爆音アワー

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いい音爆音アワー vol.94 「元超え♪
カヴァー特集」

いい音爆音アワー vol.94 「元超え♪カヴァー特集」
2018年9月12日(水)@風知空知
今はだいぶ落ち着いているようですが、近頃の日本は、カヴァーものが大流行(おおはやり)でしたね。
中にはよい企画もありましたし、ヒットしたものもありました。だけど、よくあったのが、アーティストのネームバリューの無さを、曲のネームバリューで、それこそカヴァーしようってやつ。まぁ、ひとつの作戦ですし、悪いことでは全然ないですが、それだけだと、芸がないと言いますか、つまらないですよね。
同じカヴァーでも、オリジナルはちっとも売れず、そのままなら歴史の海底に埋没していたであろう曲が、いいカヴァーによって、見事にヒット曲となったケースや、オリジナルもそこそこは売れていたけど、ある人がカヴァーしてもっと大きなヒットになったケース、あるいは、カヴァーなんだけど、その人のオリジナルみたいに、しかも代表曲のひとつになってしまっているケースなどもあります。こういうのがカヴァーの醍醐味なんじゃないでしょうか。
そんなかっこいいカヴァーを、「元超えカヴァー」って名づけてみました。


福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
Santana「Black Magic Woman / Gypsy Queen」
ブルースバンド時代のフリートウッド・マックがオリジナル。だけど、実はさらにその元ネタが存在した…?!
∨1st シングル(1972年5月1日発売)
2nd アルバム『Abraxas(天の守護神)』(1972年6月1日発売)収録
作詞・作曲:Peter Green (Black Magic Woman)、Gábor Szabó (Gypsy Queen)/プロデュース:Fred Catero, Carlos Santana
レーベル:Columbia
全米4位 アルバムは全米1位

・オリジナルは”Fleetwood Mac”の1968年3月29日にリリースされたシングル。米国で1969年1月にリリースされたベスト盤『English Rose』に収録された。ただし、彼らの1st アルバムに収録されている「I Loved Another Woman」(by Peter Green)にそっくり。
・サンタナ版のリード・ヴォーカルはGregg Rolie (key)。
・メドレー曲の「Gypsy Queen」もカヴァー作品。オリジナルはハンガリー出身のギタリスト、ガボール・ザボGábor Szabó。彼のデビュー・ソロ・アルバム『Spellbinder』(1966)に収録されている。
Gladys Knight & the Pips「Midnight Train to Georgia(夜汽車よ! ジョージアへ)」
オリジナルはタイトルが「Midnight Plane to Houston」だった。
∨シングル(1973年8月発売)
11th アルバム『Imagination』(1973年10月発売)収録
作詞・作曲:Jim Weatherly/プロデュース:Tony Camillo, Gladys Knight & the Pips
レーベル:Buddah Records
全米2週連続1位、R&B1位 アルバムも全米1位、R&B1位

・オリジナルは作者のジム・ウェザリー。アルバム『Weatherly』(1972)に収録された。その時のタイトルは「Midnight Plane to Houston」だった。
・ある時、ウェザリーが友人のリー・メジャーズLee Majorsに電話すると、彼がその頃つきあっていた(73年に結婚)女優のファラ・フォーセットFarrah Fawcettが出た。「何しているの?」と尋ねると、「Taking the midnight plane to Houston」、実家のヒューストンに帰ろうとしているところだった。このフレーズにピンときて、彼は曲を作った。
・1973年にシシィ・ヒューストンCissy Houston(Whitneyの母、Dionne Warwickの叔母)がカヴァー。その際、「飛行機」から「列車」に、「ヒューストン」から「ジョージア」に変えていいかと訊かれたウェザリーは、「いいよ」と応え、「ただし、その他は変えないでくれ」とつけたした。
・シングルはMotownからのBuddah(ブッダ)への移籍後第2弾、アルバムは移籍後第1作。
・1974年の第16回グラミー賞で「最優秀R&B歌唱賞(デュオまたはグループ)」を受賞した。
Whitney Houston「I Will Always Love You」
オリジナルはドリー・パートン。でも参考にしたのはリンダ・ロンシュタット版。
∨シングル(1992年11月3日発売)
アルバム『The Bodyguard: Original Soundtrack Album』(1992年11月17日発売)収録
作詞・作曲:Dolly Parton/プロデュース:David Foster
レーベル:Arista
全米14週連続1位(その時点での最長記録)、オリコン洋楽チャート27週連続1位
アルバムも米英日はじめ、世界各国で1位、世界で4200万枚、日本でも280万枚を売り上げた。

