『THE BLUE HEARTS』/THE BLUE HEARTS

『THE BLUE HEARTS』/THE BLUE HEARTS

THE BLUE HEARTSのデビュー作
『THE BLUE HEARTS』は
リスナーの人生を変えてしまうような
力を持ったアルバムだ

世界を変えるような音楽は多分ないが、聴く人の世界観や価値観を変えてくれる音楽は確実に存在する。このアルバム『THE BLUE HEARTS』もそのひとつだ。リリース以来、多くのリスナーに勇気を与え、その背中を押してきたに違いない。日本のロックの金字塔。名盤中の名盤である。

衝撃だったTHE BLUE HEARTSの登場

 本稿作成にあたってネットをあれこれ調べていたら、メジャーデビューシングル「リンダリンダ」のチャートリアクションがオリコン最高38位だったと初めて知り、筆者の感覚としてはもっと街にあふれていたような印象があったので、かなり意外だった。それほどTHE BLUE HEARTSがシーンに現れた時──当時はそれをはっきりと言葉にはできなかったけれど、今になって思うに──それまで自分の中で常識だと思っていたことが、音を立てて崩れていくような感覚を得たことはよく覚えている。

 1987年、東京都内某私鉄沿線の学生街。今はほとんど見なくなったが、学生街には1ゲーム50円のゲームセンターが必ずあり、筆者もご多分に漏れずよくゲーセンで遊んでいた。この10年も前なら不良の溜まり場にもなっていただろうゲーセンだが、当時はそんなことはまったくなく、すでにオタク化したゲーマーも少なくなかったと思うし、当然高校生も多かった。ある日、人気のゲームをプレイしていた私の隣の席にイヤホンをした学生服姿の高校生が座り、さらにその友だちが数名、彼を取り囲むように座った。彼らの髪の色は黒、髪型も極めて普通、学生服も標準タイプ。どこにでもいるような高校生たちであったが、その中のひとりがイヤホンをした子に向かって尋ねた。「何聴いてんの?」「THE BLUE HEARTS」「今度貸してよ」「いいよ」──そんな会話だった。今となっては驚くことは何もない、それこそ何気ない会話だが、筆者にとっては日本のロックシーンの潮目が確実に変わったことを実感させられた瞬間だった。
 この年はBOOWYが大ブレイクを果たしていたほか、BARBEE BOYSやTM NETWORKも台頭してきており、所謂バンドブーム黎明期であったのだが、それまでパンクロックを中心としたインディーズバンドを好んで聴いていた者としては、「バンドが流行ってきているけど、パンクは市民権を得るところまでいかないだろう」と妙な予測をしていた。今思えば好事家のひねくれた自意識から導き出された想像でしかなかったのだが、根拠がなかったわけでもない。それまでパンクバンドと言えば、アナーキー、THE STALIN、LAUGHIN’ NOSE──《なにが日本の××だ 何にもしねぇでふざけんな》「東京イズバーニング」(アナーキー)やら、《吐き気がするほどロマンティックだぜ》「ロマンチスト」(THE STALIN)やら、「PUSSY FOR SALE」(LAUGHIN’ NOSE)やら…である。
 
 そもそも初期パンクはR&Rへのカウンターカルチャーでもあった節があるし、日本のパンクがその精神を受け継いでいたとすれば汎用性は低くて当然。一般層が好んで聴くことはないだろうと思っていた。そんなところに現れた、《吐き気がするだろ みんな嫌いだろ まじめに考えた まじめに考えた 僕 パンク・ロックが好きだ 中途ハンパな気持ちじゃなくて 本当に心から好きなんだ 僕 パンク・ロックが好きだ》(「パンク・ロック」)と歌うTHE BLUE HEARTSは衝撃的ではあった。正直言えば当初は相当稀有なバンドに感じられたし、もっと言えば、自分の中では違和感すらあった。これをそれまでのパンクロックとして語るには整合性が取れなかったのだ。それだけTHE BLUE HEARTSの個性は突出していたとも言える。それでも1stアルバム『THE BLUE HEARTS』はよく聴いた。いつも大音量で聴いていた記憶がある。違和感は拭えなかったものの、理屈抜きにその魅力を感じていたということだろう。

OKMusic編集部

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