魔法が支配する復讐劇シェイクスピア
『テンペスト』とベートーヴェンピア
ノ・ソナタ第17番との意外なつながり

知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回はシェイクスピアの戯曲『テンペスト』をめぐる芸術を取り上げます。このテーマを選んだ背景には、筆者が過去にベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番、通称『テンペスト』を演奏したときのほろ苦い思い出があります。

10代のときに試験の課題曲として取り組んだのですが、捉えにくい曲想に悩みに悩み、一度は嫌いになったソナタなのです。しかし時がたち、ベートーヴェンを深く学び、『テンペスト』を描いた多様な作品を知ったことで、わかりにくいと思っていたイメージは一変しました。
本稿が、願わくば若かりし頃の筆者のような迷える演奏者にとって、何か表現のヒントになればと思っています。
魔術による復讐のドラマ『テンペスト』
『テンペスト』はシェイクスピア作品の中でも異色作です。というのも、復讐と許しを描く人間ドラマながらも、妖精や怪物・恋愛まで盛り込まれたおとぎ話でもあるからです。
さらに『テンペスト』はシェイクスピアにとって実質的な最後の戯曲となり、主人公プロスペローのラストでのミステリアスな去り際と、筆をおいた天才作家シェイクスピアが重ねて語られることも多い作品です。登場人物をわかりやすく描いた絵があるので、見ながら物語を追っていきましょう。
ウィリアム・ホガース『テンペスト』(出典:wikipedia)
物語の舞台はある孤島。プロスペロー(中心の杖を持つ男性)はかつてミラノ大公でしたが、弟とナポリ王の裏切りによって立場を奪われ、娘ミランダ(青いドレスの女性)とともに島流しにされ、怪物キャリバン(右端)が住むこの孤島に住み着いたのでした。
復讐に燃えるプロスペローは魔術の勉強に没頭し妖精エアリアル(空中で楽器を弾く妖精)を手懐けます。ある日、自分をナポリから追い出した弟たちが乗る船が島の近くを通ることを知ったプロスペローは、魔法で船を難破させ、復讐を開始します。
さらに同船していたファーディナンド王子(左の若い男性)と娘ミランダを恋に落ちさせ、二人の愛を試す試練を与えます。乗組員たちは魔術によって心身ともにぼろぼろにさせられます。彼らが苦しむ姿、若い二人の純粋な愛を見たプロスペローの心からは次第に憎しみが消えていきます。彼らを許し、手下にしていた妖精エアリアルを解放し、プロスペローは観客にこのように問いかけ幕を閉じます。
「いまや私の魔法はことごとく破れ、残るは我が身の微々たる力ばかり。‐略‐ お手を拝借、皆様の拍手の力で私のいましめをお解きください。」 
プロスペローがそのあとミラノに戻ったのかは、描かれていません。結末は観客にゆだねられ、まるでこの戯曲そのものが幻であったかのように終わるのです。
プロスペローと妖精エアリアルは、この戯曲の中で唯一魔法を操ることができる主要キャラクターです。怒りに燃えるプロスペローは日々魔法の習得に没頭します。挿絵制作で有名なエデュマンド・デュラックは、まるで研究者のようなプロスペローの姿を描いています。
デュラック『プロスペロー』(出典:wikiart)
『オフィーリア』の画家ミレイは、妖精エアリアルを緑色の精霊のように描きました。孤島に流れ着いた王子の耳元に魔法の歌を吹き込み、ミランダのもとにおびきよせる場面です。
ミレイ『ファーディナンドとエアリアル』(出典:wikipedia)
フュースリ『エアリアル』(出典:wikipedia)
こちらはなんとも躍動的なエアリアル、ヘンリ・フュースリの作品です。物語の最後、エアリアルが解放され喜ぶエアリアルは「コウモリの背に乗って楽しく暮らそう」と歌いながら空にはばたきます。ダークで幻想的なタッチを得意としていたフュースリの手にかかると、エアリアルは中性的に、またいたずらっ子のようにも描かれています。
非現実的なキャラクターや場面が絵画化されることが多い『テンペスト』ですが、音楽ではどのように描かれたのでしょうか。
夢幻の異色作、ベートーヴェン ピアノ・ソナタ『テンペスト』
『テンペスト』の音楽として最も有名なのはベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番でしょう。テンペストという題名は実はベートーヴェンがつけたものではありません。弟子であったシントラーがこのソナタを理解する鍵はないか、とベートーヴェンに尋ねたところ「シェイクスピアのテンペストを読むとよいでしょう」と言ったというのです。