・オリジナルはDolly Parton。1974年6月6日、シングル発売。これもヒットし、カントリー・チャートの1位を獲得。82年に映画「The Best Little Whorehouse in Texas」のために録音し直し、それがまたカントリー1位となった。
・ヒューストンの映画初出演作「The Bodyguard」(92年11月25日公開)の主題歌。
・リンダ・ロンシュタットLinda Ronstadtもアルバム『Prisoner In Disguise』(1975)の中でカヴァーしている。ケヴィン・コスナーがこれを映画の主題歌に勧めた。ドリー・パートンは、「ロンシュタットは最後のヴァースをやっていないが、それは重要なのでぜひ入れてほしい」と要望した。
・アカペラで始まるスタイルを、レコード会社は嫌がったが、ヒューストンとコスナーはそれにこだわった。
・1994年、第36回グラミー賞で、「Record of the Year」と「Best Pop Vocal Performance, Female」を獲得。

ホイットニー・ヒューストン:
1963年8月9日、米国ニュージャージー州ニューアーク生まれ。
歌手のシシー・ヒューストンCissy Houstonの3番目の子供。
1985年2月14日、1st アルバム『Whitney Houston(そよ風の贈りもの)』をリリース。シングル「Saving All My Love for You(すべてをあなたに)」から7作連続で全米1位となる、ビートルズの6作を超える快挙。
1987年6月、2nd アルバム『Whitney』リリース。
1992年7月、歌手のボビー・ブラウンBobby Brownと結婚。
 同年11月、アルバム『The Bodyguard: Original Soundtrack Album』リリース。
2006年10月、離婚。
2012年2月11日、ビバリーヒルズのホテルの部屋の浴槽で倒れ、死去。グラミー賞の授賞式を翌日に控えていた。満48歳没。
Otis Redding「Try a Little Tenderness」
ジャズ・スタンダードをカヴァー。オーティスの熱唱でソウル史に残る傑作となった。
∨第2弾シングル(1966年11月14日発売)
5th アルバム『Complete & Unbelievable: The Otis Redding Dictionary of Soul』(1966年10月15日発売)収録
作詞・作曲:Jimmy Campbell, Reginald Connelly, Harry M. Woods/プロデュース:Jim Stewart, Isaac Hayes, Booker T. & the M.G.'s
レーベル:Volt / Atco
全米25位、R&B4位 アルバムは全米73位、R&B 5位

・オリジナルは”Ray Noble & His Orchestra” (with vocals by Val Rosing)。1932年。
・ ビング・クロスビー(1933)やフランク・シナトラもカヴァー。アレサ・フランクリンも3rd アルバム『The Tender, the Moving, the Swinging Aretha Franklin』(1962)の中でカヴァーしている。
・オーティスがカヴァーしたいと言ったとき、音楽出版社が、黒人だからという理由でネガティヴだったという話もある。
・オーティス、生前最後のスタジオ・アルバム。

オーティス・レディング:
1941年9月9日、ジョージア州ドーソン生まれ。
1967年12月10日、飛行機事故で死去。満26歳。
Aretha Franklin「Respect」
こちらはオーティスの曲をアレサがカヴァー。女性の自立を応援する歌に昇華。巨星墜つ。ご冥福をお祈りします。
∨第2弾シングル(1967年4月16日発売)
10th アルバム『I Never Loved a Man the Way I Love You』(1967年3月10日発売)収録
作詞・作曲:Otis Redding/プロデュース:Jerry Wexler & Arif Mardin/エンジニア:Tom Dowd
レーベル:Atlantic
全米1位(初)、 アルバムは全米2位、R&B1位

