日本を代表するピアニスト伊藤恵が、
南海浪切ホールでマスタークラスとリ
サイタルを開催 ―― 多忙を極める伊
藤恵に話を聞いた

日本を代表するピアニストにして、東京藝術大学教授でもある伊藤恵が、大阪府岸和田市にある南海浪切ホールにて、リサイタルとマスタークラスを10月21日(土)、22日(日)の2日に亘って開催する。マスタークラスでは、後半に受講生による演奏会もあるそうで、聴衆はビフォーアフターが楽しめる訳だ。そして翌日には伊藤自身がオール・ベートーヴェンによるリサイタルを行う。「初の試みなので、楽しみで仕方ない!」と語る伊藤に、あんなコトやこんなコトを聞いた。
朝比奈隆先生との思い出は、かけがえのないものです
――伊藤恵さんといえば、朝比奈隆時代の大阪フィルハーモニー交響楽団との演奏を思い出す方が、関西には多いように思います。
朝比奈先生が指揮する大阪フィルとの共演は、86年のヨーロッパ公演に同行させていただいて演奏したブラームスのピアノ協奏曲第1番が思い出深いです。当時のヨーロッパのマネージャーが、83年の『ミュンヘン国際音楽コンクール』での優勝を受けて、大阪フィルに私を推薦してくれたのだと思います。朝比奈先生との最初の共演は、ザ・シンフォニーホールでベートーヴェンの「皇帝」でした。そして最後の共演も、先生が亡くなる2001年の9月、札幌公演での「皇帝」でした。「皇帝」で始まり、「皇帝」で終わりましたが、その真ん中は、ひたすらブラームスのピアノ協奏曲第1番だったように思います。
大阪フィルハーモニー交響楽団 創立名誉指揮者 朝比奈隆   (c)飯島隆
――確かに新春名曲コンサートでの「皇帝」も印象深いですが、伊藤さんと言えばブラームスのピアノ協奏曲第1番のイメージが一般的には強いのではないでしょうか。朝比奈隆が指揮する大阪フィルで、ブラームスのピアノ協奏曲第2番は弾かれたことはありますか?
2番のコンチェルトは一度も弾いていません。朝比奈先生がブラームスチクルスをやられる時には決まって、1番は伊藤恵君、2番は園田高弘君ということで指名がかかりました。本当に素晴らしい経験をさせていただきました。先生は1番がお好きでした。「ロマンチックな音楽とはこういうモノです」と、オーケストラのメンバーの前でよく仰っていました。先生のテンポはゆっくりで独特です。先生のゆっくりなテンポに浸りながら、ソリストというより、オーケストラの中のピアノセクションの一員として弾いているように錯覚することがありました。私自身、「私はオケの一員だから」と、メンバーの皆さんにも話していて、皆さんと一緒になって音楽を作る喜びを味わっていました。あの時の経験はかけがえのないものです。
「朝比奈先生はブラームスのピアノ協奏曲第1番が本当にお好きでした」   (c)飯島隆
――2008年の『朝比奈隆 生誕100年記念ライヴ』では、大植英次の指揮でモーツァルトのピアノ協奏曲第23番を演奏されました。
そうでしたね。朝比奈先生との思い出はかけがえのないものです。巨匠指揮者ということでは、東京都交響楽団ジャン・フルネ先生とも何度か共演させて頂いています。ジャン・フルネ先生とはブラームスの2番をご一緒し、CDにもなりました。不思議なことに、音楽の作り方は朝比奈先生とは違いますが、マエストロの下で、マエストロが意図する音楽を皆で作り上げるという本質的な部分は同じでした。世界的な巨匠指揮者と音楽を作って来た経験は人生最大の宝物です。
大植英次指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団「朝比奈隆生誕100年記念ライブ」(2008.7.9ザ・シンフォニーH)   (c)飯島隆

大植英次指揮、大阪フィルをバックにモーツァルトのピアノ協奏曲第23番を弾く伊藤恵   (c)飯島隆

「朝比奈隆生誕100年記念ライブ」のカーテンコールで拍手喝采に応える伊藤恵   (c)飯島隆
――同時に、伊藤恵さんといえばシューマン、シューベルトの大家でいらっしゃいます。私も『シューマニアーナ』シリーズのCDは何枚か持っています。 
シューマンを弾きだしたキッカケは、恩師のハンス・ライグラフ先生が、とにかく私にシューマンをやたら弾かせることでした。私としては、「先生、シューマンは私には難しいんですが?!」という感じでしたが、「君はシューマン弾きになると良い」と言われ続けました。今ではシューマンは大好きで、尊敬していますが、当初はそう簡単に理解できる作曲家では無く、全曲録音に着手している期間も、シューマンの魅力を探す旅、のような感覚もありました。最初の録音からある程度時間が経過した時、敬愛する井上直幸先生に「シューマンは若い時にしか弾けないんだよ。シューマンは若い時にクララに弾いてもらいたくて曲を作ったでしょ。ラブレターのように。なので、若い時の溢れ出るものを大事にした方が良いよ」と言っていただいて、ようやく腑に落ちたことを覚えています。
2007年にシューマンのピアノ曲全曲録音を完遂したピアニスト伊藤恵 (c)武藤章
――それは意外なエピソードですね。「何故、シューマン?」と思いながらシューマンの全曲録音をされていたとは。
実は、シューマンより先に、私はクララ・シューマンに憧れました。留学する時に叔母さんが、原田光子さんの、『クララ・シューマン ー 真実なる女性』という伝記をプレゼントしてくれました。その本に夢中になり、シューマンのことは、クララ・シューマンの夫であり、彼女の弾く曲を作った人として最初は捉えていました。18歳の時のことです。その後もシューマンの曲は、すべてクララも弾いたのだと思いながら弾いていました。
――シューベルトに取り組まれたキッカケは何だったのですか?
