何度もリイシューされ続ける
永遠の名盤、
ヴァレリー・カーターの
『愛はすぐそばに』(‘77)で聴く、
色褪せない歌声

ローウェル・ジョージ
(リトル・フィート)との
出会いによって才能が開花する

ヴァレリーは1953年にフロリダ州ポーク郡ウィンター・ヘイブンという町で生まれている。フロリダ半島のほぼ中央に位置する。どのような音楽の遍歴をしてきているのかは定かではないけれど、時代的には多感な10代の頃にフォークやロック、R&B、シンガーソングライターの隆盛などの刺激を受けてきているのは間違いなく、その頃にはロサンゼルスに移り住んでいたのかどうか、コーヒーハウス等で歌い始めたという。やがて彼女はハウディ・ムーンというトリオ編成のフォークロックバンドに参加し、1974年にレコードデビューする。このアルバムをプロデュースしているのがローウェル・ジョージだった。ハウディ・ムーンのアルバムはヒットすることなく、バンドも注目を集めるには至らなかったようだが、今聞くと内容は悪くない…どころか、『セイリン・シューズ(原題:Sailin' Shoes)』(’72)の時期のリトル・フィートのメンバーが全員参加しているなど、本盤に劣らぬレコーディング・セッション・メンバーが名を連ねている。ヴァレリーはハウディ・ムーンでも4曲ほどソングライティングに関わっていて、そのうちの「クック・ウィズ・ハニー(原題:Cook With Honey)」という曲がジュディ・コリンズに提供されてヒットし、ローウェルの後押しもあり、次第に西海岸の音楽シーンで認められ、ソロ・デビュー、本作のレコーディングへとつながっていくわけである。

本作をリリース後、ヴァレリーはイーグルスのコンサートツアーに同行してオープニングアクトを務めたり、たくさんのアーティストのレコーディングやライヴにヴォーカルで参加したり、まれに楽曲提供も行っている。そして2年後の1978年にはセカンド作『ワイルド・チャイルド(原題:Wild Child)』がリリースされる。こちらはプロデュースをジェームス・ニュートン・ハワードが単独であたり、バックアップはほぼTOTOのメンバーが中心となっていて、サウンド的にはタイトなリズムが強調され、アダルトな雰囲気が増している。ディスコミュージック全盛期でもあり、それを意識したのではないかと思われる曲もある。そして、改めて言うまでもなく、歌のうまさは全曲で光っていて、ファンキーなソウル風の曲でも違和感なく歌いこなしている。また、ヴァレリーの自作曲、共作が増えているところに、彼女自身、前作での手応えを感じてソロアーティストとしての意欲が現れていたのかとも思う。自分のコンサート、ツアーを行なうことこそなかったが、バックコーラスの依頼はジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット、他、相変わらず引っ張りだこだったようだ。その矢先に、ローウェル・ジョージがドラッグのオーバードーズにより急逝してしまう。

OKMusic編集部

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