日本初出品のピカソやブラックらの作
品も、京都に50年ぶりの本格的『キュ
ビスム展』上陸、音声ガイドは三木眞
一郎&伊駒ゆりえ

3月20日(水・祝)~7月7日(日)の期間、京都市京セラ美術館にて『パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展—美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ』が開催される。
マリー・ローランサン「アポリネールとその友人たち(第2ヴァージョン)」 1909年 Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne - Centre de création industrielle (Dation en 1973) (c) Centre Pompidou, MNAM-CCI/Audrey Laurans/Dist. RMN-GP
1908年にジョルジュ・ブラックの風景画が「キューブ(立方体)」と評されたことに由来し、20世紀初頭にパブロ・ピカソとブラックによって生み出された「キュビスム」。西洋絵画の伝統的な技法であった遠近法や陰影法による三次元的な空間表現から脱却し、幾何学的に平面化された形によって画面を構成する試みは、絵画を現実の再現とみなすルネサンス以来の常識から画家たちを解放した。また絵画や彫刻の表現を根本から変えることによって、抽象芸術やダダ、シュルレアリスムへといたる道を開く。慣習的な美に果敢に挑み、視覚表現に新たな可能性を開いたキュビスムは、パリに集う若い芸術家たちに大きな衝撃を与え、装飾・デザインや建築、舞台美術を含む様々な分野で瞬く間に世界中に広まり、それ以後の芸術の多様な展開に決定的な影響を及ぼしている。
ポンピドゥーセンター外観 Centre Pompidou, architectes Renzo Piano et Richard Rogers, photo : G. Meguerditchian (c) Centre Pompidou, 2020
同展では、世界屈指の近現代美術コレクションを誇るパリのポンピドゥーセンターの所蔵品から、キュビスムの歴史を語る上で欠くことのできない貴重な作品が多数来日し、そのうち50点以上が日本初出品される。20世紀美術の真の出発点となり、新たな地平を開いたキュビスムの豊かな展開とダイナミズムを、主要作家約40人による絵画を中心に、彫刻、素描、版画、映像、資料など約130点を通して紹介。日本でキュビスムを正面から取り上げる本格的な展覧会はおよそ50年ぶりとなる。1月28日(日)まで国立西洋美術館にて開催されていた同展が、京都にも上陸する。

フアン・グリス「朝の食卓」 1915年10月 Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne - Centre de création industrielle (Achat, 1947) (c) Centre Pompidou, MNAM-CCI/Philippe Migeat/Dist. RMN-GP
音声ガイドは『ポケットモンスターシリーズ』コジロウ役などをつとめる美術愛たっぷりのベテラン声優の三木眞一郎と、『【推しの子】』ルビー役が代表作の伊駒ゆりえが、キュビスムの世界をナビゲート。ボーナストラックとして山田五郎による「そもそもキュビスムとは何?」など解説も用意されている。主な出品作品、作家は下記の通り。