シューマンを弾きだした頃から、シューベルトは好きで弾いていました。『ミュンヘン国際音楽コンクール』もシューベルトの19番のソナタで賞をいただきましたし。そんな時に、留学先のザルツブルクの音楽祭で、シューベルトの遺作3曲(ピアノソナタ第19番~第21番)を、アルフレッド・ブレンデルが弾くというので、軽い気持ちで聴きに行きました。そこで、天と地がひっくり返るほどの衝撃を受けたのです。私が弾いているシューベルトは、オママゴトに過ぎない。それは、シューベルトの中に含まれている天国的な美しさと、煉獄の炎に焼かれるような凄まじい演奏だったのです。ブレンデルの、芸術を表現する命懸けの姿勢を目の当たりにして、終演後は2時間ほど口をきけませんでした。感動と衝撃が入り乱れ、コンサートホールであんなに泣いたのは初めてでした。シューベルトの素晴らしさをブレンデルが教えてくれたのです。今でもあの演奏を思い出すと、涙が出てきます。それからですね、シューベルトの音楽をちゃんと表現するには、私は人間的にまだまだ足りていない。これではシューベルトに失礼だ。31歳の若さで亡くなったシューベルトの演奏を、いい加減な形で弾くのは許されないと思い、26歳のときに一旦人前でシューベルトを演奏する事をやめ、40歳まで一度も弾いていません。40歳になって、シューマンの全曲録音も終わりが見えてきた時、このままではシューベルトを弾かずに死んでしまう。それでいいのだろうかと自問自答しました。自分がシューベルトのお姉さんから、お母さんの歳に近づいていく中で、漸く自分の人生経験でもシューベルトを弾く事にお許しが出たかなと思って、集中して取り組むようになりました。
「シューマンとシューベルトが、私をベートーヴェンに導いてくれたように思います」 (c)武藤章
――そしてベートーヴェンに至る訳ですね。
シューマンの作品を弾いていると、シューベルトとベートーヴェンに対する憧れの気持ちが感じ取れます。シューベルトを弾いていると、ベートーヴェンを最も敬愛していたことが判ります。二人が見ていた景色の先にはベートーヴェンがいたんですね。私もベートーヴェンは子供の頃から尊敬していましたけれど、正直言って難しい。コンチェルトや室内楽などはそれほどでもないのですが、ピアノ・ソナタは本当に難しいと思ってきました。シューマンとシューベルトが、私をベートーヴェンに導いてくれたように思います。
――シューマンとシューベルトがキッカケで、ベートーヴェンに辿り着いたというのも興味深い話ですね。
世の中には素晴らしい演奏家によるベートーヴェンアルバムが溢れています。巨匠の名演、若手の挑戦、古楽研究家の斬新なアプローチなど、いっぱい出回っているのに、私が今更ベートーヴェンを弾く意味はあるのだろうか、そう思ったこともありました。そんなある時、ベートーヴェンの音楽の中に優しさを発見したのです。ずっと難しいと思ってきた彼のソナタですが、彼が楽譜にドルチェ(優しく)と書き込んだ箇所が、どれほどの優しさに満ちていることか。それ以来、私はベートーヴェンを世界一優しい男と呼んでいます。ベートーヴェンは弾き手に優しさをくれます。ならば、彼の優しさを扉として、彼の音楽の中に入っていくことは出来ないかと思って弾き始めました。ただ弾き始めてみると、優しさだけではベートーヴェンは許してくれません(笑)。正反対の厳しさや、精神的な深みや高みなど、とんでもないエネルギーが必要です。やはり大変な作曲家でした。
「私はベートーヴェンを世界一優しい男と呼んでいます」 (c)武藤章
●南海浪切ホールでマスタークラスとリサイタルをやらせて頂きます
――南海浪切ホールのリサイタルでは、そんなベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」や第8番「悲愴」、第21番「ワルトシュタイン」と言ったお馴染みの曲に加え、後期三大ソナタの一つ、第30番作品109を演奏されます。
