L.Aのローカルバンドだったイーグル
スが、世界で認められたアルバム『呪
われた夜』

ウエストコーストロックの代表として、大いに人気を集めていたのは確かであるが、3rdアルバム『On The Border』(’74)までは、L.Aのローカルバンドに過ぎなかったイーグルス。そんな彼らが世界に羽ばたくきっかけとなったのが4thアルバム『One Of These Nights』(邦題:呪われた夜)だ。イーグルスと言うと5thアルバムの『Hotel California』(’75)ばかりに注目が集まるが、実は本作こそが、イーグルスらしさを残しつつ、世界中のロックファンにアピールした名盤だ!

 そもそもイーグルスは、リンダ・ロンスタット(Wikipedia)のバックを受け持つグループとして誕生した。僕の記憶では、彼女の3作目となる『Linda Ronstadt』(’72)でクレジットされたのが最初だと思う。この作品は、それまでのカントリー寄りのポップシンガーとしてのリンダ・ロンスタットではなく、カントリーロックシンガーとしてのスタイルを確立した佳作だと言えるだろう。
 結成当時のイーグルス(名前はまだなかった)は、ギター、バンジョーのバーニー・レドン(中年以上の人は“バーニー・リードン”という呼び名のほうがしっくりくるかも)と、ベースのランディ・マイズナーを中心に、若手のグレン・フライ(同じく中年以上は“グレン・フレイ”と呼んでいたはず)とドン・ヘンリーの4人組であった。後年、フライとヘンリーの覇権争いでグループは解散することになるのだが、デビュー当時は、2人とも音楽歴の浅い新人であった。彼ら4人はロンスタットのバックで腕を磨き、来るべきデビューに向け準備していた。
 70年代初頭、アメリカ西海岸では、サイケデリックロック(Wikipedia)から、徐々に土の香りのする爽やかなロックへと主流が移行しつつあった。CSN&Yやバーズ、グレイトフル・デッドらの大物グループをはじめ、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド、CCR、ポコなど、カントリーロック(Wikipedia)と呼ばれるグループが、雨後のタケノコのように現れた頃で、日本でもフォークブームなどの関連で、これらのグループが大いに受けたものだ。中でも、ディラーズ、ディラード&クラーク、フライング・ブリトー・ブラザーズなどは玄人受けのするグループとして、今でも愛好者は多い。

 当初のリーダー、バーニー・レドンは、そのディラード&クラークとフライング・ブリトー・ブラザーズに在籍、ランディー・マイズナーはポコのベーシストであっただけに、カントリーロック・ファンにとっては、イーグルスはスーパーグループのひとつでもあったのだ。ただ、この2人に比べると、グレン・フライは超マイナーレーベルのエイモス・レコードから『Longbranch/Pennywhistle』(’70)を、ドン・ヘンリーも同じくエイモス・レコードで『Shiloh』(’70)をリリースするものの、まったく注目されずに終わっていた。
 イーグルスの人気が高くなってきたころ頃、輸入盤専門店で、これら2枚のアルバムが出回るようになり、僕はその時に入手した。版権の問題からであろうが、未だに正規のCD化はされていない。これらのグループには、イーグルスのアルバムにもゲスト参加する、J.D・サウザー、アル・パーキンス、ジム・エド・ノーマンらの顔も見えるし、ジャクソン・ブラウンもこの時代から彼らと付き合いがある。

