MALICE MIZER、メジャー唯一のアルバ
ム『merveilles』でも魅せた強烈な個

2000年代までは隆盛を誇ったカテゴリであるものの、正直言って最近では停滞感が漂っていることも否めない“ビジュアル系”。まぁ、今までも揶揄の対象となることは少なくなく、曰く「音楽性が希薄すぎる」、曰く「歌も演奏が下手」、曰く「あんなの全然ロックじゃねぇ」等々、結構なセールス、ライヴ動員があった頃も散々な言われ方を耳にしたことがある。反論しづらい面もある。だが、この日本固有の音楽カテゴリーをこのままフェードアウトさせるのも残念なことではあると思う。とりわけ、男性が美麗な女性と見紛うように変身する様子は、歌舞伎や大衆演劇にも通じる様式美であり、日本が世界に誇れる文化でもあろう。個人的には、あのビジュアルには少女歌劇に対する若干倒錯した憧憬を感じられなくもなく、悪し様に否定してはいけないような気にもなる。音楽を超越した演芸ジャンルとして続いていってほしいと思う。というわけで、今回はそのビジュアル系の代表格、MALICE MIZERを取り上げる。

バンドの見せ方に対する徹底したこだわ

元祖ビジュアル系となると、ルーツを辿れば、ヘヴィメタル系では44MAGNUM、ポジティブパンク系ではDEAD ENDだろうが、もっとも有名なバンドは何と言ってもX JAPANであろう(“ビジュアル系”という呼び名は、X JAPANのアルバム『BLUE BLOOD』のキャッチコピーにあった“PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK”が起源だという説もある)。また、X JAPAN に続いたLUNA SEAやGLAYらのエクスタシーレコード勢、初期の黒夢やL'Arc〜en〜Ciel、さらにはSHAZNA、PENICILLIN、Plastic Tree、DIR EN GREYら90年代後半に出現したバンドたちもそのカテゴリに入ると思う。忘れてはならないのがMALICE MIZERだ。92年結成~01年活動休止と、その活動歴は10年に満たないし、メジャーではわずか1年しか活動しなかったバンドではあるが、その美麗なルックス、妖艶なコスチュームからして、“正統なるビジュアル系”と呼びたいほどである。
彼らのバンドに向かう姿勢はとにかく徹底していた。“浮世離れしている”という表現でいいかどうかわからないが、少なくとも一般人がやっているような素振りがまったくなかったと言ってよい。リーダーのMana(Gu)は表舞台で喋ることはなく、トークイベントなどでは隣に通訳を置いて耳打ちによって自分の発言を伝えるというのは有名な話だ。Gackt(Vo、現:GACKT)がテレビのバラエティー番組に出演して、ストイックかつセレブレティーな私生活を垣間見せることがあるが、あのイメージから想像してもらってもいいかもしれない。90年代後半はパンク、ミクスチャーロックも盛り上がりも見せたが、そのフィールドのバンドたちがストリートにこだわり、着衣もあえてステージ上と観客席の区別がないようにしたのとは真逆である(彼らはクラウド・サーフィング、モッシュ・ダイブでまさしくステージと客席との物理的な垣根も取っ払った)。

圧巻のステージパフォーマンス

こんな話がある。MALICE MIZERがメジャーで活動していた頃、その同時期に活動していたあるバンドのメンバーとの雑談での話だ。どういった流れだったか忘れたが、彼が「俺、ビジュアル系バンドって嫌いなんだよね」と言い出した。“どうして?”と訊くと、「大体さ、化粧して歌うって意味がわからない。何でそんなことするの? ありゃあ○○○だよ、○○○!」。酒が入っていたからだろう。結構な暴言も飛び出した。ところが…である。「でもね、MALICE MIZERはすげぇと思う。化粧は理解できないし、音楽性はよくわからないけど、あのバンドはすごい。○○○でも、あそこまでやられたら何も言えないよ」と、話題はMALICE MIZER賛美へと展開した。脱帽といった様子であった。あえてそのバンドの名前は伏せるが、ビジュアル系とはベクトルが180度異なるタイプで、大型ロックフェスのヘッドライナーを務めることもあったバンドだ。“強者は強者を知る”と思ったものだ。
MALICE MIZERは“見せる”ということに長けていたバンドであったと思う。いや、“魅せる”と言い換えた方がいいかもしれない。とにかくライヴステージが圧巻であったことを思い出す。メンバーはMana(Gu)、Közi(Gu)、Yu~ki(Ba)、Kami(Dr)、そしてGackt(Vo)。バンド編成は全然珍しくはない。ギター2本にリズム隊とヴォーカル。よくあるスタイルである。その何がすごかったか? 楽器を演奏しない楽曲もあったのだ。今はエアーバンドなんてスタイルもあるのだから、「それの何が珍しいの?」と思われる読者も多いかもしれないが、当時そんなことは予想だにしなかった。同期ものを取り入れた楽曲でパラパラ風のダンスを踊る姿にも驚いたが、とある楽曲でManaがキックボードに乗りながらずっとステージを廻るパフォーマンスには正直ぶっ飛んだ。また、ライヴのフィナーレだったと記憶しているが(アンコールだったか?)、黒い羽を背負ったGacktが天井から降り立ち、そして再び天井へ昇っていったのはかなりの衝撃を持って受け止めた。喝采を禁じ得なかった。終演後、ロビーで中学生の娘さんと一緒に来場した知り合いを見かけて声をかけたら、その娘さんが号泣していた。ほとんど嗚咽に近かった。聞けば、ステージパフォーマンスに感動したのだという。彼女にとって強烈な原体験となったに違いない。

