まさに英国の華と言いたくなる、
レスリー・ダンカンの
珠玉の歌を覚えていてほしい

類まれなソングライティングの才と
天性の歌唱力、センス

初期の、CBSレーベル時代のアルバムに惹かれるファンも少なくない。先述のデビュー作『シング・チルドレン・シング』、セカンド作『アース・マザー』(‘72)を中心にボーナストラックを加えて編まれた『Sing Lesley Sing: The RCA And CBS Recordings 1968-1972』もおすすめだ。

いかにも英国女性シンガーらしく、しっとりと湿り気を帯び、けっして明るく弾むことはないものの、母性を感じさせるような、強さと包容力のある彼女の声。その歌に触れていると、品の良さそうなルックスと相まって安楽な場所へ深く、導かれるような気になったりする。ソングライティングには伝統音楽(トラッド)やフォークからの影響も少なからずありそうだ。一方でアトランティックやモータウンをはじめ、ブラックミュージック、R&Bの影響も色濃く、その豊かな音楽性には目を見開かされる。驚かされるのは、彼女はアルバムの全曲を自身で書いている。エルトンが「英国のキャロル・キング」と称えたのも頷ける。また、低音気味の声質が幸いしたと言うべきか、ソウルっぽいヴォーカル、コーラスを取らせると、ゆるやかなグルーヴを感じさせる黒っぽい喉を聴かせるところも魅力かと思う。

レズリー・ダンカン1943年にイングランド北東部ダラム州にあるストックトン=オン=ティーズ という町で生まれている。北海に面した港湾都市だ。年齢的にはビートルズのメンバーとほぼ同年代(ジョージ・ハリスンと同い年)で、おそらくはレスリーもティーンエイジャーあたりから音楽に夢中になっていたのだと思われる。ロックンロール、ドゥー・ワップ、スキッフル、R&B、ソウルミュージックといったところだろうか。そして、彼女は顔に似合わず、大胆な行動に出る。14歳で学校を辞めてしまうと、19歳の時にロンドンに出て、カフェで働きながらソングライティングを始める。やがて音楽出版社に雇われるようになり、シンガーとしての能力も認められ、EMIと最初のレコーディング契約を取りつける。このあたりは、まさに英国版キャロル・キングそのものである。その頃に映画『ホワット・ア・クレイジー・ワールド』に出演しているという情報があり、モッズの匂いたっぷりの、スウィンギングロンドンを先駆けるような映画のクリップを必死でチェックしたのだが、これがレスリー…という確証を得る姿は判別できなかった。
というわけで、実はとてつもなく長い経歴の持ち主である。せっかくなので、最も初期の彼女のレコーディング曲を取り上げておこう。彼女のファーストシングル、しかもオリジナル曲であり、これが1963年と知ると、なかなか驚きではないか? おまけに、リリースされたのはパーロフォンレコードからで、ビートルズと同じレーベルなのである。
飛びきりの美人というわけではないかもしれないが、ナチュラル系の美しい姿、何よりもその才能を持ってすれば、フロントに立てたはずだが、彼女は根っからのステージフライト(上がり症、舞台恐怖症)だったらしい。それがあってか、選んだ仕事はバッキングヴォーカルで、前述のダスティ・スプリングフィールドと長く仕事を共にすることになる。その間にもソングライティングは続けており、BBCラジオを中心に、ごくまれにソロでステージに立つこともあったようだ。そんな数少ないライヴで披露していたのが「ラヴ・ソング」で、これに注目したエルトン・ジョンとの縁をきっかけに、いよいよソロアーティストとして日の目を見ることになるわけだ。

OKMusic編集部

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