アサイラム・レコードからデビュー

 リンダ・ロンスタットのバックミュージシャン時代、ジャクソン・ブラウンやJ.D・サウザーと同様、創立して間もないアサイラム・レコードのデヴィッド・ゲフィンに認められ、イーグルスとしてのデビューが決定した。アサイラム・レコードはインディーズではあったが、イーグルスやジャクソン・ブラウン、トム・ウエイツらを獲得することで、L.Aのロックシーンにおいて、80年代初頭まで大きな力を発揮していくことになる。
 イーグルスのデビュー盤『Eagles』(’72)は、発売当時さほど注目されることはなかったが、アメリカ西海岸では絶大な人気を得た。日本でもアメリカンロック好きやサーファー(当時、流行しつつあった)には大絶賛で迎えられた。“ウエストコーストロック”(ウェストコースト・ロック)という日本独自の言葉は、この頃に生まれている。このアルバムに収録されたヒット曲「Take it easy」は、ジャクソン・ブラウンとグレン・フライの共作によるウエストコーストロックの典型的なスタイルで、これ以降のカントリーロックの指針となるほどで、多くのアメリカンロッカーに影響を与えた曲である。僕は中3の頃、みのもんたがやっていたラジオのロック番組『カム・トゥゲザー』で初めて聴き、翌日シングル盤を買いに行った。この時、この曲はベストテンには入っておらず、みのさんが「チャート圏外ではあるけれど、フレッシュな新人を紹介しましょう」と言ってかけてくれたのだった。それまで、ハードロックとブルースを中心に聴いていた僕であったが、それまでに聴いたことのない軽快さと爽やかさで、この曲が痺れるほど好きになった。
 日本のミュージシャンでも、めんたんぴん、センチメンタル・シティ・ロマンス、久保田麻琴と夕焼け楽団などのグループは、イーグルスの影響をかなり受けていたはずだ。

 西海岸ならではの、カラッとした爽やかさのあるサウンド、メンバー全員がコーラスし、土臭い香りがするような彼らの音楽スタイルは、実はイギリス人プロデューサーのグリン・ジョンズの思い描いた音作りだと言われている。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジョー・コッカーなどを手がけた大物プロデューサーだけに、グループの本質を掴むことが上手であったのだろうと思う。アメリカ西海岸でレコーディングしていたら、これほど西海岸らしく仕上がらなかったかもしれない。イーグルスのデビュー盤は、アルバムの完成度でいうと80点ぐらいかもしれない。しかし、ウエストコーストロックというスタイルを生んだという意味で、この後のロック界に計り知れない影響を与えていくことになる。

グレン・フライとバーニー・レドンの確

 西海岸で絶大な人気を誇っていた彼らだが、メンバーのグレン・フライは世界で認められたいという野心を持っていた。そもそもイーグルスのサウンドは、バーニー・レドンとグリン・ジョンズのイメージから成り立っている部分が多かったのだが、フライはもっとハードでソウル寄りのサウンドを目指していたようだ。デビュー作をはるかに凌ぐ2ndアルバム『Desperado』(’73)は、内容は文句なしであったにもかかわらず、たいして売れなかったことで、レコード会社からグループのテコ入れを余儀なくされた。そこでレドンの旧友であったギタリスト、ドン・フェルダーを迎え入れ、ハードなナンバーにも対応できるようにグループを改造する。
 また、グリン・ジョンズと仲の悪かったフライの意向を汲み、プロデューサーをこれまた大物プロデューサーのビル・シムジクに替えた。これは3rdアルバム『On the Border』(’74)の制作途中のこと。グリン・ジョンズとビル・シムジクという2人のプロデュース作が入り乱れたことで、ハードな曲からカントリー風の曲までが同居する、少々バランスの悪い仕上がりとなった…とはいえ、このアルバムも名曲揃いのアルバムである。
 余談であるが『Desperado』の西部劇風アルバムジャケットの裏には、当時まだ新人だったジャクソン・ブラウンとJ.D・サウザーが、イーグルスのメンバーと混じって写っている。

『呪われた夜』のリリース

 さて、ようやく本作の登場である。1975年にリリースされた彼らの4枚目のアルバム『One of These Nights』。プロデュースは前面的にビル・シムジクが担当、グループの音楽性がこれまでの作品とは大きく変わってしまっている。当時、僕の高校では「もうイーグルスではなくなってしまった…」とか「ブラックサバスみたいなジャケット」など、賛否というよりは否の意見のほうがはるかに多かった。まだ、イーグルスと言えば「Take it easy」のイメージが強い頃なので、シングルカットされた「One of These Nights」を受け入れるのには、しばらく時間がかかったのも確かである。ところが、イーグルスのファンでない人間にとって、先入観がないぶん魅力的だったらしく、それまでイーグルスを知らなかったことがウソのように、流行り出した。
 グループの変化のポイントは、プロデューサーがビル・シムジクに代わったことと、優れたギタリストのドン・フェルダーの参加、そしてグループのリーダーがグレン・フライとドン・ヘンリーになったこと、この3点に尽きる。グレン・フライの念願だった“ソウル風味のあるハードなロック”を表現し、イーグルスとして初の全米1位を獲得できたことで、フライとヘンリーのリーダーシップは強固なものになっていく。
 本作では、バーニー・レドンのカラーは極力抑えられ、彼の意見もフライやヘンリーに却下されていく。結局、バーニー・レドンは75年に脱退し、イーグルスはその音楽性をAOR寄りへとシフトしていくことになるのだ。僕は個人的には、イーグルスはバーニー・レドンが脱退した時点で終わったと考えている。