・オリジナルはOtis Redding、1965年夏にシングル・リリースされ、全米35位。3rd アルバム『Otis Blue』(1965年9月15日発売)に収録された。
・Otis版とはかなり違う。特に歌詞は、Otis版は、男が女に対し、「何をやってもいいけど、俺が金を稼いで来た時くらいは敬意を払ってくれ」という内容なのに対し、アレサ版は、女が男に対し、「私はあなたに何も間違ったことはしないし、何も要求しないけど、いつも敬意を持って接してちょうだい」と、強く自立した女性像を歌い上げる。
・”R-E-S-P-E-C-T”と”Sock It to Me”(さあ、どんと来い)というコーラスはOtis版にはない。

アレサ・フランクリン:
1942年3月25日、米国テネシー州メンフィス生まれ。
1960年9月、デビュー・シングル「Today I Sing the Blues」をリリース。
2018年8月16日、膵臓の神経内分泌腫瘍により死去。満76歳。
園まり「逢いたくて逢いたくて」
歌謡史屈指の名曲は、オリジナル歌詞への反省(?)から生まれました。
∨19th シングル(1966年1月発売)
作詞:岩谷時子/作曲・編曲:宮川泰
レーベル:ポリドール

・カヴァーと言うよりは焼き直し。原曲は”ザ・ピーナッツ”の7th シングル「手編みの靴下」(1962年)。こちらも作詞は岩谷時子。
・この曲のヒットにちなんで歌謡映画「逢いたくて逢いたくて」が、1966年6月1日に日活系で公開。”スパーク3人娘”(園まり、中尾ミエ伊東ゆかり)やドリフターズが出演。

その まり:
1944年4月12日、神奈川県横浜市生まれ。
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夏川りみ「涙そうそう」
これを夏川りみがカヴァーしたことで、彼女も成功し、BEGINも成功した。
∨3rd シングル(2001年3月23日発売)
作詞:森山良子/作曲:BEGIN/プロデュース:京田誠一
レーベル:ビクター・エンタテインメント
オリコン8位(232週チャートイン) 

・オリジナルは、森山良子がアルバム『TIME IS LONELY』(1998年)に収録。BEGINも2000年3月にシングル発売。オリコン159位。
・森山良子が、ライブで共演したBEGINと意気投合して、曲を依頼した。送られてきたデモテープに「涙そうそう」と書いてあり、沖縄の言葉で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味であると聞き、森山が、若くしてこの世を去った兄を想う歌詞をつけた。
・夏川は、沖縄サミットのテレビ中継でBEGINがこの曲を演奏しているのを見て、カヴァーしたいと思い、夏川の姉とBEGINメンバーが同級生という縁もあったので、依頼。
・NHK紅白歌合戦に第53回(2002年)から56回まで、4年連続でこの曲を歌った。

なつかわ・りみ(出生名:兼久(カネク)りみ):
1973年10月9日、沖縄県石垣市生まれ
1986年(中学1年)、第10回「長崎歌謡祭」に出場、史上最年少でグランプリを獲得。
1989年(16歳)、ポニーキャニオンから”星美里”の名で演歌歌手としてデビュー。
1996年に一度引退。沖縄県那覇市の姉が経営する飲食店で働く。
1999年5月21日、ビクターより、”夏川りみ”としてシングル「夕映えにゆれて」で再デビュー。
2001年3月23日、「涙そうそう」リリース。じわじわとヒット。
2002年、第44回日本レコード大賞で「涙そうそう」が金賞を受賞。第53回NHK紅白歌合戦にも同曲で初出場した(以降第56回まで4年連続で「涙そうそう」を唄う)。
2009年1月1日、パーカッション奏者玉木正昭と結婚。
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Carpenters「Superstar
カーペンターズは”元超えカヴァー名人”ですね。
∨シングル(1971年8月12日発売)
3rd アルバム『Carpenters』(1971年5月14日発売)収録
作詞・作曲:Bonnie Bramlett, Leon Russel/プロデュース:Jack Daugherty
レーベル:A&M
全米2位、全英18位、オリコン7位 アルバムは全米2位、全英12位

