中村雅俊 フルオーケストラをバック
にヒット曲、代表曲の数々を歌いあげ
る特別なライブへの想いを語る

2021年の初開催以来、好評に好評を重ね、年々熟成を加える中村雅俊の新たな挑戦。『中村雅俊 Symphonic Live 2023-2024~WHAT’ S NEXT~』は、フルオーケストラをバックにヒット曲、代表曲の数々を歌いあげる、贅沢で特別なライブだ。今回のスケジュールは12月21日の兵庫公演、そして2024年2月1日の東京公演は、中村雅俊の73歳の誕生日。デビュー50周年を迎える2024年に向けてますます意気盛ん、永遠の青春スター・中村雅俊の歌声を、壮麗なオーケストラと共にぜひ会場で体感してほしい。
演奏をする方々は一流のプロですから、音楽に導かれて、日常から離れて別世界へみなさんを連れて行けたらいいなと思います。
――シンフォニックライブは、今回で3年目。ファンのみなさんの中でも恒例化してきましたね。2021年に始めた当初は、どんなプランがありましたか。
実は、2020年はコンサートツアーの会場も全部決まっていて、発表していた会場もあり、リハーサルに入る直前に(コロナ禍で)全公演中止になったので、けっこう落ち込んでいたんですよね。その翌年に手を差し伸べてくださったのがビルボードクラシックスさんで、“あ、また歌えるんだ”という喜びがありました。しかもクラシックスですから、“フルオーケストラで歌えるんだ”というのは、やっぱりすごい喜びでしたね。それまでよく取材で言ってたんですけど、歌を生業(なりわい)とすると、たとえば『紅白(NHK紅白歌合戦)』と、武道館と、フルオーケストラと、その三つは歌手の夢として普通に思うことだろう、というものがあったので。フルオーケストラで歌うのは驚きもあったんですけど、 同時にとても嬉しいことではありましたね。
――振り返って、初年度にはどんな思い出がありますか。
オーケストラの方々は、みなさんが一流のプロでしょう。最初のリハーサルで、大勢の人が集まっている中に入って“あ、どうも、中村です。よろしくお願いします”って、それはもう緊張しましたよ。あと、ドラムがないので、リズムを取りにくいんですよ。バラードとかミディアムの曲だから取りやすいかな?と思ったんだけど、“あれ、(リズムは)どこ行った?”みたいなね(笑)。最初の頃は、そういうこともありましたね。
――そういう時は、どこを聴かれるんですか。リズムキープのポイントは。
ベースですね。ベースの音を聴いて、あとパーカッションを聴いて、気がつくとリズムを刻んでいる人はけっこういるんですよ。ただ最初は緊張というか、舞い上がってますから。それがだんだん音を取れるようになって、去年あたりからは、アップテンポの曲も行けるんじゃないかということになって。やっぱりフルオーケストラだから、バラードとかミディアムがいいのかな?って、最初の頃はそういう曲を集めていたんですけど、アップテンポの曲をやるのもいいなと思って。だから今年は、わりとアップテンポの曲もやる予定です。
――それは楽しみです。
ただ、選曲にはなかなか苦労しますね。もっとたくさんのヒット曲があったら、“今年はその曲はやりません”と言ってもいいんでしょうけど、微妙な数のヒット曲なんで(笑)。ある程度やらないと、それを外すと“どうなってんだよお前”って言われそうで(笑)、セットリストを考えるのはなかなか大変です。
――絶対聴きたい曲というのはありますからね。ファンとしては。
たとえば「恋人も濡れる街角」を外すと言ったら、“なんで外すんだ。そんなにヒット曲ないだろ”みたいなね(笑)。「ふれあい」「心の色」「俺たちの旅」とか、どうしよう?って思うんだけど、それを全部入れると“去年と一昨年と同じじゃないか”と思われそうで。まあ、そこらへんは色々な苦労があったりしますね。
――去年は、「父に捧ぐ」を歌いましたね。とても印象的でした。
あれは、NHKの『ファミリーヒストリー』に出たことがきっかけでしたね。雅俊が3歳の時に、親父が42歳で亡くなったという話をずっとおふくろから聞いていたので、そうだと思っていたら、実は違っていて。俺が4歳の時に40歳で亡くなってたとか、いろんなことがわかったのと、親父の写真って1枚しかなかったんですよ。うちが貧乏で、写真を撮ることがあんまりなかったのと、だいたい(撮るのは)親父の役目じゃないですか。だから1枚しかなかったんだけど、『ファミリーヒストリー』で探してくれたんです。知り合いや友達が写真を持っていて、若い時の写真も出て来て、“けっこうイケメンじゃん”ってびっくりしたりして。それで急に親父の存在が身近に思えてきて、“そういえば、30代の時に親父の歌を作ったな”って。曲だけで、詞は違うんですけど、それを歌いたくなって歌ったんですけどね。
