フリクションの『軋轢』は日本のロッ
クが世界的ムーブメントと同時に鳴っ
た記念碑的名盤

ONE OK ROCKら、今や世界で活躍する日本のバンドも少なくなくなり、日本発信のサウンドが世界標準になりつつある…と言っても決して大袈裟な物言いには聞こえない2016年現在の音楽シーンであるが、60~70年代は日本のアーティストが海外で活躍することはおろか、世界的に流行っている音楽を日本人が鳴らすまでに数年のタイムラグがあることもあった。フリクションはそうした言わば情弱だったシーンの中で、意欲的に世界標準のサウンドを作り上げることを標榜したロックバンドである。

70年代のシーンに衝撃を与えたバンド

「ギターってのは、たった6本の弦を伝わって出てくる人間性なんだ」(ハロルド作石『BECK』)。いきなり漫画の台詞からの引用で恐縮だが、多分この台詞に大きな間違いはないと思う。今やデジタル技術を使えば何でも表現できてしまう時代。自分は音楽を制作する側ではないので詳しいことは分からないけれども、とある音の波形を読み取り、シンセサイザーで再現するようなことも技術的には可能なのかもしれない。だが、それで寸分違わないサウンドを作れるかというと、どうもそうではないらしい。人間の可聴域外の周波数が関係しているという説を聞いたことがあるが、それだけでなく、考えてみれば、細かなタイミングやそれらの強弱を完全再現することが至難の業。演者ならではの呼吸や間がその演奏を決定付けるわけで、だからこそ、波形を合わせるだけでは同じ音にならないと思う。すなわち楽器には人間性が出るということだろう(余談だが、この辺は楽器だけでなく、DJプレイにも言えるらしい。スクラッチやジャグリングといったテクニック、曲のチョイスのみならず、曲のつなぎ方にもその人らしさがあるという)。
ことギタリストに限っても、ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンを筆頭に、ジミー・ペイジ、キース・リチャーズ、カート・コバーン等々、その人ならではの音を出すミュージシャンは枚挙に暇がない。国内でも、Char、高崎晃、山本恭司、布袋寅泰、松本孝弘等々、自身のプレイで歴史を作ってきたギタリストは多いし、そのサウンドが印象的な楽曲や作品も膨大で、タイトルを挙げたらキリがないことは間違いない。そんな中、あえて、こと日本において“もっともシーンに衝撃を与えたギターサウンド”を挙げるとしたら、そこにフリクションは名前を連ねるだろし、その推挙に反論できる人はほとんどいないのではなかろうか。1980年、1stアルバム『軋轢』が発表された時、当時のロックファンの多くはそれまで聴いたことがなかったサウンドの出現に驚き、同時に惜しみない賞賛を送った。それは“日本にも世界標準のバンドが生まれた”ということもあったが、それだけではない。サディスティック・ミカ・バンドやイエロー・マジック・オーケストラ、あるいはデビューはフリクションとほぼ同時期だがプラスチックスなど、フリクション以前にも世界に通用するバンドはいた。しかし、欧米から発信された音楽ムーブメントをリアルタイムで体現するバンドとなると、物理的に困難な部分もあってか、それまでは皆無に等しかったと思われる(シンクロニシティ的な動きならあったかもしれない)。フリクションはそれをやってのけた、おそらく日本で初めてのバンドであろう。