しかし、この逸話はあまり信ぴょう性がないと言われています。シントラーのベートーヴェンに関する証言はかなり嘘が多いからです。では、なぜ真偽の分からないタイトルが今でもついてまわっているのでしょうか。そこにはこのソナタから聴こえてくる「嵐」と「夢幻」が関係しています。
第一楽章
冒頭、ゆったりと長調の和音が響きます。続くアレグロの音階は急に落下したと思うと、低音の唸るようなメロディに飲み込まれます。急転直下に起こる降下と、掴みどころのない半音階は、まるで四方八方に吹き荒れる突風のようです。何度も冒頭のような幻想的なハーモニーが現れますが、どこかにふっと消えてしまいます。
第二楽章(6:23〜)
嵐の第一楽章から一転し、第二楽章は大きな安らぎに満たされています。のびのびと放たれる響きは、クラリネットやフルート、ホルンといったオーケストラの音色を連想させます。
第三楽章(14:06〜)
最もよく知られる第三楽章は、メランコリックに駆けぬけていくアレグレットです。第一楽章と同じニ短調ながらも「嵐」というよりは、降り続ける雨のように淡々と展開していきます。そして霧の中に消えていくかのように急な終わりを迎えるのです。
主題が現れては泡のように消えてしまうこのソナタは、そのアナリーゼの難しさから演奏者をも困らせる楽曲です。さらにテンポ指示がころころ変わるドラマチックな表現は、次の時代であるロマン派の先駆けともいえるでしょう。
予想できない方向に和声展開することから、ソナタという形式ながらも自由な幻想曲のようでもあり、ベートーヴェンのソナタの中でも異色作です。もし何の前知識もなくこのソナタを聴くとつかみどころの無さに少し戸惑うかもしれません。しかしシェイクスピア『テンペスト』の夢幻の世界を思い浮かべるとどうでしょう。何かぼんやりと音風景が見えてくるかもしれません。
もし「嵐」の描写に着目するならば、ベートーヴェン第6交響曲『田園』の第4楽章『雷雨、嵐』を聴いてみるのもおすすめです。(第4楽章 30:15~)
こちらは自然現象としての「嵐」を音で表現した描写的な音楽です。一方『テンペスト』で描かれる嵐は天災ではなく、プロスペローの魔法によって作り出された「嵐」です。ピアノ・ソナタとの違いが何か聴こえてくるでしょうか。2つの聞き比べもとても興味深いと思います。
次にご紹介するのはいかにも戯曲『テンペスト』を描いた音楽です。
物語をつむぐチャイコフスキーの『テンペスト』
ロマン派音楽の大家チャイコフスキーはひとつの物語をしっかり音で描写しています。
                            チャイコフスキー 演奏会用序曲『テンペスト』
一聴すると、シェイクスピアの物語を分かりやすく感じることができるのではないでしょうか。冒頭は静かな海に嵐が近づく様子、そしてプロスペローの復讐心、若いミランダと王子の恋や、飛び回る妖精エアリアルなど、さまざまな音モチーフによって物語があざやかに進んでいきます。ベートーヴェンとは対照的に、チャイコフスキーはひとつの戯曲を音物語のように紡いだのです。
ひとつの物語から広がる多彩な表現
ベートーヴェンのテンペストを学ぼうとするとき、ピアニスト達はもちろんこのソナタとシェイクスピアとのつながりについて知るはずです。実は、演奏表現の観点から書かれた文献には「シェイクスピアのテンペストの物語とこのソナタを関連付けすぎるのはよくない」という意見も多く見られます。ベートーヴェン作品にべたべたとドラマチックな味付けをすべきではない、という意味であり、納得の忠告ではあります。
しかし調べていくと、ベートーヴェンが育った地域でシェイクスピア演劇は上演されていた、ベートーヴェンはシェイクスピア全集のドイツ語版を手に入れていた、戯曲『マクベス』の音楽化を計画していた、などシェイクスピアとの関連性はいくつも浮かび上がってきます。
ベートーヴェンが「テンペストを読みなさい」と言ったという証言を完全否定することも難しいのです。そう考えると、表現を模索するうえで、シェイクスピア『テンペスト』を知っておくことは決して無駄ではありません。魔法が巻き起こす嵐や幻想的なイメージをもっているだけでも、少なくとも演奏者にはなにかしらの表現の糸口、インスピレーションになると筆者は考えます。
戯曲『テンペスト』はあらゆる芸術家の想像をかきたててきました。今を生きるアーティストにとっても、ミステリアスな芸術の源を探っていくことはとても実りの多いことだと思います。読者の方にとっての新たな発見となれば嬉しいです。

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