・オリジナルは”Delaney & Bonnie”のシングル「Comin' Home」(1969年12月発売)のB面。このときはタイトルが「Groupie (Superstar)」だった。全米84位、全英16位。
・1970年8月には、ジョー・コッカーのライブ・アルバム『Mad Dogs and Englishmen』内でカヴァー。ヴォーカルはリタ・クーリッジRita Coolidge。アルバムは全米2位のヒット。
・ある日、ベット・ミドラー(当時はそんなに知られていなかった)が、テレビ番組の「The Tonight Show Starring Johnny Carson」で、この曲を唄っているのを観たリチャードが、「これは絶対カレンにピッタリの曲だ」と思い、カヴァーすることにしたが、2番のヴァースにある歌詞、「I can hardly wait to sleep with you again」が直接的過ぎると感じ、「I can hardly wait to be with you again」に変えて唄わせた。
・カレンがたった1回(それも初めて)唄ったテイクを、リチャードは「完璧だ!」として、そのまま採用した。
・アルバムは、LPのジャケットが、大きな茶封筒のように見えたので、ファンの間では”The Tan(黄褐色) Album”と呼ばれる。「カーペンターズ・ロゴ」を初めて使ったアルバム。

カーペンターズ:
Richard Carpenterは1946年10月15日、Karenは1950年3月2日、米国コネチカット州ニューヘイブンで生まれた。
1969年4月22日、A&Mと契約締結。
 同年10月9日、1st アルバム『Offering』リリース。ビートルズの「Ticket to Ride(涙の乗車券)」のカヴァーが全米54位とまずまずのヒット。アルバムも『Ticket to Ride』と改められて1970年に再発売された。
1970年3月、シングル「(They Long to Be) Close to You」リリース。全米1位。
 同年8月19日、2nd アルバム『Close to You』リリース。
1971年、グラミー賞で、兄妹は「Best New Arthist」、シングル「Close to You」が「Best Contemporary Performance by a Duo, Group, or Chorus」を獲得。
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1983年2月4日、カレン、死去。死因は神経性無食欲症に起因するエメチンの心毒性。
Rita Coolidge「You」
この歌、昔から好きですが、ずっと彼女のオリジナルだと思っていました。
∨第1弾シングル(1978年6月発売)
7th アルバム『Love Me Again』(1978年5月発売)
作詞・作曲:Tom Snow/プロデューサー:David Anderle with Booker T. Jones
レーベル:A&M
全米25位、AC 3位  アルバムは全米32位

・オリジナルは、作者のTom Snowで、アルバム『Taking It All In Stride』(1975年)に収録。その後、オーストラリアのシンガーMarcia Hinesが、1977年10月、シングルとしてリリース。オーストラリアで2位となった。クーリッジ版はオーストラリアではチャートインできなかった。

リタ・クーリッジ:
1945年5月1日、 米国テネシー州ラファイエット生まれ。
10代後半、ブッカー・T・ジョーンズと知り合う(姉のプリシラは後にジョーンズと結婚)。
ジョーンズの紹介で、”デラニー&ボニー”に参加。
ロスに移転し、バックグラウンド・シンガーとして多くのアーティストのレコーディングに参加。その一人、レオン・ラッセルは彼女を高く評価し、ジョー・コッカーの『Mad Dogs and Englishmen』ツアー(ライブ・アルバムも)で、フィーチャーする。
Derek and the Dominos”の「Layla」(1970)の後半、ピアノ・メロ部分はドラマーのジム・ゴードン作曲となっているが、実はリタとの共作らしい。
1971年2月、1st アルバム『Rita Coolidge』リリース。
1973年、クリス・クリストファーソンKris Kristoffersonと結婚(1980年に離婚)。
1977年3月、6th アルバム『Anytime…Anywhere』リリース。全米6位。ジャッキー・ウィルソンのカヴァー、「(Your Love Has Lifted Me) Higher and Higher」のシングルが全米2位のヒット。
1978年5月、7th アルバム『Love Me Again』リリース。
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Cyndi Lauper「Girls Just Want to Have Fun」
これも、彼女がオリジナルだと思っている人、多いよね。
∨シングル(1983年9月6日発売)
1st アルバム『She's So Unusual(ニューヨーク・ダンステリア)』(1983年10月14日発売)収録
作詞・作曲:Robert Hazard/プロデュース:Rick Chertoff, William Wittman
レーベル:Portrait
全米2位、全英2位、オリコン洋楽1位、オーストラリア、カナダ、アイルランド他10カ国で1位 アルバムは全米4位、TOP 40に65週間チャートイン

