天才たちによる推力も手伝って大きく
飛翔したPUFFYの名盤『JET CD』

2016年にデビュー20周年を迎えることを記念して企画された対バンイベント『パフィーと対バン「愛の説教小屋」』を不定期開催中のPUFFY。2015年8月の第1回目の対バン相手がT.M. Revolutionだったことも話題となったが、12月2日の第2回目にはでんぱ組.incを迎えて、こちらも大成功させたばかりだ。実力派アーティストがプロデュースし、海外進出も果たしたという点では、Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅらの先駆けとも言える存在である。

有名音楽家が多数集結

13曲中9曲がタイアップ付き。コンポーザーにプロデューサーである奥田民生、そしてデビューシングル「アジアの純真」で民生とタッグを組んだ井上陽水はもちろんのこと、草野正宗(スピッツ)、奥居香( プリンセス プリンセス)、トータス松本(ウルフルズ)、Dr.StrangeLoveらが参加している。『JET CD』はPUFFY初のミリオンヒットを記録したアルバムで、今となってはこれだけの座組があれば、それも当然といった印象すらある。むしろ、若干トゥーマッチな感じすら漂っているが、当代、いや後世にも名を残すこと確実のアーティストが手掛けているだけあって、流石によくできたポップアルバムである。説明するまでもない感じだが、まずメロディーが絶品である。民生楽曲は後述するとして、M3「CAKE IS LOVE」(作曲:井上陽水)、M4「愛のしるし」(作曲:草野正宗)、M5「春の朝」(作曲:奥居香)、M8「ネホリーナハホリーナ」(作曲:トータス松本)…今聴いても天才たちの見事な仕事っぷりを確認できる。「CAKE IS LOVE」のアジアンテイストあふれる優雅な調べ、「春の朝」のやわらかく温かい旋律、それぞれにザッツ井上陽水であり、ザッツ奥居香である。「愛のしるし」のキャッチーさはメロディーメーカー、草野正宗の天賦の才を感じざるを得ないし、ブラックミュージック・フィーリングのあるソウル系ナンバー「ネホリーナハホリーナ」は、どうしようもなくトータス松本だ。
奥田民生のメロディーセンスは、これまた改めて言うまでもないだろう。当時PUFFYが“脱力系”と言われていたことも関係してか、それがそもそも民生の資質と合ったのか合わせたのかわからないが、M11「サーキットの娘」、M13「MOTHER」のAメロ辺りではあえて起伏が抑えられている印象があるものの、サビでの盛り上がりはやはり流石で、特に「MOTHER」で見せるマイナー調だがそれゆえにノスタルジックさを醸し出すメロディーラインは素晴らしい。キャッチーさで言えば、M12「渚にまつわるエトセトラ」のパンチ力あふれるサビに止めを刺すであろう。《カニ 食べ 行こう/割り切って 行こう/止まり木に あのハリソン フォード/私たちは スゴイ ラッキーガール》という間違いなく天才、井上陽水にしか書けないリリックと相俟って、聴く気のない人の耳をもこじ開けてくるかのようなインパクトがある。聞けば、兵庫県のJR西日本山陰本線城崎温泉駅ではズワイガニ漁の解禁に合わせて入線メロディーを冬季限定でこの曲に変更すると言うし、約20年経った今でもテレビの旅番組のBGMとして「渚にまつわるエトセトラ」は重宝されているという。すでに歴史に残るナンバーになっているのだ。

奥田民生の愛溢れるサウンドメイク

『JET CD』、というよりもPUFFYを語る上で欠かせないのはプロデューサー、奥田民生のサウンドメイキング術。M1「ジェット警察」でのザ・フー、「渚にまつわるエトセトラ」のビレッジピープル、あるいは盟友であるDr.StrangeLove作曲のM7「小美人」での東宝映画的プログレアプローチ(?)もさることながら、特筆しなければならないのは、やはりビートルズへの惜しみないオマージュであろう。「サーキットの娘」では「アイ・ソー・ハー・スタンディングゼア」、「MOTHER」では「アンド・アイ・ラヴ・ハー」「夢の人」の匂いが感じられるが、何と言ってもM2「これが私の生きる道」での引用は“ビートルズのてんこ盛り”とでも呼ぶべき凄まじさ。「抱きしめたい」「ツイスト・アンド・シャウト」「シー・ラヴズ・ユー」「イット・ウォント・ビー・ロング」「デイ・トリッパー」「ひとりぼっちのあいつ」「プリーズ・プリーズ・ミー」「ラヴ・ミー・ドゥ」「涙の乗車券」…多分、この他にもあるはずだ。所謂サンプリングではなく、人力なのだ。ものすごく愛情を感じる仕事である。PUFFYの北米進出の際にはほんのわずかに揶揄されたこともあったと記憶しているが、ここまでやり切ればパクリとか何だと言われる余地もないだろう。民生のビートルズ好きはソロ活動以前より有名だったが、その大好きなビートルズサウンドをこれでもかと浴びせかけたのだからPUFFYへの想いも並々ならぬものがあったと推測できる。

亜美、由美両名の確かな資質

さて、ここまで当のPUFFYのふたりについて言及してこなかったが、これだけ濃い面子の創作物をしっかりと受け止めたPUFFY自体を誉めないわけにいかないだろう。冒頭で“これだけの座組があれば、ミリオンも当然といった印象すらある”と書いたが、無論それだけでブレイクが成るほど音楽シーンは甘くない。有名プロデューサー、有名アーティストが手掛けても鳴かず飛ばずなこともある。いや、むしろそっちのほうが多いかもしれない。それぞれソロシンガーを目指していた大貫亜美、吉村由美両名は、もともと我が強くなかったようで、すでに亜美のソロデビューの準備がなされていたにもかかわらず、それに不安を抱えていた亜美が由美とのデュオを提案したという。この奥ゆかしさが吉と出たのだろう。バリバリのソロシンガー指向ならそもそもPUFFYは生まれなかっただろうし、仮に結成されたにしても変に我が強いと当代きってのアーティスト(しかも複数人)の楽曲を歌い分けることも難しかったのではなかろうか。『JET CD』は台湾、香港でも発売されてアジアでも人気を博しただけでなく、その後、2004年にはアニメ『Hi Hi PUFFY AmiYumi』が全米で放送され、北米、ひいては世界中での人気者となった。そして、解散することなく活動を続け、2016年にデビュー20周年を迎える。事ここに至っては、実はもっともすごいのは大貫亜美、吉村由美だったことは間違いないようと思う。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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