「月光」や「悲愴」は、20代の頃からコンサートで弾いて欲しいと言われることの多い、人気の曲です。「ワルトシュタイン」も根強い人気を持つ曲ですが、人前で弾いたのは意外と遅かったですね。作品109は、ライグラフ先生にいちばん最初に教えてもらった曲です。後期のソナタは10代では難しいと言われていましたが、一生懸命勉強して、コンクールに持っていった作品です。
「南海浪切ホールでは、オール・ベートーヴェン・プログラムをお届けします」 (c)大杉隼平
――プログラムでは前半が「悲愴」と「ワルトシュタイン」、後半が「月光」と第30番のソナタです。曲順にも拘りがお有りだとか。
調性には拘っています。ベートーヴェンが難聴による不安な気持ちを、特別な調性と言われるハ短調で書いた「悲愴」に対し、その6年後、新しい性能を有したピアノが手元に届いた喜びを、ハ長調の調べに乗せて書き上げた「ワルトシュタイン」の対比を味わっていただこうと、前半に2曲を並べました。後半の「月光」と第30番作品109は、嬰ハ短調とホ長調という並行調で書かれ、兄弟の調性になっています。「月光」は暗く、美しい音楽で、「絶望してはいけないんだ」と自分に言い聞かせている音楽です。一方、第30番は少しベートーヴェンの見ている次元が違い、曲の中に音楽の神様を感じます。弾いていると神様が、「弱くても、完璧でなくてもいいんだよ」と許してくれている気持ちになります。ベートーヴェンはこの曲の後、第31番、第32番と作曲していますが、この3曲が「後期三大ソナタ」と呼ばれるベートーヴェンのピアノ・ソナタの最後を飾る、ピアニストにとっては特別な曲となっています。ここではそんな中から第30番を、タイトル付きの人気曲と合わせてお聴きいただきます。
――南海浪切ホールでは通常のコンサートとは別に、マスタークラスを開催されます。マスタークラスの受講生6人の内、3人がベートーヴェンを弾かれるそうですね。受講生を教えている姿を通して、伊藤さんのベートーヴェンに対する思いなどが垣間見えるかもしれませんね。
大学で教えはじめて20年経ちました。私と学生の関係は、教えると言うより、学生が弾いているのを聴いて、こちらがインスパイヤーされて、それに対して、もっとこういうことが出来るのではないかとアドバイスを送るといった関係です。もちろん拘りはありますが、人それぞれ違うので、彼らのいちばん良い所が音楽と結びついて、個性が育って行くことが重要だと考えています。今回、南海浪切ホールでも普段私がやっている生活を、2日間で再現出来れば良いなぁと思っています。私の思い描いていたアイデアを取り入れてくださった南海浪切ホールのスタッフの皆さまには大変感謝しています。
「マスタークラスの受講生には後半、レッスンした曲を演奏してもらいます」 (c)武藤章
――通常のマスタークラスとは違いがあるのでしょうか。
受講生の方にレッスンをするのは通常のマスタークラスと変わりませんが、後半では受講生の皆さまにレッスンした曲を演奏して頂きます。本格的なホールで、コンサート仕様のピアノを使った、立派な発表会ですね。皆さんには、人前で演奏する事の喜びを感じて欲しいと思っています。そして2日間を通して、私が教える姿と、リサイタルでピアノを弾く姿をご覧いただきます。普段の私の姿をご覧になっていただける、珍しい機会です。このような形のコンサートは初めてのこと。上手くいけば、全国で広げていければと考えています。
――いよいよ来年、ベートーヴェンの後期3曲を採り上げたコンサートを日本各地で開催されます。
今から15年ほど前ですが、声楽家の畑中良輔先生に「恵さん、ベートーヴェンの後期三大ソナタはいつ弾くの?」と聞かれました。それを聞いて逆に、いつか後期のソナタ3曲に特化したコンサートをやらないといけないんだなぁと思いました。ベートーヴェンのピアノ・ソナタは、32曲すべてが人格のように全く違う曲です。シンフォニーもそうですが、似た曲が無く、全ての曲にベートーヴェンらしさを感じられて、素晴らしいという所がベートーヴェンの凄さだと思います。後期三大ソナタは、世界一優しい男、ベートーヴェンが最後に辿り着いた境地ですから、愛に溢れた音楽であることは間違いありませんが、私にはやはり全てを許してくれる神様の言葉のように聴こえます。実現するまで随分時間はかかりましたが、来年、ベートーヴェンの後期三大ソナタを携えて、高崎、名古屋、札幌、仙台、東京で、コンサートを予定しています。恒例となった東京の紀尾井ホールでのリサイタルもこのプログラムでお聴き頂きます。どうぞお楽しみに。
