『m.c.A・T』は
日本ヒップホップシーンを加速させた
音楽史上での重要作であると思う

『m.c.A・T』('94)/m.c.A・T

『m.c.A・T』('94)/m.c.A・T

自身の活動の他、DA PUMPを始めとして数々のアーティストへの楽曲提供、プロデュースを行なっているm.c.A・Tが、デビュー30周年記念アルバム『Crystal-Rainbow』を6月28日にリリース。というわけで、今週はそのm.c.A・Tのデビュー作をピックアップする。「Bomb a head!」や「Funky Gutsman!」、あるいは「ごきげんだぜっ!」など、そのインパクトの強い楽曲は、リアルアイムで聴いていた頃、“陽気な楽曲で景気がいいなー”くらいにっしか思っていなかったのだが(御免)、今回、音源を聴くとともに彼の経歴を調べてみて、日本のヒップホップシーンにおいて欠かせない人物であることを確信した。もし「Bomb a head!」がなかったら、たぶん今の日本のシーンは今とはかたちを変えていたと思う。

1993年のヒップホップシーン

m.c.A・Tの1stシングル「Bomb A Head!」が発売された1993年、そして、1stアルバム『m.c.A・T』がリリースされた1994年というのは、邦楽史上、日本のヒップホップがポピュラーになっていく上で重要な2年間だった。m.c.A・Tについては、その作品の特長を含めてのちほど述べるとして、まず、その他の動向をザっとさらってみる。1993年には“キングオブステージ”RHYMESTERがアルバム『俺に言わせりゃ』を発表。同年、このアルバムの収録曲「FUNKY GRAMMAR」にMELLOW YELLOWとEAST ENDが客演したことをきっかけとして、ヒップホップコミュニティであるFUNKY GRAMMAR UNITも結成されている。その後、上記グループの他、RIP SLYMEやKICK THE CAN CREWのメンバーらも所属。結成以来、ライヴイベント、FG NIGHTを開催するなど、それぞれの活動も含めて日本のヒップホップシーンを活性化させていった。また、Kダブシャイン、Zeebra、DJ OASISがキングギドラを結成したのも1993年で、ラッパ我リヤも同じ年に結成されている。

1994年はヒップホップが確かに邦楽シーンに切り込んだ年と言っても過言ではなかろう。ふたつの大ヒット曲が生まれている、まず、この年の3月にリリースされた小沢健二とスチャダラパーによる「今夜はブギー・バック」である。スチャダラパーは1990年に『スチャダラ大作戦』でデビューしており、独特のラップのスタイルは一定の評価を獲得していたが、同曲のヒットで一気に知名度を一般層にも広げた。小沢健二 featuring スチャダラパーによる“nice vocal”、スチャダラパー featuring 小沢健二による“smooth rap”というふたつのバージョンを同時発売することで、ヒップホップのスタイルを示したことも大きな功績だったように思う。

そして、1994年8月にはEAST END×YURIの1st「DA.YO.NE」が発売された。ジワジワと売上を伸ばし、翌年には100万枚を突破。日本のヒップホップで初のミリオンヒットとなったのは同曲である。ちなみに今知ったのだが、[「英語以外のラップによるCD売上記録」としてギネスブックに掲載された]というから、「DA.YO.NE」は日本ヒットの革命的ブレイクスルーだったと言ってもいいのかもしれない([]はWikipediaからの引用)。ヒップホップグループとして初めてNHK紅白歌合戦に出場したのもEAST END×YURIだった。もうひとつ、EAST END×YURIに続いてNHK紅白歌合戦に出たヒップホップグループはKICK THE CAN CREW(2002年)であった。その後、nobodyknows+(2004年)、SEAMO(2006年)、FUNKY MONKEY BΛBY'S(2009年)と、紅白でのヒップホップ勢も珍しくなくなったけれど、前述したFUNKY GRAMMAR UNITがその先駆けであったことは面白い。当時の当時の勢いを感じるところでもある。

というわけで、話をm.c.A・Tへと移す。1993年11月発売の「Bomb A Head!」がいきなりヒット。チャート27位というのはデビュー曲としてはかなりのものだし、15万枚以上を売り上げたというのも十分に立派なものである。言うまでもなく、「今夜はブギー・バック」よりも「DA.YO.NE」よりも早い。それらに先鞭を着けた…と断定していいかどうかは微妙だが、メインストリームに分け入ったヒップホップ、ラップミュージックの先駆けであったことは間違いない。ちなみに、それ以前にラップを取り入れてヒットしたポップソングというと、山田邦子「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)」(1981年)、吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」(1984年)が有名だが、山田はお笑い芸人、吉はシンガーソングライター。少なくとも本人たちはヒップホップを標榜していたわけではなかった。そう考えると、自身がヒップホップアーティストであることを自覚し、意識的に制作したラップミュージックをヒットさせたのは、日本ではm.c.A・Tが最初と言えるのかもしれない。(※吉幾三は当時のアメリカのレコードでラップを知って「俺ら東京さ行ぐだ」の着想を得たという話もあるし、2019年には津軽弁でのラップを行なった「TSUGARU」を発表しているが、1984年に自身がヒップホップアーティストであることを意識していなかっただろう)。

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

連載コラム

  • ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲!
  • これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!
  • これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!
  • MUSIC SUPPORTERS
  • Key Person
  • Listener’s Voice 〜Power To The Music〜
  • Editor's Talk Session

ギャラリー

  • 〝美根〟 / 「映画の指輪のつくり方」
  • SUIREN / 『Sui彩の景色』
  • ももすももす / 『きゅうりか、猫か。』
  • Star T Rat RIKI / 「なんでもムキムキ化計画」
  • SUPER★DRAGON / 「Cooking★RAKU」
  • ゆいにしお / 「ゆいにしおのmid-20s的生活」

新着