チタ・リヴェラ追悼~ブロードウェイ
が愛した究極のレジェンド~「ザ・ブ
ロードウェイ・ストーリー」番外編

ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story [番外編]

ブロードウェイが愛した究極のレジェンド、チタ・リヴェラ追悼
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima

 ブロードウェイ史に輝く大スター、チタ・リヴェラが、2024年1月30日に亡くなった。1週間前の1月23日に、91歳の誕生日を迎えたばかりだった。昨年は、自叙伝「チタ:回想録」が好評を博し、今年も活躍が期待されていた中での突然の訃報に、言葉を失った方も多いだろう。彼女の広報によると、短い闘病の後(病名は非公表)、一人娘のリサや親族と友人が見守る中、静かに息を引き取ったとの事。ここでは、チタのキャリアを語る時に欠かせない『CHICAGO』などの名作とエピソードを交え、華やかなキャリアを振り返りつつ功績を偲びたい。
2023年5月に全米で発売された、チタの自叙伝「チタ:回想録」(HarperOneより発売。アマゾンの洋書で入手可)

■大充実のパフォーマー人生
『ウエスト・サイド・ストーリー』初演(1957年)のリハーサル風景。左からチタ、ジェローム・ロビンス(原案・振付・演出)、ラリー・カート(トニー)、キャロル・ローレンス(マリア) Friedman-Abeles ⒸNew York Public Library for the Performing Arts.
 チタが一躍注目された作品が、『ウエスト・サイド・ストーリー』(1957年)だった。非行少年グループのジェッツ(ポーランド系)とシャークス(プエルトリコ系)の確執を活写したこの傑作で、チタはシャークスのリーダーの情熱的な恋人アニータを演じ、ダイナミックなダンスで絶賛を浴びる(チタの父親がプエルトリコ人)。以降は、明朗なミュージカル・コメディー『バイ・バイ・バーディー』(1960年)を始め、後述する『CHICAGO』(1975年)、ライザ・ミネリと豪華競演の『ザ・リンク』(1984年)、監獄が舞台の異色作『蜘蛛女のキス』(1993年)、自伝ミュージカル『チタ・リヴェラ/ザ・ダンサーズ・ライフ』(2005年)、そしてダークな復讐譚『ザ・ヴィジット』(2015年)など次々に多彩なタイプの作品に挑み、実力をフルに発揮出来た幸運なパフォーマーだった。
二度目のトニー賞受賞となった、『蜘蛛女のキス』(1993年)の一場面 Martha Swope ⒸBilly Rose Theatre Division, New York Public Library for the Performing Arts
 クリエイターにも恵まれた。『ウエスト・サイド~』ならジェローム・ロビンスの振付・演出に、楽曲がレナード・バーンスタイン。『CHICAGO』はボブ・フォッシーの振付・演出で、曲はチタの座付きソングライター的存在となったジョン・カンダー&フレッド・エッブのコンビ。チタが良い時代に居合わせたというより、彼女の稀有な個性が振付師やソングライターを誘発し、優れたミュージカル・ナンバーへと結実した事は間違いない。
カンダー&エッブが楽曲を書き下ろした『ザ・ヴィジット』(2015年)は、チタにとって最後のブロードウェイ主演作となった。楽屋にて共演のロジャー・リーズと Photo Courtesy of Chita Rivera / HarperOne

■ライブで真価を発揮
 1970年代中盤からは、ワン・ウーマン・ショウに挑戦。私にとっての「生チタ」第一弾も、1985年に博品館劇場で上演された『チタ・リヴェラ・ショウ』だった。前年に、『ザ・リンク』で初のトニー賞主演女優賞受賞。パフォーマーとして脂の乗り切ったブロードウェイのスターが、日本でショウを行う事自体当時は稀で、早々に前売券を入手し、公演日を待ちわびたのを思い出す。そしてショウそのものが、期待に違わぬ素晴らしさだったのだ。鍛え抜かれたソング&ダンスの圧倒的ド迫力に驚愕し、愛嬌たっぷりのパーソナリティーに魅せられた。「凄い人を招聘してくれてありがとう」と、新橋方面に向かって何度手を合わせたことか。
博品館劇場での『チタ・リヴェラ・ショウ』(1985年)より。右端のダンサー、ウェイン・シレントは、後に『ウィキッド』(2003年)などで振付師として大成した(主催=博品館劇場/テレビ朝日)。
 その後2000年代にも、NYのジャズ系ライブハウスや、ナイトクラブでのショウを観る機会に恵まれた。70歳を超えたとは到底思えぬ、きびきびとしたエネルギッシュな動きは衰えを見せず、加えて円熟味を増した表情豊かなボーカルにも感嘆。ダンサーとしての評価が高いチタだが、歌手としても超一流だった。その卓越した歌唱力は、2009年リリースのアルバム「アンド・ナウ・アイ・スウィング」で堪能出来る。
「アンド・ナウ・アイ・スウィング」(輸入盤CDかダウンロードで購入可)