――後期三大ソナタを弾き終えた後は、どうされますか。
ベートーヴェンの後期のソナタを弾いたからといって、ピアニストを引退する訳ではありません(笑)。ベートーヴェンでまだ弾いていない曲も沢山ありますし、ベートーヴェンのシリーズはまだ終わりませんよ。若い作品番号に戻って弾くつもりをしています。ピアニストとしては、ベートーヴェンが表現したかったことを感じ取って、演奏できる幸せがあります。若い作品を弾いていると、こちらも若い気持ちになります。彼は色々と斬新なアイデアをソナタに持ち込んでいるので、感心しながらも若さを貰っています(笑)。そして来月、ブラームスのピアノ協奏曲第1番を高関健さんの指揮で富士山静岡交響楽団と演奏させていただくので、久し振りにブラームスを弾いてみるのもいいかもしれませんね。意外に思われるかもしれませんが、フォーレやプーランクも大好きです。弾きたい曲は色々とありますが、お客様の前で弾くかどうかは、また別問題です。
「ピアニストとしては、作曲家が表現したかったことを感じ取って演奏できることが幸せです」 (c)武藤章
――伊藤さんからは、あまりショパンのイメージが湧きません。これまでにエチュードやプレリュードのアルバムをリリースされていることは存じ上げていますが、ショパンに対してはどのように思われていますか。
ショパンの音楽は、私が学んできたドイツ音楽とは言語が全く違います。ピアニストとして、ショパンの音色を表現することは大切だと思いますが、本格的にショパンを学ぶなら、ベートーヴェンと対峙するのと同じくらいの真剣さが必要で、ショパン以外は弾いてはいけないと思います。私は、ショパンで好きな曲も沢山ありますし、マズルカなんかは家で趣味として弾いています。ただ、ポーランドのエヴァ・ポブウォッカのマズルカを聴いたら、もう泣くしかないほど素晴らしい。世界には素晴らしいショパン弾きがいるので、別に私が弾かなくていいと思っています。時々、弾く時の言い訳としては、ショパンもバッハが好きだったので、その視点で弾いているという感じでしょうか。今後も人前でショパンを弾くことは、やはりあまり多くは無いと思います。ショパンが大好きというピアニストは世の中には溢れているので、お譲りします(笑)。
――最後にメッセージをお願いいただけますか。
今回、マスタークラスとリサイタルを二日かけて行うという、初めての試みをさせていただき、光栄に思っています。マスタークラスで受講生の皆さんにアドバイスしたことを、彼らがどのように受け取って演奏会で弾いてくださるか楽しみです。私の恩師ライグラフ先生は、1日の内8時間くらいレッスンして、その後、夜の9時から夜中の2時くらいまで自分の練習をされる方でした。40人の弟子に、年間40回の演奏会、というのが先生の自慢でした。「どうしてそんなに練習するんですか」と尋ねたら、「自分が(自分の)いちばん良い生徒だ」と仰いました。その時は、意味が分からなかったのですが、自分が教える立場になってみて、なるほどなぁと判った気がしました。私が音楽に向き合う姿勢は、これまでと何も変わっていません。そんな私が、マスタークラスの受講生にどのようなアドバイスをして、翌日のコンサートで、どのような演奏するのか。少しプレッシャーはかかりますが、2日間通して見て頂けると嬉しいです。これは、私にとっても貴重な機会です。大阪岸和田の南海浪切ホールでお会いしましょう。
「大阪岸和田の南海浪切ホールで皆様をお待ちしています!」   (c)大杉隼平
取材・文=磯島浩彰

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