・オリジナルは作者のRobert Hazardが1979年に作ったデモテープ。彼は”Robert Hazard and the Heroes”というバンドで活動しており、81年頃、地元フィラデルフィアのFM局”WMMR”で、この曲がかかりまくった。
・MTVのVideo Music Awardで1984年の「Best Female Video」を獲得。MVに登場するお母さんは実の母親。父親役はプロレスラーの""Captain"" Lou Albano。Steve Forbertも出ている。
・85年のグラミー賞で、ローパーは「Best New Artist」最優秀新人賞、アルバムは「Best Album Package」を受賞。

シンディ・ローパー:
1953年6月22日、米国ニューヨーク市ブルックリン地区生まれ。
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Kim Carnes「Bette Davis Eyes(ベティ・デイビスの瞳)」
オリジナルははっきり言って凡作。これをヒット・チューンにできると判断した慧眼がまずすばらしい。
∨先行シングル(1981年3月10日発売)
6th アルバム『Mistaken Identity』(1981年4月発売)
作詞・作曲:Donna Weiss, Jackie DeShannon/プロデュース:Val Garay
レーベル:EMI America
全米1位(9週)、1981年年間1位 アルバムも全米1位

・オリジナルはジャッキー・デシャノン。アルバム『New Arrangement』(1974年)に収録。
・グラミー賞の「Record of the Year」「Song of the Year」を受賞。

キム・カーンズ:
1945年7月20日、米国ロサンゼルス市ハリウッド生まれ。
幼少時、隣人にデヴィッド・リンドレーがいた。
1971年、アルバム『Rest on Me』でソロ・デビュー。
1980年、「More Love」、ケニー・ロジャースとのデュエット曲「Don't Fall In Love With A Dreamer(荒野に消えた愛)」がヒット。
1981年3月、シングル「Bette Davis Eyes(ベティ・デイビスの瞳)」をリリース、計9週間全米1位という記録的な大ヒットとなる。世界各国のチャートでも1位を獲得。グラミー賞の最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞を受賞した。
1985年、”USA for Africa”に参加し、「We Are the World」のブリッジ部分でリード・ヴォーカルをとった。
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Bay City Rollers「I Only Want to Be with You(二人だけのデート)」
オリジナルもカヴァーもみんなヒット。鉄板のヒット・チューンってことだね。
∨先行シングル(1976年8月29日発売)
4th アルバム『Dedication』(1976年9月発売)収録
作詞・作曲:Mike Hawker, Ivor Raymonde/プロデュース:Jimmy Ienner(”Raspberries”など)
レーベル:Arista (North America), Bell (Europe/International)
全米12位、全英4位 アルバムは全米26位、全英4位、オリコン1位

・オリジナルは英シンガー、Dusty Springfieldのデビュー・シングル(1963年11月8日)。全英4位、全米12位(BCRと全く同じ!)。
・この曲をカヴァーする案を出したのはArista社長のClive Davis。プロデューサーにJimmy Iennerを指名したのも彼。
・”Eurythmics”のAnnie LennoxとDavid A. Stewartがいた”The Tourists”も1979年にこの曲をカヴァーし、全英4位で、バンド最大のヒットとなっている。

