劇作家・演出家の渡山博崇による私戯
曲三部作を、3週に渡って名古屋の「
円頓寺Les Piliers」で上演
「歳を取ったんでしょうね。ルーツみたいなことが面白くなってきちゃって」と渡山。
「実際に書こうと思うと、苦痛で書けなくて。嫌なことはやらない、と決めてるからなかなか書かない(笑)。でも上演を決めた以上、嫌でも書かなきゃいけないじゃないですか。そのうちにオリンピックが始まって、コロナの感染者も東京でワーッと増えて、今度は公演主催者としての気持ちが落ち着かなくなり。それでもこれ以上ひどくならないだろうという状況になったらようやく自分の気持ちも落ち着き始めて、少しずつ書けるようになって。11月に公演なんて本当に出来るのかな? と思いながら書くのもしんどかったんですけど、ここしばらくもうずっとそうしてやってきたので、覚悟を決めてやるしかない、と。最初はもうちょっとテクニカルに、ケラさんの『フローズン・ビーチ』みたいに描く年代を8年刻みで綺麗に構成を…とか思ったんですけど、2002年の次は2008年の方が僕の書きたいことがあったので法則性では書かないようにしました」と。
「いかに自分の無意識に書かせるか、ということだけ考えました。だから構成とか起承転結みたいなことは何も考えないようにして、少しでも考えちゃったらその日は書くのは止めて。でも、俳優が台本を待ってるから急ぎつつ。とにかくずっとPCの前に居て、出てくるのを待ってるっていう。久々の“神降り待ち”ですね。とはいえ、あまり辻褄の合わないことや訳のわからないものを見せてもあれなので、観やすいようにナレーションを入れたり。でもただのナレーションじゃつまらないので、めちゃくちゃお喋りなナレーションにして、何故そんなお喋りするのかという仕掛けもほどこして……というふうに、どうしても「お話」の仕組みができてしまい、それがもどかしく感じたりもしたのですが。何も考えないのは難しかったです。
「予算の都合もあって前回ほどは作り込めないと思いますけど、年代ごとの小道具…例えば、「1994年の富山家」では当時我が家で現役だった緑電話を置いたり、それが「2002年の富山家」ではFAX電話になっていたりします。内容的にも、素材やディテールは意外と本当のことばかり使っていたりします。ただ、実際はそのタイミングではなかったとか、こっちの方が収まりがいいからとか、あちこちから引っ張ってきたり組み合わせ方が嘘になっていたりと、作為が少しある感じで」
「一幕はわりと遠い思い出で、だいぶ昇華されてる事柄なので平気な感じだったんですけど、二幕あたりから途端に苦しくて。後で読み返して、あぁこれほんとに書きたくないんだな、っていうのがよくわかる、本当に不細工なやり取りになったりしていてちょっと笑うんですけど、やっぱり書きたくないことが多かったのか、二幕だけ少し短いんですよね(笑)。三幕になると逆に、もうちょっと自分を突き放して書いてる。あぁ、こういうところに僕はまだ引っ掛かりを覚えてるんだな、と問題意識を自覚したり、自分の人生の分岐点がここにあったんだな、っていうのが見えたりしました」とのこと。
「演出は、いつもよりはリアルというか、あんまりシュールなギャグに逃げないようにして(笑)。役の心理、自分の心理にそれぞれ踏み込んでもらえるようにしました。そこに嘘があるかどうか、本当のこととして思えているかどうか、っていうところでやっています。来年一年本番がやれないので役者に課題じゃないですけど、もうちょっと深いところまで面倒見なきゃな、と思って。劇団員に対しては数年後までちゃんと面倒見るから、ということで言えている部分が結構あって、こういう芝居をやっていくと劇団員というか、所属俳優の有り難みはすごく感じますね。こういうことに付き合ってくれる俳優は有り難いです。来年は、普通に稽古だけしようかなと話してるんですよ。別役実さんの戯曲をただ読んでみるとか。そういう探究心のままに、もうちょっと演劇を遊んでみようかなと」
「これはこれで1年に1回ぐらいやりたいんですけど、何がしんどいって、ホンを書くのが(笑)。でも、これを続けて行って、いずれ3時間モノをひと通しで上演したいんですね。『私立探偵 西郷九郎と九人の女』の1・2・3話連続上演とか、今回の3話連続上演とか。本当は3時間ぐらいの長尺の物語を書きたい、っていうのがずっとあったんですけど、なかなかそれを一気に発表する機会というか、体力がまだまだかなと。でもいずれやってみたいですし、『私立探偵 西郷九郎…』の続編もやりたいですね」
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