サイモン&ガーファンクルが残したポ
ップス史に残る不朽の名作『明日にか
ける橋』

1960年代にはロックとともにフォーク界からもきらめくような才能が出現した。S&Gと略称されることも多いサイモン&ガーファンクルもその代表的な存在のひとつ。1964年のデビュー以来、ギター1本の伴奏で瑞々しいばかりのフォーク音楽を生み出してきた彼らが、次第に音楽性の枠を拡大し、やがてポピュラー音楽史上に燦然と輝く名作を生む。それが『Bridge Over Troubled Water(邦題:明日にかける橋)』だった。リリースされてからはや半世紀近い年月が流れようといているが、ここに示された今なお色褪せない完成度の高さには、創造性の限りを追求し尽くし、フォークという枠、時代を超越するスケールを感じさせる。

今回も相当迷ったのだが、最終的に“一番売れた”ということをキメ手にこのアルバムを選んだ。空前の大ヒット、問答無用、文句なし。リリース当時(1970年)、ビルボードのポップアルバム・チャートで10週連続で首位、グラミー賞6部門を獲得している。日本でも翌年の1971年にリリースされ、オリコン・チャートでこれまた7週連続首位という驚異的な記録を残している。映画『卒業』(1967年に制作され、日本でも翌年公開されて大ヒット。主演はダスティン・ホフマン、キャサリン・ロス。主題歌「The Sound of Silence(サウンド・オブ・サイレンス)」他をサイモン&ガーファンクルが担当した)により、一般にも知名度が浸透していたという追い風があったにせよ、すさまじいまでのヒット作と言うほかない。
筆者が買った彼らのアルバムとしても、このアルバムが最初だった。しかし、それは80年代に入ってからのことで、実は何か必要に迫られて買ったのであって、聴きたいという願望から入手したのではなかったと記憶している…。と、いきなり屈折した書き方になってしまったが、もちろん彼らのことを知らなかったわけではなく、それどころか、先述の映画の影響もあったのだろう、このアルバムが出た頃(小学6年生/1970年頃)にはすでに存在を知っていた。音楽好きの兄とその友人が彼らのことを頻繁に話題にしていたし、ギター愛好家なら、彼らの曲をコピーするというのは通過儀礼である、というふうに言われていたからだった(難易度高かったと思うのだが…)。彼らの3作目となった『Parsley,Sage,Rosemary And Thyme(パセリ・セージ・ローズマリーアンド・タイム)』('66)の冒頭を飾った「Scarborough Fair(スカボロー・フェア)」などは、その練習曲としてもてはやされていたと記憶しているのだが、どうだろう。ちなみに、私には今でも弾くのは無理だと思う。歌の主旋律とは別ルートのフレーズで展開していくギターは、今聴いても斬新だし、そんなアレンジをよく思いついたものだ。そして、ギターもさることながら高度なコーラスワークを聴いていると、当時の吉田拓郎や岡林信康をはじめ、いわゆる四畳半フォークと紹介されることもある日本のフォークとはまったく別次元のものに思えたものだった。そう、日本のフォークとは全然異質なこととは別に、今振り返って考えてみると、ボブ・ディランやそれに続き、主にアメリカから出現したシンガー・ソング・ライターたちとも違うテイストを感じさせ、彼らがあまりフォークらしくないことが、私にずるずるとアルバム購入をためらわせた理由のひとつだった。
もうひとつ、何となく彼らを敬遠してしまったのは、やはりロックな時代にあって、サイモン&ガーファンクルはいかにも優等生に見えたことだ。文化祭か何かのコンサートでのこと、いかにも学業優秀で、風紀の乱れを微塵も感じさせないふうの上級生が、澄まし顔でサイモン&ガーファンクルのコピー演奏を披露していた光景が今も生々しく思い出される。その完璧なまでの演奏ぶりに、彼らの前に演奏していた下手くそなロックバンドがにわかに頭の悪い猿の集まりのように色褪せて見えてしまうのを目の当たりにして、それを私は気の毒と思うよりも反発心を覚え、意地になってS&Gではなく、VU(ヴェルベット・アンダーグラウンド)をプライオリティーの上位に据えたものだった。