ベイ・シティ・ローラーズ:
英国スコットランド・エディンバラ出身
前身は1965年に結成された”The Saxons”。アランAlan (b)とデレクDerek (dr)のロングミュアーLongmuir兄弟と4人の友人により結成。
1968年、”Bay City Rollers”と改称。
1971年夏、シングル「Keep on Dancing(朝まで踊ろう)」でデビュー。全英9位。
1974年、レスリー・マッコーエンLeslie McKeown (vo)、 エリック・フォークナーEric Faulkner (g)、ステュアート・ウッディ・ウッドStuart John Wood (g)、アランとデレクの5人体制でまとまる。
1975年、「Bye Bye Baby」が全英1位のヒット。
1976年、「Saturday Night」が全米1位の大ヒット。
2018年7月2日、アランがスコットランドの病院で死亡。満70歳。
Chicago Transit Authority「I'm a Man」
B面だったし、チャート的には”元超え”じゃないんだけど、初期シカゴの代表曲のひとつってことで。
∨シングル「Questions 67 and 68」の再発盤(1971年9月発売)のB面
1st アルバム『Chicago Transit Authority(シカゴ I/シカゴの軌跡)』(2枚組)(1969年4月28日発売)収録
作詞・作曲:Steve Winwood, Jimmy Miller/プロデュース:James William Guercio
リード・ヴォーカル:Terry Kath, Peter Cetera, Robert Lamm
レーベル:Columbia
全米49位、全英8位 アルバムは全米17位(171週ランクイン)、全英9位

・オリジナルは”The Spencer Davis Group”のシングル(1967年1月発売)。全英9位、全米10位。
・”Chicago Transit Authority”というバンド名は、無断で使うなと、「シカゴ交通局」からクレームが入って、このアルバムだけに終わったが、後に管轄の電車やバスの車内放送に、無断でChicagoの曲を使っていた。

シカゴ:
ロバート・ラムRobert Lamm (Vo,Key)、テリー・キャスTerry Kath (Vo,G)、ジェイムズ・パンコウJames Pankow (Tb)、ウォルター・パラゼイダーWalter Parazaider (Woodwinds)、リー・ロックネインLee Loughnane (Tp)、ダニー・セラフィンDanny Seraphine (Drums)の6人で結成され、さらにピーター・セテラPeter Cetera (Vo,Bass)が加わった。
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Daryl Hall and John Oates「Family Man」
カヴァーなのに、とてもホール&オーツっぽい曲に聴こえる。選曲センス◎。
∨シングル(1983年4月30日発売)
11th アルバム『H2O』(1982年10月4日発売)収録
作詞・作曲:Mike Oldfield, Tim Cross, Rick Fenn, Mike Frye, Morris Pert, Maggie Reilly/プロデュース:Daryl Hall, John Oates
レーベル:RCA
全米6位、全英15位 アルバムは全米3位、全英24位

・オリジナルはMike Oldfieldのシングル(1982年5月28日発売)。アルバム『Five Miles Out』からカットされた。リード・ヴォーカルはスコットランド人シンガーのMaggie Reilly。全英45位。
・歌詞がちょっと違う。そもそも、男が娼婦にくどかれて、「いや、僕は家庭を大事にする男だから」と断る話だが、オールドフィールド版は、あまりに男が堅くて、娼婦が怒って出ていってしまうのに対し、ホール&オーツ版は、男が最後やはりその気になったら、娼婦はもういなかったというオチ。

ホール&オーツ:
1972年11月12日、Atlantic Recordsより、Arif Mardinのプロデュースで、1st アルバム『Whole Oats』リリース。
1975年8月、RCA Records より、4th『Daryl Hall & John Oates』をリリース。
1976年8月、5th アルバム『Bigger Than Both of Us(ロックン・ソウル)』リリース。全米13位。シングル「Rich Girl」が全米1位に。
1980年7月、9th アルバム『VOICES』リリース。セルフ・プロデュースに変え、それまでロサンゼルスでレコーディングしていたものをニューヨークに変え、ニール・カーノン(Neil Kernon)というエンジニアを採用して制作したら大ヒット。シングル「Kiss on My List」は全米1位を獲得。
1981年、続く10th アルバム『Private Eyes』も大ヒット。全米5位。
1982年、11th アルバム『H2O』は彼ら最大のヒット。全米3位。
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The Beach Boys「I Can Hear Music」
フィル・スペクターはじめ、「Be My Baby」の作家チームが作った曲。オリジナルのロネッツ版はなぜ売れなかったんだろう?
∨第2弾シングル(1969年3月3日発売)
15th アルバム『20/20』(1969年2月10日発売)収録
作詞・作曲:Jeff Barry, Ellie Greenwich, Phil Spector/プロデュース:Carl Wilson(初の単独プロデューサー・クレジット)
リード・ヴォーカル:Carl Wilson
レーベル:Capitol
全米24位、全英10位 アルバムは全米68位、全英3位