――それは特別に思いがこもりますよね。
通常のライブでも歌ったんですけど、フルオーケストラをバックにして歌った時は、やっぱり気持ちが入りましたね。また詞がね、泣かせるような詞なんですよ。やっぱり歌は、年代に合ったというか、年頃になるというのはありますね。若い時に歌うよりも、この年齢で歌ったらいいなという歌があって。だから歌は面白いなと思います。
――本当にそうだと思います。
20代の時に、荒木一郎さんと二人でアルバム(『辛子色のアルバム』1977年)を作ったことがあるんですよ。当然、俺の曲は稚拙な曲なんですけど、荒木さんの作った「辛子色の季節」という歌があって、俺は20代でその歌を歌ってたんだけど、最近歌った方がいいんじゃないかって思うんですよね。《いつか俺達にも/青春を昔話にする日が来る》って、今歌うとすごい泣けちゃうんですよ。荒木さんの作詞作曲なんだけど、やっぱり歌って、まあ20代で歌ってもいいんだろうけど、今歌っても“いいな”と思えるのがすごいなと思いますね。
――それはきっとファンの皆さんの中にも、それぞれにあるような気がします。今聴くと沁みる、というような雅俊さんの歌が。
そうだよね。最近は松井五郎さんに詞を書いてもらうことが多いんだけど、松井さんも俺の年齢とか、ずっと生きてきた感じとか、そういうものがわかるから、すごく俺に寄り添った詞が多くて、泣けちゃうんですよ。「君がいてくれたから」(2014年)という曲があるんですけど、それこそもうすぐ50周年ということも含めて、ファンのために歌うような歌でもあるし、自分のパートナーに歌うような歌でもあって、この歌を歌うとみなさん泣くんですよ。だから本当にすごいよね、歌って。
――それはぜひまた歌ってください。今回のシンフォニックライブについては、そういう大切な楽曲も含めて、久々に歌う曲もありそうですか。
ありますね。「心の色」(1981年)という曲を出してから、大津あきらさんに詞を書いてもらうことが多くて。年齢も一つ上で、プライベートでもずいぶんお世話になって、お兄さんみたいな人だったんですけど、今回は大津さんの詞を歌わせてもらうかなと思ってます。「心の色」はヒット曲でもあるんですけど、アルバムの中の曲で“やっぱり大津さんだよな”という詞もたくさんあるので。大津さん、俺が今まで出した歌で一番多いんですよ。
――あ、そうなんですね。作詞家として。
2、3年前に松井五郎さんがやってる番組のイベントがあって、ゲストで呼ばれた時に、“中村雅俊に書いた作詞家で誰が一番多くて何曲あるか”というのを調べてくれて、大津さんが1位でしたね。2位か3位が松井さんで、あとは売野(雅勇)さん。今回、売野さんの詞も歌うんですけど、それもいい詞なんですよ。かつて本当に愛した人がいて、ある事情があって別れて、今はまったく違うタイプの人と結婚して、子供もいて、幸せを絵に描いたような日々なんですけど、ふとした瞬間に“もしもあの時、あの人を選んでいたら”“でもこれで良かったんだよね”みたいなね。泣かせるんですよ。
――そこまで言うと曲名が特定されそうですが(笑)。でも雅俊さんに書かれている作詞家はすごい方ばかりで、もっと昔だと喜多條忠さん、松本隆さんですとか。
そうなんです。昔、自分の曲に松本隆さんが全部詞を書いて、アルバム(『ハートブレイカーを装って』1983年)を作るというのがあって。その中に「ハートブレイクを装って」という曲があって、それはもともと、スティーヴィー・ワンダーの『ホッター・ザ・ジュライ』の中に「レイトリー」という歌があって、奥さんの不倫を疑う男の話で。“僕の考えすぎかもしれないけど、でも……”っていう詞なんだけど、それと同じように書いてくれませんかって松本さんに頼んだら、すごくいい詞が上がって来て、“作詞家ってすごいな”と。もう感心しながら歌ってます。
――そういう歌たちも、もしかして聴けるかも?というシンフォニックライブ。12月21日は兵庫県のKOBELCO大ホール、そして2024年2月1日は東京・すみだトリフォニーホール大ホールで。この日は雅俊さんの73歳のバースデーです。
昔は考えられなかったよね、70過ぎてライブやってるなんて。すごいよね。
