THE YELLOW MONKEYの上昇志向が結実
した、魂の一作『FOUR SEASONS』

祝! 復活! ついにTHE YELLOW MONKEYの再結成が発表された。5月11日(水)・12日(木)の東京・国立代々木競技場第一体育館より、全国10箇所20公演にわたるアリーナツアー『THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016』を開催。未だメンバーから直接のメッセージはないが、新作の制作等を含めて続報も楽しみだ。当コラムでも急きょ予定を変更して、THE YELLOW MONKEYの名盤について書いてみよう。

ファン大歓迎の復活劇

THE YELLOW MONKEY(以下、イエモン)の再結成は、某人気女性タレントの不倫騒動という下衆な話題一辺倒で辟易とさせられていた中、ひと筋の光明が差し込んだような前向きなニュースであった。謎のサイト、repusmyt.comにてカウントダウンが始まり、「1月8日に何らかの発表があるぞ!」とネット上で噂が広がっていたこともあって、その前日からSNSを注目していた。日付が1月8日に変わる頃からTLがざわつき始め、再結成が発表されると、「やった! イエモン復活!」「ツアー、絶対に行く!」といった書き込みを目にすることができた。そのほとんどが手放しの大歓迎で、解散発表から12年、依然多くのリスナーから支持されているバンドであることを見せつけられた。というわけで、本コラムでもイエモンを取り上げるわけだが、実のところ、「そろそろ邦楽名盤列伝でイエモンってどうスか?」とその名はリストアップされていたものの、正直言って、どのアルバムで書くか大分迷っていたところである。ファンの間でも1作品だけ選ぶとなると意見が分かれるのではなかろうか。コンセプト作である3rdアルバム『jaguar hard pain』もいいし、吉井和哉(Vo)本人が最高傑作と自負する6th『SICKS』もいいし…と良く言えば逡巡、悪く言えば逃げていたわけだが、事ここに至って、そうもいくまい。またも独断と偏見で…だが、バンド初のチャート1位獲得作品、5thアルバム『FOUR SEASONS』を推してみたいと思う。

意外に伸び悩んだデビュー期

作品解説の前に若干、初期イエモンに対する総評を付しておきたい。東洋人に対する蔑称をバンド名にしながらもメンバー全員が180センチ前後の長身とルックスだけでも大物外タレのような風格で、そこから来るスケール感の大きさも彼らの魅力だが、デビュー当初は必ずしもそうしたイメージばかりではなかった。というか、周りからはそんなふうに扱われていなかった記憶がある。メイクは後年よりも濃かったことは事実だが、ビジュアル系バンドが後にカジュアルに変化するほどの大きな変貌があったわけではないにもかかわらず(変貌と言うなら『jaguar hard pain』リリース時に吉井が丸坊主になった時の衝撃が大きかった)、誤解を恐れずに言えば、どこか“キワモノ”扱いをされているところもあったように思う(初期の初期は半笑いで対応したメディアもあったような気もするが、その辺はうろ覚え)。それは、彼らがデビューした1992年の音楽シーンは所謂ビーイングブームの最中で、その後に小室ブーム、ビジュアル系ブームを迎えようとする時期ではあったが、今ほど多様性がなかったことに起因していたのかもしれない。当時、吉井の作ったメロディーは今聴いても汎用性が高く、ヒットポテンシャルは後年と遜色はなかったと思うが、デビューしてから数年イエモンのセールスは伸びなかった。ライヴでの観客動員は悪くなく、1994年には日本武道館公演を実現させているから、さすがにレコード会社との契約が打ち切られるようなことにはならなかったが、単に売上げ面だけで見たら凡百のバンドと違いはなかったと言える。それがメジャーデビュー3年目、1994年までのイエモンだった。
そのセールスの伸び悩みに対しては当のメンバーたちも忸怩(じくじ)たる思いを抱えていたようではある。3rd『jaguar hard pain』リリース後、イエモンは大衆を意識した方向へと舵を取る。この時、「10万枚で終わるバンドになるか、チャート1位を目指すのか?」とスタッフから詰め寄られ、メンバーが「チャート1位です!」と答えたという逸話もある。1994年2月発売の「悲しきASIAN BOY」も十分に大衆性を湛えた楽曲だったが、同年7月発売の4th「熱帯夜」、1995年1月発売の5th「Love Communication」と意欲的なシングル作品を連発。それらの作品で待望のシングルチャートインも果たし、続いて同年2月にリリースした4th『smile』では見事にアルバムチャートトップ10入りも成し遂げる。その後、同年7月の「追憶のマーメイド」はトップ20入り、9月の「太陽が燃えている」はトップ10入り、そして11月に発表された5th『FOUR SEASONS』でついに念願のチャート1位を獲得する。

