電気グルーヴだけが作り得た前人未踏
のマスター・ピース『A(エース)』

昨年、結成25周年を迎え、今もなお日本のテクノ、エレクトリックシーンにおいて他に類を見ない存在感を放ち続ける孤高の音楽ユニット、電気グルーヴ。大型ロックフェスでは海外からの招聘アーティストを向うに回し、ヘッドライナーを務めることも何ら不思議ではない。日本を代表するバンドである一方、最近ではメンバーの一人、ピエール瀧が日本映画界では欠かせない個性派俳優となっており、一般的には瀧が音楽をやっていることすら知らない人も多いのかもしれない。記録映画『DENKI GROOVE THE MOVIE? 〜石野卓球とピエール瀧〜』も公開されたタイミングでもあるし、未だ触れたことも聴いたこともない人たちに電気グルーヴの素晴らしさを知ってもらえれば幸いである。

伝記的電気映画、絶賛公開中!

12月26日より2週間限定でロードショー公開されている映画『DENKI GROOVE THE MOVIE?』を観た。ドキュメンタリー映画というと、「取材対象に演出を加えることなく、ありのままに記録された素材映像を編集してまとめた映像作品」(「」はウィキペディアより抜粋)という大前提があるからか、劇映画と異なる間に身体が付いていかないというか、冗長に思われるシーンが少なくなく、作品で描かれるテーマに惹かれても、正直言って、退屈に感じる時間がなくもない。個人的にはドキュメンタリーにはそんな印象があり、余程思い入れがないと面白く思えないと思っているのだが、本作はまったくと言っていいほどそんなことは感じられず、約2時間があっと言う間の楽しい映画であった。とにかくテンポ感がお見事。映画『モテキ』『恋の渦』『バクマン。』で、その確かな技量を我々に見せ付けた大根仁監督の編集技術が冴えわたっている。英語のナレーションに字幕という演出もよかったし、1989年の大阪・十三ファンダンゴでの初ライヴから2014年の『フジロックフェスティバル』までのライヴ映像を中心に、その活動を不可逆的に語っていく手法は劇映画のそれであり、記録映画ではあるものの、フィクションを観ているかのようなポップさもあった。それはとりもなおさず、石野卓球とピエール瀧というメンバー2名の、素材としての優秀さがあってこそであり、電気グルーヴが歩んできた道、提示してきた音楽性そのものが起伏に富んだドラマチックなものであったからに他ならないであろう。2週間限定という短期間での公開が残念だが、まだ劇場で見ることができる人は是非鑑賞してもらいたい秀作である。

ループに隠された絶妙なサウンド構築

さて、その電気グルーヴの作品の中から1作を挙げるなら、ここからテクノグループとして本格化したと言われる93年の4thアルバム『VITAMIN』もいいが、やはり97年の7th『A(エース)』に止めを刺すであろう。「『電気グルーヴにおける『ヘッド博士の世界塔』(フリッパーズ・ギターのアルバム)(※註:フリッパーズ・ギターの最高傑作とも言われる)を作るまでは電気を解散させるわけにはいかない』と以前から発言していた砂原良徳はこのアルバム(※註:『A(エース)』)の出来に満足し、次作であるアルバム『VOXXX』のレコーディング中に音楽性の違いから脱退を表明」(「」はウィキペディアより抜粋)というのは有名な話である。『DENKI GROOVE THE MOVIE?』の中でも砂原はそれを認めていたし、同映画でも『A(エース)』を“マスター・ピース”と位置付け、その制作に至る過程が映画のクライマックスのひとつとなったことからしても、『A(エース)』を電気グルーヴの代表作に挙げることにファンも異論は少なかろう。このアルバムは全11曲で収録時間65分49秒。8分を超えるM5「パラシュート」やM8「あすなろサンシャイン」も収録されている上、このアルバムに限ったことではないが、そもそも電気の楽曲は言語的にはあまり物語性がない……というか、誤解を恐れずに言えば、ストレートに意味をなさない歌詞も多いので、タイムだけ見たら、まさに下手なドキュメンタリー映画よろしく、単に冗長なアバンギャルド音楽と捉えられてもおかしくないだろう。だが、この作品はむしろ逆で、「ずっとこの世界に身を委ねていたい」と思わせるような、絶妙なバランスでサウンドが構築されているのである。
これはエレクトロニックミュージックならではのことでもあるが、『A(エース)』も基本はループミュージックであり、サンプリングしたフレーズを繰り返すことでバックトラックにしている(「ループ ゾンビ」というループ感を強調したナンバーを収録しているが、これをラストに入れている辺りが何とも心憎い)。もちろんそのトラックの作り方が巧みである点が電気の凄さのひとつであり、それは本作でも随所に感じられる。M1「かっこいいジャンパー」でのジャーマンエレクトロニックとエキゾチックなアジアンテイストの融合。M3「ポケット カウボーイ」で聴かせるファミコンっぽい音作りでのレトロフューチャー感。M6「ガリガリ君」での極めて硬質な、まさしくガリガリしたサウンドメイキング。M10「SMOKY BUBBLES」では、ノイズ混じりのSP盤のような音質を感じさせつつも、全体的にはフワフワしたどこか現実味のない独特のアシッド幻想感を醸し出している。これらだけでも十分に素晴らしい仕事と言えるはずだが、『A(エース)』の良さはそれらを持って楽曲をポップかつスリリングに仕上げている点だと思う。例えば、前述のM5「パラシュート」。アップテンポのビートと、それと並走するベースが楽曲の推進力ではあるが、その上に重なるシンセが高音に上昇し続ける様子が、楽曲全体に得も言われぬ高揚感を生んでいる。それは、M8「あすなろサンシャイン」も同様だ。アッパーなビートに、《あすなろサンシャイン》《なろう なろう 明日なろう 明日は桧の木になろう》のコーラスを含めて様々な音が折り重なっていくのだが、これがどこに辿り着くか分からない、いい意味で先の読めない構成。途中から、この楽曲のためにしっかりとヴォーカルトレーニングを受けたという瀧の歌が入ったり、一旦ブレイクした後にベースがファンキーになり、全体がソウル調になったりと、気付くと後半に進むに従って解放感へと導かれていく。アウトロで「Shangri-La」へとつながる展開も実に素晴らしいし、簡単に言えば、アガるような仕掛けが施されているのである。

