『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』

『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』

LOVE PSYCHEDELICOが60~70年代の洋
楽を
日本でアップデイトした『THE GREAT
EST HITS』

『THE GREATEST HITS』(’01)/LOVE PSYCHEDELICO

『THE GREATEST HITS』(’01)/LOVE PSYCHEDELICO

今夏、約4年振りとなるオリジナルアルバム『LOVE YOUR LOVE』を発表したLOVE PSYCHEDELICOが、9月1日からはその新作を携えた全国ツアー『LOVE PSYCHEDELICO Live Tour 2017 LOVE YOUR LOVE』をスタートさせる。日本国内のみならずアジア圏でも絶大な人気を誇り、現地でのライヴも多数行なっている上、2008年には現地レーベルのラブコールに応えるかたちで全米デビューも実現。もはや日本を代表するロックバンドのひとつとも言っても過言ではない存在だ。彼らのデビューアルバム『THE GREATEST HITS』からその愛され続けるサウンドの秘密を探る。

洋邦の垣根がなくなったとの実感

LOVE PSYCHEDELICO(以下、デリコ)の出現、あるいは彼らがデビューした2000年が、例えば後に“デリコ以前/デリコ以後”と形容されるような、邦楽シーンにおける明確な分岐点であったとは思わないが、初期のヒットシングルが巷で流れている当時、“潮目が変わった”感は確実にあった気がする。それは「それを目の当たりにして“ここから時代が変わる!”との高揚感を抱いた」とかいう、よくある後出しジャンケンのような話ではなくて、気付いたら「あ、もう変わってたんだ!?」とか「やっぱり変わってたんだな」といった感じのものだった。何が変わっていたのか。明文化するのはなかなか難しいが、簡単に言うと、洋楽と邦楽との間にあった垣根がなくなっていた感じである。洋楽ロックと日本の歌謡曲との垣根がなくなっていたと言ってもいいかもしれないし、さらに言うなら、60年代、70年代のロックが垣根を超えてお茶の間に入り込んだという言い方でもいいかもしれない。ここは“一部の垣根”と言っておいたほうが面倒を回避できそうなので、そこは強調させてもらうとして──どうだろうか? 現在50歳以上の音楽ファンの中には当時、上記のような雰囲気を感じ取っていた方もいらっしゃるのではなかろうか。
『THE GREATEST HITS』のオープニングを飾るM1「LADY MADONNA 〜憂鬱なるスパイダー〜」。サブタイトルが付いているものの、その楽曲名はThe Beatlesの17枚目のシングルと同名…というか、そこから拝借したものであろうし、ギターリフはそのThe Beatlesもカバーしている、Barrett Strongの「Money (That's What I Want)」へのリスペクトが如何なく感じられるものだ。音作りは90~00年代のそれであり、サウンドそのものに60年代特有のいなたさのようなものは感じられないが(この辺は後述する)、ルーズなテンポで、ギターリフがまさしくリフレインする様は極めて洋楽的だ。少なくともパッと聴きは、80年代のバンドブーム以降に多様化した日本のロックとは逆ベクトル…とまでは言わないまでも、“古き良き”時代を感じさせるものであったことは間違いない。その「LADY MADONNA 〜憂鬱なるスパイダー〜」から3カ月後にリリースされた2ndシングルM2「Your Song」もアコギながらザクザクとしたギターが鳴らされるイントロが印象的だった。また、そこからさらに4カ月後に発表された3rdシングルM3「Last Smile」も、打ち込みが強めではあったが(この辺も後述する)、抑制されたギターサウンドと歌の主旋律は邦楽のそれとは趣きを異にするものであった。それぞれのカップリングはさらに洋楽的で、M5「Moonly」(3rdシングルC/W)はThe Rolling Stonesを彷彿させるR&R、M8「ノスタルジック'69」(2ndシングルC/W)ではサイケデリックロック、M10「LOW」(1stシングルC/W)はカントリーと、ルーツミュージックを隠す様子がまったくなかったことも付け加えておきたい。