ストレートに変貌した歌詞世界

前述の通り、イエモンのメロディーは初期から汎用性が高く、その点では『smile』も『FOUR SEASONS』も大きな変化はなかった。吉井和哉の書く艶っぽいメロディーは常に絶品である。目に見えて変化してきたのは歌詞だと思う。『jaguar hard pain』はコンセプトアルバムだからか、「悲しきASIAN BOY」にしても、誰もが分かるような内容ではなかった。抽象度が高かったし、マニアックな面もあった。しかし、『smile』以降、吉井の書く歌詞はいい意味で平素になった。それが『FOUR SEASONS』で極まったと思う。M1タイトルチューン「Four Seasons」からしてこうである。《まず僕は壊す 退屈な人間はごめんだ/まるで思春期の少年のように/いじる喜び 覚えたて 胸が騒ぐのさ/新しい予感 新しい時代…Come on》《アンコールはない 死ねばそれで終わり/ストレートに行こうぜ 回り道は嫌い》《ヤケドしそうな熱い僕のコーヒーは/ミルクもシュガーも入れない》。文字だけで剥き出しのスピリットが伝わってくるようでないか。《太陽が燃えている ギラギラと燃えている/二人が愛し合うために 他に何もいらないだろう》と歌われるM2「Overture〜太陽が燃えている」は、そう言い放たれたら返す言葉もないほどだし、M3「I Love You Baby」の《たった5、6分の宇宙などいらない/目の前のリアルな君が欲しいんだよ》はまさに豪速球ストレート勝負だ。白眉はM10「Father」だろう。《Hoo! 気絶するほど遠くまで来た/見た事もない景色に/僕はクラクラさ 満ち足りてる/とりあえず今は異国の大空の下で/Rock'n RollI love you/時が流れ/いずれ僕がただの灰になっても/嘆かないで Father》。幼い頃に他界した父親への思慕を綴ったものだ。ややもすると重くなってしまいがちなテーマをポップに歌い切ったというのは、まさに天才に所業。とにかく突き抜け方が素晴らしく、今見ても当時のイエモンのモチベーションの高さが伝わってくるようである。その“熱”が伝播して、作品をチャート上位に押し上げたというのは決して穿(うが)った見方ではないであろう。そんな気がしてならない。
ここまでサウンドのことにまったく触れてこなかったが、あの分厚いロックサウンドは、吉井の書くメロディーと並んで…いや、あのメロディーと合わさることでそれが真のイエモンになっているのは言うまでもないだろう。「I Love You Baby 」やM6「Love Sauce」、M7「Sweet & Sweet」で聴かせるエッジの立ったギターリフの、グイグイと楽曲を引っ張る様子は流石だし、とりわけ「Sweet & Sweet」でのギターとベースのユニゾンは実にスリリングで、この時期のバンドの充実ぶりを示した好例だと思う。後に吉井は「(イエモンの)ライヴが本当に完成したのは『FOUR SEASONS』が出た頃。6th『SICKS』が出たくらいに、やっと本格的にロングツアーも回れるようなバンドになったと思う」と述懐していた。本作からイエモンは名実ともに本格化したことは間違いないようだ。リリース後は長期に及ぶ全国ツアーを大成功させて大ブレイク。日本を代表するバンドへと成長を遂げた。当時は『smile』や『FOUR SEASONS』を指して「大衆に媚びた」と揶揄する声もあったそうだが、結果的にはこの時期にバンドが大衆性を意識したことは大いに意味があった。発表された再結成ツアーの日程を見ると、8月に空きがあることからフェスへの出演も噂されている。多くの人が知っているヒット曲があるというのはアーティストにとって極めて大きな武器である。もしも噂が本当ならこの夏、イエモンはフェスでオーディエンスをかっさらっていくと思う。そんな姿も見てみたいものである。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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