■忘れ去られた才能に光を当てる
 初取材がったのが2008年11月。NYで前述のショウを観た後日、インタビューに時間を割いて頂いた。大らかで気さくな人柄は噂通り。こちらの質問の狙いを瞬時に把握し、ライターにとって「おいしい話」を存分に聞かせてくれるサービス精神に感じ入った。以降何度も取材する機会に恵まれたが、特に印象に残るのが、チタの仕事仲間に対する敬愛の念。それも前述のジェローム・ロビンスやフォッシーのみならず、世間的には過少評価されている振付師の業績をショウで語り、後世に伝える姿勢だ。代表的な一人が、『ウエスト・サイド~』に、共同振付師として名前がクレジットされているピーター・ジェナーロだろう。チタはこう振り返った。
「あの作品では、ジェロームがダンスへの賞賛を独り占めしてしまったけれど、実は〈体育館のダンス〉でのシャークスの振付と、私たちシャークスの女性陣が歌い踊る〈アメリカ〉は、ステップの細部に至るまで全てピーターの創作でした。コミカルで弾けるようなダンスが得意でね、本当に才能溢れる振付師だった。彼のような素晴らしい仕事を遺した人が、今は忘れられた存在になっているのが私は悔しい。だから自分のショウでは、真実を話すだけでなく、その振付のさわりも披露するようにしているのよ」

■『CHICAGO』でチタを偲ぶ
 最後のインタビューとなったのが2022年秋。『CHICAGO』とボブ・フォッシーに関する取材だった。ちなみに本作、今年の4月に来日を果たすが、これは1996年に開幕し、現在もロングランを続けるリバイバル版(下記情報参照)。チタが主演したのは1975年の初演だった(彼女は後に、リバイバルのツアー版とロンドン公演にも出演)。
『CHICAGO』初演(1975年)の舞台より。〈マイ・オウン・ベスト・フレンド〉を歌う、ロキシー役のグウェン・ヴァードン(左)とヴェルマを演じたチタ Photo by Martha Swope ⒸThe New York Public Library
 フォッシーの妻にして、彼のミューズと謳われたグウェン・ヴァードン扮するロキシーと、チタが演じるヴェルマ。1920年代末のシカゴを舞台に、殺人を犯した2人のヒロインが暗躍するストーリーは、最早説明の要もないだろう。腰を落とした姿勢でグラインドさせながら、身体中の関節を駆使する、退廃的でエロティックなフォッシー・スタイル全開の『CHICAGO』。チタは、ユニークな振付をこう評した。
「私生活で多くの女性を愛したボブは、しなやかな肉体の、どの部分を効果的に動かせば官能的に見えるかを熟知した人だった。彼の振付をこなすためには、指先にまで常に細心の神経を配る集中力を求められました。この点においては、とても厳格だったわね」そしてチタが「ボブが私のために用意してくれた、完璧なオープニング」と称えたのが〈オール・ザット・ジャズ〉。自分のショウでも生涯歌い続けた十八番で、あの弾むようなイントロを聴くだけで、作品の世界に一気に惹き込まれる秀逸なナンバーだ。今回の来日公演でも、あの歌が流れた時、チタに想いを馳せて頂けたらこんなに嬉しい事はない。合掌。
チタのパワフルなボーカルが聴き応え十分の、初演オリジナル・キャスト盤(輸入盤CDかダウンロードで購入可)

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