クラシック音楽を意欲的に取り込む

これで音楽性が愚にも付かなければ、MALICE MIZERは冒頭で述べた揶揄の対象になり果てたのだろうが、彼らはそのサウンドも秀逸だった。メジャー1stアルバム『merveilles』はそれを今も確認できる一線級の資料である。まず、彼らの最大の特徴はクラシック音楽の要素を取り入れたことである。SE的なM1「〜de merveilles」に続く、M2「Syunikiss〜二度目の哀悼〜」は何しろ2本のバイオリンの合奏で始まる。すでにLUNA SEAがバイオリンをフィーチャーしていたので、当時もそれそのものは珍しくはなかったが、実質のオープニングのイントロが弦楽四重奏的なアンサンブルというのはかなり大胆だ。以後、M7「au revoir」、M11「月下の夜想曲」、M12「Bois de merveilles」辺りはもろにクラシックを意識していることが分かるが、M4「ILLUMINATI」、M8「Je te veux」といった同期ものにもその影響を感じられる。この辺はプログレ~ハードロックの流れを汲んでいるのかもしれない。
ポジティブパンクの匂いもするが、所謂ゴシックロックとは趣を異にしていると思うのは筆者だけだろうか?(ファッション的には完璧にゴシックだとは思う) M6「エーゲ〜過ぎ去りし風と共に〜」、M10「Le ciel」辺りには確かにポジパンのテイストがあるとも言えるが、そこには鬱屈した空気がないと言えばいいか、個人的に音作りはAORに近い印象がある。開放的とは言わないまでも、少なくともおどろおどろしい感じはない。まぁ、その指摘が正しいかどうかはともかくとしても、さまざまな音楽要素を意欲的に取り込もうとした様子はうかがえる。オリジナリティーの追及と言い換えてもいいだろうし、音楽性は濃厚で、その姿勢は極めてロック的だったと思う。また、“バンド編成は全然珍しくはない”と前述したが、両ギタリストはギターシンセを使用しており、多彩な音作りしていた点も見逃せない。失礼ながら各人の演奏スキルが極めて卓越していたという記憶はないが(濃厚な音楽性に糊塗されていたのかもしれない)、サウンドと並んでもう一方のバンドの象徴として鎮座しているGacktのヴォーカルは、やはり流石の貫禄であることも付記しておきたい。
そんなMALICE MIZER。バンド名はフランス語で“悪意と悲劇”という意味だが、メジャーデビュー後、バンドを悲劇が襲う。98年、横浜アリーナ公演を最後にGacktが脱退。さらに、その翌年にはKamiが急逝。メジャー契約も終了し、メンバー3人でのインディーズ活動となった。00年に新ヴォーカリストが加入するも、その翌年、MALICE MIZERは活動停止を発表することとなる。ヴォーカルを除いた4人はほぼ結成当初から一緒のメンバーであり、その一角を失ったことでバンドを維持するのが困難になったのだろう。当時のメンバーの心情は察するに余りある。以後、ManaはMoi dix Moisにおいて、KöziはEve of DestinyやZIZにおいて、それぞれバンド活動を続けているが、Yu~kiを含めた3人による交流は続いており、10年以降、数度この3人によるMALICE MIZERのセッションが披露されている。今年8月7日にも再び行なわれることが先日発表された。往年の姿は永遠に失われたが、その精神は受け継がれていくようで、リアルタイムで体験したファンには何よりの朗報であろう。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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