ザ・ウォールフラワーズの
『ブリンギング・ダウン・
ザ・ホース』は
90sルーツロックの一つの
到達点となった傑作
ジェイコブ・ディランと
ウォールフラワーズ
ウォールフラワーズは、89年にジェイコブが幼馴染のギタリスト、トビ・ミラーにバンド結成を持ちかけるところから始まる。グループにはミラーと一緒にやっていたベーシストのバリー・マグワイアも参加し、翌90年にドラムのピーター・ヤノウィッツが加入する。最後にウォールフラワーズの看板キーボード奏者ラミ・ジャフィが加わってグループは始動する。ラミ・ジャフィは多くのスタジオ・セッションをこなす有能なプレーヤーで、彼を抜きにしてウォールフラワーズの音楽は語れない。
デビューアルバムでの挫折
次のレコード会社との契約が決まらないままツアーに出ている時に、ジェイコブとメンバー間に溝ができはじめ(よくあることだが…)、グループはうまくいかなくなる。ドラムのヤノウィッツは当時付き合っていた10,000マニアックスの人気リードヴォーカリスト、ナタリー・マーチャントのソロデビューのサポートをすることになり、マグワイアとふたりで抜けてしまった。そのマーチャントのアルバムというのは名作『タイガーリリー』(‘95)のこと。
94年、89年に設立されたばかりの新興レーベル、インタースコープレコードのオーナー、ジミー・アイオヴィンが彼らの音楽に興味を示し、契約が成立する。次作のプロデューサーには、これまた彼らの音楽を聴いて感銘を受けたTボーン・バーネットが担当することになる。バーネットは現在のルーツロック界で最高のプロデューサーのひとりであり、複数回グラミー賞を受賞している。また、70年代は奇しくもボブ・ディランのバックギタリストを担当していて、グループにとっては最高の人選となった。ちょうどこの頃、残念なことにグループ創設メンバーのトビ・ミラーが脱退してしまい、創設メンバーはジェイコブとジャフィのふたりだけしかいなくなった。少し後に、ベーシストのグレッグ・リックリングが加入し、ウォールフラワーズは3人組となった。
新たなメンバーが決まるまでの間、レコーディングは、バーネットの人脈からマイク・キャンベル(トム・ペティ&ハートブレイカーズ)、フレッド・タケット(リトル・フィート)、ジェイ・ジョイス、ゲイリー・ロウリス(ジェイホークス)、デビッド・ローリングス(ギリアン・ウェルチのギタリスト)、マイケル・ワード、マット・チェンバレンといった強力なサポートメンバーが呼ばれることになった。