●1907年:キュビスム前夜―「プリミティヴィズム」
1907年にパリの人類学博物館を訪れたピカソは、アフリカやオセアニアの造形物に衝撃を受け、「アヴィニョンの娘たち」(同展には不出品)を完成させる。その習作の1点である「女性の胸像」では、上下の先端が尖った縦長の顔のフォルムにアフリカの仮面の影響が、頭部や鼻筋のハッチング(細かな線による陰影表現)に見られる青や赤の原色の使用にオセアニア美術の影響が指摘されている。ブラックもまた、ピカソの大胆な裸婦像への応答として「大きな裸婦」を制作し、ここから2人の画家の芸術的対話が始まる。
●1908年:キュビスムの誕生―セザンヌに導かれて
ブラックは、彼が敬愛するポール・セザンヌゆかりの地であるレスタックを度々訪れた。「レスタックの高架橋」は、1907年秋の同地滞在を経てパリで描かれた作品。ここでブラックは、セザンヌ風の褐色や緑の落ち着いた色調へと移行し、遠近法を無視して簡素な幾何学的フォルムを積み重ねたような風景画を確立する。その後、1908年夏のレスタック滞在で制作された一連の風景画を中心とした27点の作品が、パリのカーンワイラー画廊での初個展で発表され、批評家から「キューブ」に還元していると評された。これが「キュビスム」という名称の誕生へと繋がる。
●1909年:ピカソとブラック―キュビスム革命
1909年から1914年まで、ピカソとブラックは共にキュビスムの造形実験を推し進め、絵画の常識を壊すような新しいアイデアを次々と試みた。彼らは単身人物像や卓上の静物といった身近なモチーフを用いて「手に触れることのできる空間」を描くようになる。1910年頃、2人は抑制された色調とともに、対象を複数の視点から観察し、いくつもの細かな幾何学的形態に分割して表すようになった。この時期にピカソが描いた「肘掛け椅子に座る女性」では、あえて背景を未完成のまま残すことで、複雑に断片化された女性の身体が、モニュメンタルな存在感をもって強調されている。
アメデオ・モディリアーニ「女性の頭部」 1912年 Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne - Centre de création industrielle (Achat, 1949) (c) Centre Pompidou, MNAM-CCI/Philippe Migeat/Dist. RMN-GP
また、モンマルトルの安アパート兼アトリエの「洗濯船」は、ピカソが居を構えた1904年以降、キュビスム草創期の重要な拠点となった。その一方で、モンパルナスの「ラ・リュッシュ(蜂の巣)」にもフランス国外からやってきた貧しい芸術家たちが集うようになり、彼らは当時最先端の美術動向であったキュビスムを吸収しながら独自の作風を確立していった。故国ベラルーシからパリに出たばかりのマルク・シャガールも、キュビスムの鋭角的、断片的な表現やドローネーの鮮やかな色彩をいち早く取り入れ、記憶の中の故郷の情景をより詩的で幻想的なものにしている。
1910年代初頭、革命前夜のロシアでは、フランスのキュビスムとイタリアの未来派がほぼ同時期に紹介され、この二派から影響を受けた「立体未来主義」が展開した。ナターリヤ・ゴンチャローワらこの潮流を代表する画家たちは、キュビスムの幾何学的な表現と、光や運動のダイナミズムといった未来派的なテーマの融合を試みている。日本初出展となる「電気ランプ」は、当時一般家庭にも普及して人々の生活を一変させた電気照明に対する彼女の関心を表し、強烈な白熱光の効果が、優美な紫色のランプ・シェードとは対照的に表現されている。
●1911年:キュビスムの広まり―サロンの画家たち
ピカソとブラックが、フランスではカーンワイラー画廊以外で作品をほとんど公開しなかったのに対し、2人の影響を受けた芸術家たちは、1911年から公的な展覧会で積極的に集団展示を行った。今では「サロン・キュビスト」と呼ばれる人々は、パリの二つのサロンを中心に活動し、大衆を意識した非常にスケールの大きい風景や人物群像を多く描いた。
フェルナン・レジェ「婚礼」 1911-1912年 Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne - Centre de création industrielle (Don de M. Alfred Flechtheim en 1937) (c) Centre Pompidou, MNAM-CCI/Philippe Migeat/Dist. RMN-GP
パリ近郊の町ピュトーにあったジャック・ヴィヨンと弟のレイモン・デュシャン=ヴィヨンのアトリエには、やがてサロン・キュビストたちが集い、芸術談義が繰り広げられた。「ピュトー・グループ」と呼ばれたこの集団には、末弟マルセル・デュシャンや隣人フランティシェク・クプカも加わり、黄金分割をはじめとする数学的概念や、運動の科学的分析への関心が共有された。彫刻におけるキュビスム表現を追求したデュシャン=ヴィヨンの「恋人たちIII」(日本初出品)では、顔を寄せ合う一組の男女がダイナミックな運動感をもって表されている。
ロベール・ドローネー「パリ市」 1910-1912年 Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne - Centre de création industrielle (Achat de l’ État, 1936. Attribution, 1937) (c) Centre Pompidou, MNAM-CCI/Georges Meguerditchian/Dist. RMN-GP
ロベール・ドローネー「円形、太陽 no.2」 1912-1913年 Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne - Centre de création industrielle (Don de la Société des Amis du Musée national d’art moderne en 1961) (c) Centre Pompidou, MNAM-CCI/Georges Meguerditchian/Dist. RMN-GP
妻ソニアと共に色彩と光の新たな表現を追求し始めたロベール・ドローネーは、現代性と伝統とを結びつけた彼のキュビスム絵画の集大成と言える大作「パリ市」(日本初出品)を生み出した。エッフェル塔がそびえ立つパリの町と、古典的な三美神を思わせる裸婦像が組み合わされている。一方1912年頃からフランスの化学者シュヴルールによる色彩の同時的対比(隣り合う色を同時に見た時に起こる対比現象)の理論に影響を受けて「同時主義」を展開する。サロン・キュビストのグループとは次第に距離を置き、とりわけ色鮮やかな「窓」や「円形」のシリーズによって抽象を先駆する新境地を開いた。純粋な色彩と抽象へと向かうこの新しい傾向は、やがて「オルフェウス的キュビスム(詩的キュビスム)」や「オルフィスム」と呼ばれるようになる。
●1914年:キュビスムと第一次世界大戦
アルベール・グレーズ「戦争の歌」1915年 Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne - Centre de création industrielle (Don de l’artiste en 1951) (c) Centre Pompidou, MNAM-CCI/Audrey LauransDist. RMN-GP
1914年に勃発した第一次世界大戦は、ヨーロッパの様々な前衛芸術運動を中断、分裂させたが、キュビスムも例外でなく、フランス人芸術家の多くが動員され、前線に送られた。「戦争の歌」は、アルベール・グレーズが従軍中のスケッチをもとに、愛国的な歌を指揮する作曲家の姿を描いた作品。一方、パリに残ったピカソやグリスら外国籍の芸術家たちは、フランス的伝統と古典への回帰を叫ぶ保守派からの批判にさらされた。 彼らは孤立を強いられながらも、それぞれ新たなキュビスムの模索を続けていく。
●1918年:キュビスム以後
フェルナン・レジェ「タグボートの甲板」1920年 Centre Pompidou, Paris Musée national d’art moderne - Centre de création industrielle (Legs de Baronne Eva Gourgaud en 1965) (c) Centre Pompidou, MNAM-CCI/Philippe Migeat/Dist. RMN-GP
戦後、キュビスムが革新性を失いつつ古典主義的な傾向へと向かったが、アメデ・オザンファンとル・コルビュジエは、機械文明の進歩に対応した新たな芸術運動として「ピュリスム」を提唱した。彼らは簡潔なフォルムと厳格な構図を特徴とする静物画を通して、幾何学的秩序に支えられた普遍的な美を体現し、さらにル・コルビュジエはそれを建築へと応用させていった。一方レジェは、ピュリスムの理念に共鳴しつつ、より機械そのもののダイナミズムに魅了された独自の「機械主義」を展開していく。
フランティシェク・クプカ「色面の構成」 1910-1911年 Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne - Centre de création industrielle (Achat, 1957) (c) Centre Pompidou, MNAM-CCI/Philippe Migeat/Dist. RMN-GP
前売り券はイープラスほかプレイガイドにて販売中。

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