英語ネイティブ故の洋楽っぽさ

楽曲の特徴ということで言えば、何と言っても歌詞とKUMI(Vo&Gu)の歌唱がデリコ最大の注目ポイントであろう。
《Lady Madonna 憂鬱なるスパイダー/夢もないよ give me none of that preaching/好きな joke fake velvet & honey/冷めきってるカップのコーヒー and so on》(M1「LADY MADONNA 〜憂鬱なるスパイダー〜」)。
《君はまだ全てが想像のstyle/花のようなイメージでfly/透明な瞳にスレンダー今宵もqueen/得意げなポーズでsmile》(M2「Your Song」)。
《運命線から other way それから憂いてる風とも get away/いつでも放たれたくとも 君は目の前で last smile》(M3「Last Smile」)。
再度、1stシングルから3rdシングルを引用したが、いずれも日本語+英語で1フレーズを構成することをデフォルトとしているかのような歌詞である。アルバム『THE GREATEST HITS』収録曲で言えば、M4「I mean love me」とM6「Are you still dreaming ever-free?」という全編英語詞のナンバーもあるし、アルバムが発売された時は「もともと全編英語詞でやりたい人たちなんだろうけど、シングルではそういうわけにもいかず、日本語を入れているのかな」とも思ったが、以後、デリコの楽曲が全て英語詞になったわけではないので、この和洋が混在した歌詞こそが彼らのスタイルであり、デフォと言えばデフォなのだろう。これを2歳から7歳までサンフランシスコに住んでいたKUMIが歌っている。彼女は英語のネイティブなのである。しかも(一部では“日本語の発音がおかしい”と言われたこともあったそうだが)、少なくとも楽曲を聴く限り、日本語の発音も、日本語がネイティブではない人のようなたどたどしいものではなく、英語も日本語もともに違和感なく、その上で自然とつながっている。
英語と日本語とがつながることで面白い効果も生まれているとも思う。日本語が英語に引っ張られると言えばいいだろうか。日本語も英語的な響きで聴こえる箇所がいくつもある。下記2曲が顕著だろう。
《それから憂いてる風とも get away》(M3「Last Smile」)。
《ぬけるような空が僕を奪って dive》《never mind over mind/消えぬ line いつかの truth/果てぬこの恋は blind》(M7「I miss you」)。
特にM7「I miss you」は、思わず口にしたくなるというか、発することで口、唇が気持ち良くなる感じの言葉の並びで、若干ラップ的な気もする。歌詞を文字だけで見ると、流石に日本人の書いた歌詞だからか、日本語も少なくないのだが、聴き応えは圧倒的に英語が多い印象。それが前述した、“古き良き”時代を感じさせるギターサウンドに乗っているのだから、やはり全体に洋楽的なイメージを強く持つ。
話を戻すと、そんなデリコの楽曲が巷でごく自然と流れ、ヒットチャート上位に顔を出し、そればかりか、1stアルバム『THE GREATEST HITS』がチャート1位を獲得して150万枚を超えるセールスを記録するに至っては、“潮目が変わった”感を抱くのも無理からぬことであった──とご理解いただきたい。