・オリジナルは”The Ronettes”、1966年10月リリースのシングル。全米100位。
・1973年に、”Larry Lurex”(実はフレディ・マーキュリー)がカヴァー。全米115位だったけど。
・Capitolでの最後のオリジナル・アルバム。
・いろいろ入れると20枚目のアルバム。タイトルの由来だが、”20/20”は米式の視力の表記で、日本での1.0に相当する。
・アルバム収録曲は、それまでにブライアン・ウィルソンが作りためていた未完成曲を、彼が精神病院に入ってしまったので、弟のカールとデニスが完成させたものが中心。この「I Can Hear Music」は、このアルバムのために、カールがカヴァーすることを決めた。

ビーチ・ボーイズ:
ブライアン、デニス、カールのウィルソン兄弟が、いとこのマイク・ラヴ、高校の友人アル・ジャーディンと共に1961年にバンドを結成。
1961年、小レーベル「Candix」と契約し、シングル「サーフィン」をリリース、全米75位まで上り、Capitolとの契約を果たす。
1962年、シングル「Surfin' Safari」リリース。全米14位。
1963年9月、3rd アルバム『Surfer Girl』リリース。このアルバムから、ブライアン(この時21歳)がプロデュースを担当するようになる。
1964年末、ツアーに向かう飛行機内でブライアンが精神に混乱を来たし、ライブを欠席し、以降のライブには参加せず、音創りに徹することを宣言。このツアーではグレン・キャンベルが代わりを務め、その後ブルース・ジョンストンBruce Johnstonが正式メンバーとして加入する。
1966年5月、ブライアンが、ビートルズの『Rubber Soul』に対抗意識を燃やして、作ったコンセプト・アルバム『Pet Sounds』リリース。全米10位、50万枚を売り上げたが、それまでのイメージとかけ離れた内容にCapitolは不安を懐き、すぐにベスト盤を発売。瞬く間に100万枚を売り上げ、ブライアンは深く傷つく。しかし英国では好評で、アルバムが2位、シングルもヒットした。
その次のアルバム『Smile』制作中にブライアンはノイローゼになり、ドラッグとアルコールに依存するようになる。結局アルバムは完成せず、他のメンバーが断片を適当に集め、でっち上げた『Smiley Smile』が1967年9月にリリースされた。
1969年2月リリースの『20/20』を最後にCapitolを離れる。
ワーナー傘下のRepriseに移り、自分たちのレーベル「Brother Records」でリリースを開始。
1970年8月、アルバム『Sunflower』リリース。
・・・

ラリー・ルーレックス:
1972年夏、”Queen”のメンバーはロンドン、ソーホーのトライデント・スタジオでぶらぶらしていることが多かった。ダウンタイム(客が使っていない時間)を使ってレコーディングさせてもらっていたからだ。
その頃、スタジオのハウス・エンジニア、ロビン・ケーブルRobin Geoffrey Cableが、フィル・スペクターのサウンドにインスパイアされ、自分でも「I Can Hear Music」のカヴァーで”The Wall of Sound”を作りたくなり、フレディ・マーキュリーに唄ってくれるよう頼んだ。フレディは了承し、ブライアン・メイとロジャー・テイラーも呼んでレコーディングが行われた。
しかし、それをシングルで発売するまでに1年近くかかり、その頃には”Queen”のデビュー・アルバムが発売されようとしていた。フレディの名前を出すわけにいかず、”Larry Lurex”という名義で、73年6月、シングル「I Can Hear Music」が、EMIから発売された。


次回の爆音アワーは・・・

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