ポスト・ニューウェイブの旗手

フリクションは78年、それまでニューヨークでバンド活動を行なっていたレック(Ba)が中心となって結成された。そのニューヨークでの活動がフリクションに大きく反映されたのは言うまでもない。レック(Ba)が渡米したのは77年。77年と言えばロック好きには説明不要だろうが、『Never Mind The Bullocks』(セックス・ピストルズ)、『The Clash』(ザ・クラッシュ)、『Damned Damned Damned』(ザ・ダムド)が発表された年で、所謂ロンドンパンクが隆盛を迎えた年である。元々ロンドンパンクは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやニューヨーク・ドールズ等、60年代にニューヨークで活動していたバンドからの影響を受けていたこともあって、おそらく彼にもそうした源流への憧憬もあって渡米したのだろう。もっとも当時のニューヨークではポスト・パンクやらニューウェイブはおろか、それに対抗する動きとして“ノーウェイブ”といった動きも出始めており、彼はそのノーウェイブの洗礼をもろに受けた。ノーウェイブとは《広義としては1970年代後半から1980年代前半にかけてニューヨークでおきたパフォーマンス・アート、コンテンポラリー・アート、ミュージック・アートや映画、ビデオなどのメディア・アートから影響を受けたパンクロックのサブカルチャー》(《ニューウェイブが世界の音楽シーンにおいて大きな勢力を持つ中、それを営利目的の商業主義だとして対抗するようにフリージャズ実験音楽、前衛音楽、ノイズミュージックを演奏するバンドが出現し始めた。主にダウンタウンのアート・スペースで行われ、表現者のコンテンポラリー・アートと見受けられている》とも補足されている。《》はWikipediaより引用)。レックは、そのノーウェイブを代表するバンド、コントーションズ、ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスに参加。それを体現する最先端のアーティストとなったのである。

比類なきギターサウンド

帰国後、レックはともにニューヨークで活動していたチコ・ヒゲ(Dr)らとフリクションを結成し、LIZARD、ミラーズ、ミスター・カイト、S-KENといったアーティストたちとシリーズライヴをスタートさせる。これが“東京ロッカーズ”。邦楽ロック史の重要トピックのひとつである。このムーブメントは、79年には新宿ロフトでのライヴが収録されたアルバム『東京ROCKERS』が発表された後、各バンド個別の活動が中心となっていくが、そんな中、80年に発表されたのが『軋轢』である。アルバムの内容は──ここまで長々と書き連ねた通り、当時の世界最先端の音楽表現である。特にあのギターは今となっても比類なきものとして強烈な印象を残す。パンクであれ、オルタナであれ、ギターのワイルドな音を聴いても、ギターが6本の弦で構成されている楽器で、その弦の振動で音を出していることを大きく意識することはほとんどないが、『軋轢』を聴く度、弦を何か固いもので掻き、それを繰り返すことによって音が鳴っていることが理屈抜きに感じられる。もっと言えば、これは大袈裟でも何でもなく、ギターの弦は金属を編んだものであることも実感できる。この曲のこのフレーズが…ではなく、10曲全てにおいて…である。冒頭で述べた通り、これは間違いなく、このバンドにしか鳴らせない音であろう。後にBUCK-TICKやTHE MAD CAPSULE MARKETSを始め、日本でもインダストリアルな音を聴かせるバンドも増えたが、フリクションがそれをやったのは今から30年以上も前の話である。革命的な出来事だったに違いない。
これは当時のギタリスト、ツネマツマサトシ(Gu、現:恒松正敏)の存在感が関係していることは疑う余地もないが、本作のプロデュースを行なった坂本龍一の手腕も大きいし、バンドの中心人物であるレックの審美眼が確かだったこともポイントだろう。件のギターサウンドも、楽曲の根底にしっかりとしたリズム隊があってこそだ。M4「100年」、M5「CRAZY DREAM」で聴けるうねりのあるベースラインにその片鱗が垣間見える。また、M3「I CAN TELL」やM7「COOL FOOL」辺りには、R&Rを意識しつつも、その磁場から意図的に逃れようとする様子が感じられる。これは楽曲全体、ひいてはアルバム全体の前向きさを感じさせるところでもある。
最後に豆知識をひとつ。このアルバムタイトルはLP盤の帯に『軋轢』とあったことから今もそう呼ばれているが、正式タイトルはジャケ上部にある『FRICTION』ということである。そんなトリビアがあるのもまた名盤らしい。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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