1990年代後半という好条件下

デリコの台頭に対する「こんなアーシーなロックが日本でミリオンとなる日が来るとはねぇ」との感慨の中には、その意外性がエクスキューズ的に含まれているが、当時の状況を冷静に振り返ると、それは意外でも何でもなかったことも分かる。日本のロックフェスティバルの先駆けである『フジロックフェスティバル』。その第1回目の開催が1997年。現在、常となっている苗場スキー場地区に会場を移行したのが1999年である。デリコの結成は1997年。FM局に楽曲を応募したことをきっかけに複数の音楽関係者の目に止まり、事務所やレコード会社から声がかかったのが1999年だという。年が符合しているのは偶然だが(ていうか、こっちで合わせたのだが)、国内外のアーティストが出演するロックフェスが本格的に日本で開催されたのと、洋楽のエッセンスを前面に打ち出した日本のロックバンドの出現したのが同時期というのは、まるで偶然とも言い切れまい。直接的な相互作用はなかったにせよ、それぞれが音楽ファン、ロックファンに洋邦の隔たりのなさやシームレスな様を意識させたと思われる。
また、前述したデリコの歌詞、KUMIの歌唱に対するシーン全体の寛容さや、デリコの特徴を素直に受け入れるリスナーのキャパシティーの広さは、この時期、完全に培われていた。察しのいい方ならお分かりであろう。そう、1998年にデビューした宇多田ヒカルが、その辺の垣根をきれいに取り払っていたのである。
《君に会えない my rainy days/声を聞けば自動的に sun will shine》(宇多田ヒカル「Automatic」)。
《最後のキスは/タバコの flavor がした/ニガくてせつない香り》(宇多田ヒカル「First Love」)。
彼女の1stアルバムは日本国内だけで750万枚以上を売り上げたわけで、日本語+英語で構成され、それがネイティブな英語の発音で歌われることは、すでに多くのリスナーが体験済みであった。もしかすると、そのフォーマットをもっと欲していた頃だったのかもしれない。符合はもっとある。The Beatlesのシングルヒット曲をまとめたベスト盤『1』が発売されたのが2000年である。何度目かのビートルズ・ブームとなり、ある層のリスナーを再びCDショップに向かわせたのもこの時期だ。だからと言って、『フジロック』や宇多田ヒカル、The Beatlesがデリコの露払いだったとか言うつもりはまったくないが(仮にそう言ったしても一笑に付されて終わりだろうが)、デリコ結成の1997年からデビューの2000年までは、彼らが世に出るにあたっては極めて好条件が整っていたとは言える。

決して懐古ではないサウンドメイキング

しかしながら、条件が整っていたからと言っても誰でもそこに乗れるわけではない。むしろ条件が整っていても、そこに乗れずにシーンからフェードアウトしていくアーティストの方が多いのが世の常だ。デリコの音楽を“古き良き”時代を感じさせるものと前述したが、あくまでもそれを感じさせるものであって、決して“古き良き”時代のままの音楽ではない。ここが最も強調したいところである。彼らの音楽が“古き良き”時代のままのものであったとしたら、どんな好条件下であってもそこにぶら下がることすらできなかったと思う。おそらく懐古趣味なバンドとして終わっただろう。
デリコのすごさは、一見、懐古趣味に思えて、しっかりと当時のリアルタイムのサウンドを取り込んでいたことではないかと思う。打ち込みを中心としたリズムトラックは完全にそれである。2000年前後、巷で流行っていた曲のリズムは概ね特有の硬さを有していたものが多い。クラブミュージックの影響だったのだろうか。ギターやオルガン、ストリングスなどの音色は柔らかくとも、案外リズムトラックはガシガシしていた。MISIAの「Everything」やSMAPの「らいおんハート」がそうだったし、福山雅治の「桜坂」もそうだ。印象的なメロディーや音色を生真面目なリズムが支えていたと言えばいいか、それが当時の流行りであり、デリコ・サウンドも基本的に同様だ。M3「Last Smile」が顕著だが、硬質なリズムが繰り返される様子はループミュージックに近く、そこにエレキ、アコギ共にオールドスクールな印象のギターと、前述したKUMIの洋楽的なヴォーカリゼーションが重なることで、優秀なクラブDJが60~70年代の洋楽を上質にリミックスしたかのような聴き応えがあったのだと思う。タイトルからしてもろに『ウッドストック・フェスティバル』を始めとする、60~70年代のカルチャーを礼賛したM8「ノスタルジック'69」にしても、サイケではあるがその音作りはソリッドだ。つまり、魂はいにしえのままにサウンドをアップデイトしているのである。そりゃあ、デリコが世代を超えて多くのリスナーに支持されたのも当然だったと言える。

TEXT:帆苅智之

アルバム『THE GREATEST HITS』2001年発表作品
    • <収録曲>
    • 1.LADY MADONNA 〜憂鬱なるスパイダー〜
    • 2.Your Song
    • 3.Last Smile (extension mix)
    • 4.I mean love me
    • 5.Moonly
    • 6.Are you still dreaming ever-free?
    • 7.I miss you
    • 8.ノスタルジック'69
    • 9.These days
    • 10.LOW (ver.1.1)
    • 11.A DAY FOR YOU
『THE GREATEST HITS』(’01)/LOVE PSYCHEDELICO

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

新着