バラエティー豊かで流麗な楽曲構成

加えて、アルバムの楽曲構成も実にいい。ミディアムだがダンサブルなM1「かっこいいジャンパー」 から入り、テンポの速いワイルドなM2「VOLCANIC DRUMBEATS」、音数は多い印象はないが歌ものとしては奇天烈と言えるM3「ポケット カウボーイ」と、序盤だけでも緩急が効いている。「ポケット カウボーイ」以降はタイムラグなく、ラウドロック系と言えるM4「ユーのネヴァー」からM5「パラシュート」〜M6「ガリガリ君」と来て、エレクトロな南米音楽と言うに相応しいM7「猫夏」へとつながり、前述した「あすなろサンシャイン」〜「Shangri-La」〜「SMOKY BUBBLES」、そしてラスト「ループ ゾンビ」という流れは完璧と言える。バラエティー豊かだが、楽曲毎が乖離しているブツ切れ感がまったくなく、あっと言う間の65分49秒…と言うつもりもないが、実に流麗で聴きやすいのだ。要する聴いていて気持ちがいいである。まぁ、DJとして欧州では何十万人の前でプレイしている石野卓球を捕まえて、今更ながらにこう言うのも逆に失礼かもしれないが、『A(エース)』を語る上で構成の素晴らしさは強調しておかなければならないだろう。
また、これは電気自体の話になるが、“唯一無比”やら“唯我独尊”といった形容をされ、音楽シーンの鬼子のように扱われてきた彼らだが(『DENKI GROOVE THE MOVIE?』にもそういった語り口はあったし、この音楽ユニットの形態の説明としては大きくかけ離れたものではないかもしれないが)、古今東西、あまたのロックからの地続き感と言おうか、オールドスクールなロック音楽に対するリスペクトがしっかりと確認できる点も忘れてはならない。これまた卓球が世界的DJであり、また、現在、音楽プロデューサーとして活躍する砂原良徳がこの『A(エース)』の時点ではメンバーであったわけで、何をか言わんや…なのかもしれないが、個人的には先達に対する愛にあふれている作品だと思う。「かっこいいジャンパー」「猫夏」「SMOKY BUBBLES」での逆回転はいかにもサイケデリックロックを彷彿とさせるし(特に「猫夏」でのカモメの鳴き声的サウンドはThe Beatlesの「Tomorrow Never Knows」を思い起こさせる)、「ユーのネヴァー」の歌(というか、スキャット?)は即興歌唱らしいが、インプロビゼーションというのはジャズやブルースから続く西洋音楽の伝統であり、こうした手法を取り入れること自体に惜しみないオマージュを感じる。サンプリングを元にしても、「Shangri-La」でのシルヴェッティの「スプリングレイン」や、「パラシュート」でのスネークマンショーの『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』収録の「愛の出発」〜「愛のチャンピオン号」など、明らかにそれと分かる引用がされているのも先人たちへの愛情の表れであろう。

そのメンタリティーも聴き逃せない

最後に『A(エース)』の歌詞について。先に「そもそも電気の楽曲は言語的にはあまり物語性がない」と書いたが、本作には《夢で KISS KISS KISS KISS KISS KISS/何処へも何処までも/つながる様な 色めく世界 麗しの時よ/夢で KISS KISS KISS KISS KISS KISS/いつでもいつまでも/キラめく様な甘い思いに/胸ときめいていた あの頃の様に》(「Shangri-La」)や、《夢の続きは覚えてるナニか 夢の続きは思い出の遥か/青く煙るさざ波隙間に浮かぶ 現れては消えてゆく幾つもの》(「SMOKY BUBBLES」)など、俗に言う汎用性の高いフレーズもあるが、やはり《大音量 大豊作 グアテマラ 首領/横綱級ブルドーザー激突 火を吐く 御柱/稲妻導く どてらいヤツ/2メーターのヌンチャクはドラムスティック》(「VOLCANIC DRUMBEATS」)や、《オレ ガリガリ君 君 何ガリ君》《脱 ガリガリ君 さらばガリガリ君/今のみんなの心にガリバカ日誌とガリガリ君》(「ガリガリ君」)といった電気ならではの世界観も健在で、聴いて気持ちがいいアルバムと言っても決して大衆におもねっているわけでないことは分かる。この辺は90年代サブカル的文脈であり、本作だけの特徴というわけでもないので詳述は避けるが、『A(エース)』ならではのリリックと言えば、「かっこいいジャンパー」に尽きるのではなかろうか。《かっこいい 初めて見つけたジャンパー/かっこいい 初めて見る様なジャンパー/かっこつければますますキまるぜジャンパー/かっこいいと思える基準て何だ?》《かっこいい 今までない様なジャンパー/かっこいい 地元で見つけたジャンパー/かっこつけていなくてもキまるぜジャンパー/かっこいいと思える自分て何だ?》。今、聴き返しても、本作、あるいは自らの創作活動に対する彼らの自信が漲っているように思えるのは私だけだろうか? その真意がどうだったかはともかく、「かっこいいジャンパー」の歌詞一点だけでも、『A(エース)』は圧倒的に支持したい名盤である。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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