本作収録曲について

 収録曲は全部で9曲。全てメンバーの書いた曲ばかり。グループに嫌気が差していたレドンであるが、結構彼の個性が出ているのは少し不思議だ。グレン・フライとドン・ヘンリーが主導権を握っているのは「One Of These Nights」「Holywood Waltz」「After The Thrill Is Gone」。ドン・フェルダーがメイン・アレンジを担当しているのが「Too Many Hands」「Visions」。レドンは「Journey Of The Sorcerer」と「I Wish You Peace」、マイズナーは「Take It To The Limit」、全員が絡んでいるのが「Lyin' Eyes」だろうと思う。中でも全米2位となったシングル「Lyin' Eyes」は、本作中唯一デビュー時のイーグルスを思わせる作品であり、演奏、リードヴォーカル、コーラスのどれをとってみても、イーグルスらしさがよく出た名曲である。この曲でグラミー賞のベスト・ポップ・ヴォーカル賞を獲得したのもうなずけるところだ。
 フライが、イーグルスに取り入れるべきだと主張したように、ソウル風のハードな曲そのもののタイトル曲、「One Of These Nights」はヘンリーのヴォーカルがすごいし、コーラスも最強。彼のイメージ通りに仕上がったのがこの曲だろう。また、この曲はフェルダーのギターソロが最高! 「Hotel California」(これはジョー・ウォルシュとのツインギター)と並ぶ、ロック史上に残る名演だ。
 マイズナーのヴォーカルは、イーグルス参加前から定評があるが「Take It To The Limit」(全米8位)でのハイトーンは、何度聴いても素晴らしい。デビューシングルの「Take it easy」で、フライとハモってるのもマイズナーだ。
 レドンが主導権をとったオカルト風の「Journey Of The Sorcerer」は、一般的に評判はよろしくないが、ジム・エド・ノーマン(ゲスト参加。ヘンリーとはShilohで一緒だった)のオーケストレーションや、レドンの幻想的なバンジョー、デビッド・ブロムバーグ(ゲスト参加。ディランのバックでお馴染み)のフィドルなど、何度も聴いているうちに良くなってくる逸品。本作の最後に収録されている「I Wish You Peace」はレドンがリードヴォーカルをとっていて、「アルバム中、この曲が一番好きだ」というイーグルスファンは意外と多い。レドンのゆるりとした“まったり感”に癒やされるらしい。イーグルス脱退後、レドンは友人のマイケル・ジョージアデスと一緒に『Natural Progressions』(’77)というアルバムを、グリン・ジョンズ(!)のプロデュースでリリースしている。「I Wish You Peace」が好きな人なら絶対に気に入ると思うので、聴いてみてほしい。今なら日本盤が1200円…ワーナーの新名盤探検隊シリーズで出ているが、すぐに廃盤になってしまうかも…。
 この後、メンバー間のいざこざやドラッグ、ツアー疲れなどで、グループとして最悪の状態になってしまうが、レドンの替わりにジョー・ウォルシュを迎え『Hotel California』(’76)をリリースし、アメリカ最高のグループと評されることになる。確かに『Hotel California』は、捨て曲のない良くできた作品だと僕も思う。しかし、ロックスピリットがあるかと聞かれたら“かつてはあったが、もうない”と答えるだろう。そんなわけで、まだロック精神を感じる『One Of These Nights』を紹介したのだが、実はイーグルスの最高傑作は73年の2nd『Desperado』なんだよね。
 このあたりは、また別の機会に!

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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