ポップスのヴォーカル・トリオという
イメージを覆す英国時代の
ビー・ジーズの名盤『オデッサ』

ビートルズで言えば
『ホワイト・アルバム』に匹敵する、
ありったけの才能と
実験性をブチ込んだ野心作

それまでのアルバムではほぼ3人の共作とクレジットされた楽曲が大半を占めていたが、本作では個々で仕上げたらしく、いい曲が並んでいる。ロビン3曲、バリー7曲、モーリス1曲、バリー&ロビン2曲、バリー&モーリス1曲、バリー&ロビン、モーリスで3曲という内訳である。それなりに3兄弟の協調関係が保たれているようにも思えるのだが、ここで問題が発生してしまうのだ。

冒頭を飾ったロビン作の「オデッサ(原題:Odessa (City on the Black Sea))」は彼の気合いの入った自信作で、当初はシングル候補だった。転調が何度もある凝った構成の、まるでプログレッシブロックかと思わせられる7分33秒もある曲だ。ロビンの才能と意欲は買う。だが、今の耳で聴いてみても、これをシングルには出来ないだろう。長くても「ヘイ・ジュード(原題:Hey Jude)」や「ボヘミアン・ラプソディ(原題:Bohemian Rhapsody)」にあるようなメロディーの分かりやすさ、ドラマチックなメリハリが、この曲にはない。結果、レーベル側がシングル曲に採用したのはバリー作「若葉のころ(原題:First of May)」だった。これは全英チャート6位、オランダでは1位、ドイツで3位、他のヨーロッパ各国でもトップ10入りするなど大ヒットした。正しい判断だったのだ。そして、アルバムも米英ではなかなか健闘している。全米20位、全英10位という結果を見ると、これは見事! と讃えていいものだと思う。しかし、シングル曲を「オデッサ」にするか「若葉のころ」にするかという判断の相違に端を発したバンド内の軋轢は、ロビンの脱退、そしてバンドの一時的な解散へと進んでしまうのである。

これは想像だが、同時期にデビューしたライバルたちが、 67年〜69年、次々と名盤をものにし、シーンを彩っていくのを彼らは静観してなどいられなかったはずだ。3兄弟は持てる創造力の限りを尽くし、兄弟間の遠慮もかなぐり捨て、自分たちを破綻寸前まで追い込んだのではないか。そうしなければならないほど切羽詰まっていた…というよりはプライドが高かったのではないか。その結果、「傑作」をものにはしたのだが、兄弟だけでなく、バンドそのものが疲弊してしまったのかもしれない。

こうした流れは、どこかビートルズの2枚組、通称『ホワイト・アルバム(原題:The Beatles)』が制作された過程と似たところがある。ビートルズのこのアルバムも、個々の指向性と才能が突出しだした時期に制作されたアルバムで、それまであったバンドとしての協調性はやや後退したものの、それぞれの楽曲の素晴らしさが際立ち、それとともにソロ活動への自信が芽生え、後の解散への布石となった作品だとも言われている。

ずっとメンバーだけで演奏していたところに、ゲスト・プレイヤーを迎えている点も共通している。ビートルズの場合はエリック・クラプトンを迎えてジョージ・ハリスン作「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(原題:While My Guitar Gently Weeps)」でリード・ギターを弾いているのはあまりにも有名だ。ビー・ジーズの場合は「ギヴ・ユア・ベスト(原題:Give Your Best)」でビル・キース(バンジョー)、テックス・ローガン(フィドル)というブルーグラスのプレイヤーが参加しているほか、後にエルトン・ジョンとの仕事で知られるポール・バックマスターがチェロを弾いている。

楽曲の幅が広がり、外部の手を借りなければならなくなったことが一番の理由だろうが、メンバー以外のプレイヤーを加えてもいいのだというフレキシブルな考えに移行したことは間違いない。

OKMusic編集部

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