――そして、1974年のドラマデビューから、ちょうど50周年のアニバーサリーでもあります。やはり50年というと、特別な感慨はあるんじゃないかと思います。
そうですね。デビューして50年経つんですけど、まあ、よくやってきたなと思います。客観的に“なんでだろう?”と考えると、やっぱりたくさんの人に支えられてきたということが全てのような気がします。ファンの人であったり、スタッフであったり、一人ではここまでは来れないというのは明白なことなので。あとは、運が良かったとは思います。デビューで、主役で、ドラマの中で歌っていたデビュー曲がオリコンで1位になるとかって、普通はありえない。もう、一発屋だよね。
――そんなことはないと思いますが(笑)。
いやいや、そうですよ。だって、それ以上ないじゃない? オリコンで10週間1位だったからね。10週間1位をまたやるか?というと、それはないだろうってね。だからまあ、一発屋が確定みたいなところがあって、そこからの出発だったので。売れない苦しみもあるだろうけど、そこから出発する苦しみというものもあって。
――ああ、はい。なるほど。
ただね、楽天的な奴なんで、そんなに落ち込んだりせずにマイペースで来て。主役も、すぐダメになるかなと思ったけどけっこう続いて、コンサートも、もう1500回以上やれたので。やれたというか、まだ続いてますけど。だから、“支えられてきた”ということがあるんですよね。
――まさに「ふれあい」の歌詞のようですね。ひとはみな一人では生きてゆけないものだから。歌の言葉ですけど、最初からそう言っていたんだと思うと、グッとくるものがあります。
だから、仕事の仕方というのはよくわかんないけど、丁寧にやってたよね。ドラマをやる時は、それ一本。コンサートをやる時には、コンサートをやる。仕事の仕方がシンプルで、それが良かったのかもしれないけど。何がいいのか、こればっかりはわからない。ただここまでたどり着いた、というくらいのものですね。
――ドラマについては、2023年には『おもかげ』(NHKドラマ)という作品で主演をされました。
久々に主演でやらせてもらって、浅田次郎さんの原作で、台本を読ませてもらった時に“これは難しい”と思ったんですけどね。この世とあの世を行きかうような、浅田さん得意の世界だから。自分が病院にいて、生と死の境目をさまよっている時に、いろんな女性が訪ねてきて、その女性たちがどんどん若くなっていくんですけど、ネタを明かすとすぐにわかっちゃうんで、そこまで持っていくのが大変でした。でもね、自分でやってて、いい作品だなと思いましたよ。浅田さんも撮影現場に来て、ずいぶん長い時間いてくれたので、それだけ関心を持って見てくれたのかなと思います。
――僕なんかが言うのは口はばったいですけども、雅俊さんの今のキャリアがあるからこそハマった役柄なのかなと思います。
そうかもしれない。まあでも、1月、2月の撮影だったので、ものすごく寒かった(笑)。
――あともう一つお聞きしたかったことは、雅俊さんは常々“自分の年齢に合った歌の表現がある”ということを言われていて。それはたとえば歌い方の表現や、発声も含めて、年々変わってきているということになりますか。
変わってますね。さきほどお話ししたように、詞の理解度が深まって、今頃になって“ああ、こういうことか”みたいなこともあるし。あとはやっぱり、年を取ってくると声の調子が悪くなって、キーを下げたりするんだけど、キーを下げた表現もありなんだなと、年を取ってからわかるようになってきましたね。
――それは先日の、ビルボードライブ東京のライブを見てもそう思いました。それが“自分の年齢に合った歌の表現”ということですよね。
そうやって色々といい方向に持って行くように、みんな努力しているんですよね。
――シンフォニックライブでは、雅俊さんの年齢に合った、等身大のライブを楽しみにしています。最後に、会場へいらっしゃる方へ、メッセージをいただけますか。
日常じゃない、別世界へ連れて行きたい気持ちがありますね。演奏をする方々は一流のプロですから、音楽に導かれて、日常から離れて別世界へみなさんを連れて行けたらいいなと思います。そのナビゲーターが俺なので、うまいことナビゲーションができたらいいなということですね。頑張ります。

取材・文=宮本英夫

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