞いて。時を経て、被災地だけでなく、応援してくれる人の思いの全てを、背負い込めるだけ背負い込もうと誓いました。」と話していました。

このインタビューの最後には「これらの人生をどんなふうに生きていきたいか?」という質問がありました。

翔くんは「早く30歳になりたいってずっと思ってたんだよね。30歳になった瞬間に大人になれるイメージがあったんだけど、2年経ってみてようやく始まった気がする。50代、60代はカッコよくありたいなと思う。ビジュアル的なことではなくて、その準備を今しているところ。50歳になったら、奥さんも子供いるかも…いないかもしれないけどね。」と答えていました。


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