【Anneth インタビュー】
自分が作った曲を日本語でカバーして
出せるなんて信じられない
インドネシアで“泣ける歌声のプリンセス”として有名な17歳のシンガーソングライター・Anneth。本国はもちろん、韓国のMnetなど数々のアワードを総なめにするほどのヒットを記録した2ndシングル「MUNGKIN HARI INI ESOK ATAU NANTI」を日本語でセルフカバーし、“Wish You Were Here”というタイトルで配信リリースした。今やアジア各国から注目を集める彼女に、同曲へ込めた想いを語ってもらった。
自分を磨いていくことが
歌のスキルアップにもつながった
本誌では初登場となりますね。
まずは最初に私からご挨拶をさせていただきたいと思います。(以下、日本語で)はじめまして! 私の名前はアネスです。よろしくお願いします!
ありがとうございます! 日本語もお上手ですね。日本語の挨拶はどこで覚えたのですか?
うーん、タイトルは忘れちゃったんですけど、前に観た映画の中で言っていたのを憶えてたんです。
日本語の映画もよく観られるのでしょうね。それでは最初にAnnethさんがシンガーになりたいと思った理由から教えてもらえますか?
私の家族は両親ともに音楽がとても好きだったので、小さい頃から家で流れている音楽を自然と聴いてたんです。両親は聴くだけではなく、歌うのも好きなので、その歌を聴いたりもしていて。
幼少の頃から音楽が身近にあったということですね。
そうです。それで、私もシンガーやミュージカルなど、“歌う”ということに対してどんどん興味を持つようになっていて。歌うことが好きなんだと感じるようになったので、自分は将来歌手になろうと決めました。その流れから今がありますね。
どのようにして歌手になったのか、そのプロセスも教えてもらえますか?
歌手になりたいと思ってからは学校やショッピングモール、とにかくいろんなところで開催されていたコンテストにエントリーしていました。ただ、参加してもそこでは優勝できなかったんです。だけど、何回失敗しても諦めずにエントリーし続けていたら、やっと2018年に開催されたインドネシア最大のオーディション番組『Indonesia Idol Junior』で優勝することができました。それで、歌手としてメジャーデビューすることができたんです。
なるほど。何度失敗してもチャレンジし続けられた原動力は何だったと思いますか?
まずは“歌手になる”という夢は自分が決めたものだったので、それを諦めたくない気持ちですね。あとは、“優勝できなかったのは、自分に足りないものがあったからだ”と考える冷静な分析力が自分にあったからだと思います。“またダメだったか”とか“失敗だったな”とネガティブな気持ちのまま終わるんじゃなくて、何が足りなくてそうなったのか、失敗に終わった理由を毎回も自分なりに分析していって、そこで見つけた課題をクリアーするために努力をしたんです。そうやって自分を磨いていくことが歌のスキルアップにもつながっていき、優勝という結果を掴めたんだと思います。
Annethさんは自身で作詞作曲をされていまが、楽曲制作はいつもどんなツールを使っているのですか?
曲を書き始めたのは、自分の中からインスピレーションが湧いてきたのがきっかけでした。私は歌詞やメロディーが思いついた時にスマホに書き留めておいて、あとからそれをもとに曲はギターやピアノ、パソコンのレコーディングソフトを使って完成させています。
インスピレーションを重視されているのですね。どんな時にインスピレーションを受けることが多いですか?
いろいろなケースがありますが、主に物語から受けることが多いです。たまたま観た映画やテレビから受けることもあれば、友達と話している時に聞いた話がきっかけになったり。もちろん、自分の経験したことが曲が生まれるきっかけになったりもしていますね。
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