NY出身のフォーク・デュオを世界的な人
気アーティストへと押し上げた大傑作

というわけで、話がいきなり脱線してしまったが、劣等感を多少は克服した私は、アルバム『Bridge Over Troubled Water』を80年代に入って、成人してから入手することになり、遅ればせながら冷静に聴いたのだった。その時は心底、長く彼らを敬遠してきたことを悔い、感動したものだった。これを書くにあたり、久しぶりにアルバムを取り出して聴いてみたのだが、非の打ち所のない傑作であり、44年も経っていながら、本作におけるその圧倒的な完成度、スケール感はいささかも古びていなかった。全11曲(2001年にデモ曲を加えた全13曲のリマスター盤が出ている)、中には彼らが敬愛するエヴァリー・ブラザーズのカバー「Bye Bye Love」も含まれているが、オリジナル曲がどれもシングルヒットが狙えそうなくらい粒ぞろいだ。
 
プロデュースは彼ら自身、そしてロイ・ハリー(Roy Halee)があたっている。ロイ・ハリーはアニメの声優出身で、テレビカメラマン、はたまたトランペット・プレイヤーというユニークな経歴の持ち主なのだが、サイモン&ガーファンクルとの仕事以前には同じCBS Columbiaのあのボブ・ディランのヒット作、「Like A Rolling Stone」のラジオ用シングルの録音にエンジニアとして関わっている他、後にはバーズやローラ・ニーロ、ブラッド・スェット&ティアーズ、ジャーニー等とも仕事をしている。サイモンとガーファンクルとは本作の他に『GRADUATE』('68)、『BOOKENDS』('70)をはじめ、ポール・サイモンの初ソロ作『PAUL SIMON』('72)、『GRACELAND』('86)、『THE RHYTHM OF THE SAINTS』('90)にもエンジニアとして関わるなど、とりわけポール・サイモンの片腕的な存在といえる人物だ。
参加ミュージシャンも主にスタジオ・ミュージシャンとして高名な人たちが並んでいる。ドラムにハル・ブレイン(Hal Blain)、ベースにジョー・オズボーン(Joe Osborn)、キーボードにラリー・ネクテル(Larry Knechtel)。意外なところでは、ギターにフレッド・カーター・ジュニア(Fred Carter,Jr.)の名をクレジットに認めることができる。彼は後年、ザ・バンド解散後にリヴォン・ヘルムが結成したRCOオールスターズにも参加していたプレイヤーで、どちらかと言うとルイジアナ出身らしく南部系R&Bのイメージが強かったので、意外に思えたものだった。本作のどの曲で弾いているのか判然としないのだが、少しそれらしい泥臭いギターが聞こえる「Baby Driver」あたりではないかと私は睨んでいるのだが、どうなのだろう。
1曲目、「Bridge Over Troubled Water / 明日に架ける橋」は、何度聴いても“圧巻”という印象だ。大仰な感じがしないでもない。崇高なまでのドラマチックな展開、ストリングスを配した演奏もそうだが、圧倒的な歌唱力で歌い切るアート・ガーファンクルのテノールには感動させられる。ぐうの音も出ないという感じだ。ポール・サイモンという巨大な才能に比べれば、ソングライティングに関わることなく、楽器演奏もせず、ヴォーカル専門という役割のアート・ガーファンクルの存在感というのは、それまで希薄なものに思われがちだったのだが、この1曲のパフォーマンスに多くの聴衆が目を見開かされたのは間違いない。アート(ガーファンクル)あってのS&Gなのだ。
続く2曲目「El Condor Pasa(If I Could)」も超有名曲。邦題では「コンドルは飛んでいく」と付けられた、南米のフォールクローレをネタに、英語の詞を付けたもの。後年、ポール・サイモンはアフリカ音楽や南米音楽に接近してみたり、いわゆるワールド・ミュージックとアメリカのポピュラー音楽の融合を盛んに試みるのだが、その萌芽と言えるものがこの時代に認めることができるわけだ。
個人的には膝やハンド・クラッピングを生かしながら歌う3曲目の「Cecilia」、ニューヨーカーの彼ららしく、高名な建築家のことを歌った5曲目の「So Long,Frank Lloyd Wright」、美しいコーラスが冴え渡る「The Only Living Boy In New York」などは何度聴いても感動的だ。6曲目の「The Boxer」も盛大にストリングスやドラム音を使い、ヒットした。この曲は意外なところではボブ・ディランが自身のアルバム『Self Portrait』の中でカバーしている。ディランとサイモン&ガーファンクルは因縁浅からぬものがあるのだが、サイモン&ガーファンクルもデビュー作『Wednesday Morning.3AM(邦題:水曜の朝、午前3時)』でディランの「The Times They Are A-Changein'(邦題:時代は変わる)」をカバーしている。
 
ひと通りアルバムを聴いて、やはり本作にはフォークらしさは希薄なように私には感じられた。それが方向性としては正解だったのかもしれない。まだ彼らがトム&ジェリーと名乗って活動していた頃から、ポール・サイモンは多くの音楽出版社が軒を連ねていたという、いわゆるティン・パン・アレーと呼ばれる地区、とりわけキャロル・キング、ジェリー・ゴフィン、ニール・セダカといったソングライターたちが出入りしていたことでも知られるブリル・ビルディングにも足繁く通っていた。そんなところから判断すると、ポール・サイモンにとっては、「フォーク」という枠にこだわる気持ちなどさらさらなく、自分たちの音楽が広く大衆の耳に届く「ポップス」という枠組みに置かれることになんの抵抗もなかったのだろう。とにかくリリースされたのは1970年なのだ。サイケデリックな気風もまだ盛んで、カウンターカルチャーにまみれ、ハードで荒削りなロックが台頭する時代にあっては、彼らはそれらとは関わらない別の場所に身を置いていたように見える。スタイルやルックスからすれば時代遅れだ。ところが、この洗練された音作り、アレンジの妙は、同時代のアーティストより数歩先を行っていたと言えなくもない。

伝説的なスタジオの魔術により、埋もれ
かけた才能に光があたる

先ほどディランの名前を出したついでに、彼らとディランの関わりについて、かいつまんで紹介しておこう。デビュー作を出したものの、さっぱりヒットしなかったことに落胆したポール・サイモンはアート・ガーファンクルを残し、単身、英国に渡ってしまう。英国では主にスコットランドのフォークシーンに入り浸り、クラブ等で歌っていたとされている。その間、アルバムプロデューサーだったトム・ウィルスンは、このデビュー作『Wednesday Morning.3AM(邦題:水曜の朝、午前3時)』が当たらなかったことに首をかしげていた。とりわけ収録曲の「Sounds of Silence」は少し手を加えればまったく違った結果になったのではないかと睨んでいた。その時、スタジオで彼はちょうどボブ・ディランの『Highway 61 Revisited』をレコーディングしている最中だった。1965年6月16日、名曲「Like A Rolling Stone」を録音し終えた直後、ディラン本人は帰ってしまったけれど、スタジオにはミュージシャンが残っていた。そこで、ひらめいたトム・ウィルスンはギターのマイク・ブルームフィールド、ベースのハーヴィー・ブルックス、ドラムのボビー・グレッグにもう1曲だけオーバーダビングに付き合ってくれと頼み、サイモン&ガーファンクルの「Sounds of Silence」のエレクトリックバージョンを仕上げたのだった。トム・ウィルスンの目論見は見事に的中し、今度こそ「Sounds of Silence」はヒットチャートを駆け上り、ビルボードのヒットチャートで第1位を獲得する。
 
そのことを伝えられたポール・サイモンは急遽、本国に呼び戻され、アート・ガーファンクルとともに新たにこのエレクトリックバージョンの「Sounds of Silence」をタイトルチューンに据えたアルバム『Sounds of Silence』('66)が制作されることになったのだった。完成したアルバムは大ヒットし、このブレイクをきっかけにしてサイモン&ガーファンクルはアメリカを代表するフォーク・デュオとして人気を不動のもにしていく。ディラン側からこのエピソードについて、特に本人がコメントしたものは今のところ見た覚えはない。トム・ウィルスンが勝手にやったことであり、ディラン本人はとくに関心もないというところだろうか。前述したように、本作に収録の「The Boxer」をディランはカバーしている。彼がカントリーミュージックに大接近した時期のもので、ドラム、ベースのほかに彼のアコースティックギター、ドブロによる演奏に、リードヴォーカル、そこに本人によるバッキングヴォーカルをかぶせるという2声コーラスもなかなか秀逸なバージョンなのだ。一聴をおすすめする。例によって、どうしてサイモン&ガーファンクルのこの曲をカバーしたのかは、ディランは一切語ってはくれないのだが。

金字塔と呼べる本作後、別々の道を歩み
はじめる二人

この傑作を発表して、ふたり、とりわけポール・サイモンの中ではコンビでの音楽制作にやり尽くした感があったのか? あるいは自分だけでアルバムを作りたいという、ソロキャリアへの願望が首をもたげてきていたのか? リリース後、彼らは活動を停止してしまう(コンビ解消といった表明はなされていない)。以降、ふたりはそれぞれ秀逸なソロ作を発表し、ソロアーティストとしても成功を収めている。ガーファンクルに至っては、俳優として数本の映画作品に出演する。
大成功のあとの活動停止だけに、不仲がささやかれたりもした。しかし、それを否定するように、時折、彼らはコンビを復活させ一緒にステージに立ったりする。中でも有名なのは、1981年9月、何の前触れもなく発表され実現した、ニューヨークのセントラルパークで行なわれた復活コンサートだった。これはチャリティーを目的としたフリーコンサートでの開催で、それもあってか、なんと50万人もの観衆を集めたと言われている。ウッドストック・フェスティバル並の大群衆を収容できるスペースが果たしてセントラルパークにあっただろうか、とこの数字には私は到底信じられないのだが…。コンサートは映像作品としても世に出ており、現在でも入手しやすいアイテムだろう。また、翌年、『The Concert In Central Park』('82)として正規のライヴ盤としてリリースされ、これも大ヒット作となっている。
時代的には音楽が巨大産業として成長する一方、そうした企業主導の大味な音楽の作られかたに反発するように、パンク、ニューウェイブが台頭してきた頃だ。アルバム『Bridge Over Troubled Water』を最後に活動を停止してから12年、すっかり過去の存在として忘れられかけていたはずだが、大観衆を前にスティーブ・ガッド(Dr)、リチャード・ティー(Kbd)といった当時のフュージョン界を代表するプレイヤーをバックに素晴らしい演奏、歌声を披露し、衰え知らずの人気を見せつける。エヴァーグリーンとも言いたくなるような彼らの名曲が、混迷する時代に屹立しているような感じだ。そして、ふたりを熱烈に支持する観客の反応を見ていると、彼らの生み出した音楽はある意味で時代を超越しているのだと思わされる。
日本にはこのライヴ盤のキャンペーンも兼ねてのことだったのだろうか、82年に初来日公演が行われた他、1993年、そして最近も2009年に彼らは来日している。このように、時折、ふたりは肩を並べ、変わらぬ歌声を聴かせてくれるのだが、ポールのソロ作にアートがゲストで参加というケースはあるものの、サイモン&ガーファンクル名義でともにスタジオに入ってのレコーディングは行なわれていない。
 
記憶に新しい来日公演のせいもあるが、20代、30代のリスナ−、また音楽をクリエイトする人たちにもボブ・ディランの音楽は今も大きな影響を示し、また雑誌やネットをはじめとしたメディア上で過去の作品について顧みられる機会も少なくない。一方、サイモン&ガーファンクルはどうだろうか。彼らの残した音楽も改めて聴くと、やはりため息が出るほど素晴らしいのである。ディランに比べると特集が組まれて再評価、という機会はガクンと少ないが、ぜひ一度、本作を入口に彼らの音楽を辿っていただきたいものだ。また、二人組のフォークデュオは、日本においても過去、そして現在でも数多く存在してきたが、特にヒットチャートを賑わせている現在のJ-POPのフォークデュオになかなかその影響を認めることができないと感じるのは私だけだろうか。時代が変わったのだと言ってしまうのはたやすいけれど、今なお無視できない音楽だと思うのだが。

著者:片山明

OKMusic編集部

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