『ひこうき雲』は、新たな音楽ジャン
ルを創造した予言的な作品だ!

今では、あまりにも当たり前になってしまったためか、死語になってしまった感のある“ニューミュージック”。『ひこうき雲』が登場するまで、日本のポピュラー音楽のジャンルといえば、フォーク、ロック、ジャズ、歌謡曲、演歌ぐらいしか存在しなかった。しかし、この作品がそれまでのフォークでもロックでもない“ニューミュージック”という新たなジャンルを生み出したのは、紛れもない事実である。1973年に『ひこうき雲』がリリースされてから、日本の70’s音楽シーンは一変することになる。

新しいジャンルを創りあげたユーミンの
才能

 1973~74年頃といえば、日本ではアイドル歌手の人気が上昇する一方で、フォーク系の音楽も大ヒットするようになってきた時代である。洋楽の本場アメリカやイギリスでは、シンガーソングライターやハードロックのブームが落ち着きをみせ、プログレやジャズロック、ウエストコーストロックなど、より幅広いスタイルがヒットチャートを賑わせるようになってきていた。ただ、当時の日本の若者たち(僕も含めて)は、歌謡曲が好きな人は歌謡曲だけ、フォークを好きな人はフォークだけ、ロック好きはロックしか聴かないという場合がほとんどであったと思う。
 はっぴいえんどの『風街ろまん』(’71)は“ロックスピリットさえあればジャンルなんて関係ないよ”というスタンスに立ち、頑固なリスナーの頭を柔軟にする役目を果たしたが、そのアイデアを具体的に、かつ分かりやすいかたちで提示してみせたのが、ユーミンの『ひこうき雲』だと言えよう。しかし、フォークでもロックでも歌謡曲でもない、まったく新しい音楽をどう扱えばいいのか…。僕も含めて、そう簡単に理解することができなかったのも事実である。
 ユーミンのデビューアルバムとなる『ひこうき雲』は、僕の記憶では、一般の音楽ファンにとって、リリース当時はそんなに大きな話題にならなかったような記憶があるが、ミュージシャンやプロデューサーにとっては大いなる影響を与えたようで、徐々にこの作品に影響を受けた音楽が急速に増えていく。
 彼女の3枚目のアルバム『COBALT HOUR』(’75)が発表される少し前、ハイ・ファイ・セットによってカバーされた、ユーミンの「卒業写真」が大ヒット。ここでようやく、ユーミンに脚光が当たりはじめたのではなかったか。そして、同時期にバンバンの「『いちご白書』をもう一度」(’75)が大ヒットするに至って、完全にユーミンは認知されたと記憶している。要するに『ひこうき雲』の革新性をリスナーが振り返るかたちで、遅ればせながら評価するようになったと思うのだ。それだけ、この作品が時代の先端を突き進んでいたということである。

ユーミンという稀有な感性と、キャラメ
ル・ママの凄腕サポート

 このアルバムが発表される少し前から、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる、かぐや姫らも、従来のフォーク路線ではない新しいポップスを追究していたことは間違いないが、ユーミンはそれらのミュージシャンたちの表現方法とはまったく違い、女性の細やかな情感をベースにした歌詞と、都会的に洗練されたサウンドを中心に、自分の音楽を組み立てていく。
 特にサウンド面で、先に挙げたフォーク系のミュージシャンと決定的に違うところは、彼女がピアノで曲を作っていたことが挙げられる。それまで、フォーク系の人たちの多くは、主にギターで曲作りをしていた。どちらが良いということではないが、当時のフォークやロックに限って言えば、ピアノで曲を作るミュージシャンのほうが少なかったし、ピアノのほうが分数コードなど、複雑なコードを作れるので、彼女の作り出す都会的なサウンドが、新鮮に響いたのだろう。
 また、『ひこうき雲』のバックを務めるミュージシャンが、キャラメル・ママの面々であったことも大きい。キャラメル・ママは、はっぴいえんどが解散~発展したかたちで結成され、後にユーミンと結婚する松任谷正隆も参加したグループだ。彼らは、単に譜面を最優先してバックを受け持つわけではなく、スタジオに入り、セッションリーダーと打ち合わせしつつ、作業を進めていくという手法であった。そういう意味で、ここではユーミンも含め、ひとつのバンドとして考えたほうがいいかもしれない。サウンドプロデュースも含め、彼女をサポートしていったわけで、彼らは一心同体でレコーディングに臨んだと言ってもいいだろう。
 ちなみに、73年にリリースされたキャラメル・ママの参加作品は、本作以外では、細野晴臣の『HOSONO HOUSE』、南正人の『南正人ファースト・アルバム』、吉田美奈子の『扉の冬』、南佳考の『摩天楼のヒロイン』などがあり、これらのアルバムはどれもが日本のロック界を代表する名盤であり、どれもが違うテイストに仕上がっている。このあたりに、キャラメル・ママの音楽性の奥深さがあると言えるのだ。

 60年代の終わりから、このアルバムが登場するまで、日本のフォークやロックは、ザ・バンド(Wikipedia)を頂点とした、アメリカの土臭い音作りを目指していたものが多数を占めていた。これは、多くのミュージシャンのバックを務めていたのが、はっぴいえんどのメンバーであったからというのが、その大きな理由である。はっぴいえんどは解散する頃まで、演奏面でザ・バンドに最も影響を受けていたから、参加作品にも、その影響が現れるのは当然のことだ。
 しかし、『ひこうき雲』の登場で、キャラメル・ママの音楽性は変わったと思う。この作品の中にも、カントリー・ロックのテイストを持つ曲が収められてはいるが、多くの曲は都会的なリズムやコード(メジャー7th系など)を用いて演奏されている。これは、プログレをはじめとしたブリティッシュ系ロックやクラシック音楽が好きな、ユーミンの音楽性を前面に押し出したからであろう。このアルバムがリリースされた後のキャラメル・ママ(後に“ティン・パン・アレー”へと改名)もまた、都会的で洒脱なサウンドへと変化しているのを見ると、やはりこのセッションが、彼らの演奏形態に大きな影響を与えたからだと思われるのだ。

アルバムに収められた曲について

 本作は、アルバムタイトルにもなっている「ひこうき雲」からスタート。この曲はユーミンのことを知らなくても、宮崎駿監督のアニメ『風立ちぬ』のテーマ曲になり、テレビでもしょっちゅう流れてたので、知らない人はいないだろう。内容は、若くして亡くなったユーミンの友だちのことを歌ったもので、歌詞・楽曲・アレンジともに日本ポップス史上において最高レベルの出来だ…って、これはみんな知ってることだけどね。演奏面では、初期のキャラメル・ママというか、はっぴいえんど時代を彷彿させる土臭さが感じられ、それがユーミンの編み出すクラシック曲のようなメロディーと、ぴったりフィットしている。サウンド面では、ジェイムス・テイラー(Wikipedia)のバックを受け持っていたザ・セクションの演奏に似ていて、ヴォーカルを際立たせるための工夫を重視しているのがよく分かる。また、毅然としてゆらぎのないのユーミンのヴォーカルは、言葉にできないほどに美しく、これら全ての要素が渾然一体となっているからこそ、聴く者の心を撃つのだろう。
 「曇り空」と「空と海の輝きに向けて」は、これこそニューミュージックの原型と言えるべき作品で、都会的で洒落たアレンジは、これまでの邦楽ポップスにはなかったものだ。この作品の後1~2年経つと、むしろこの曲のような演奏が増えていくのだから、ユーミンの先見性がいかに的を射たものであったのかがよく分かる。「曇り空」の間奏におけるジャズっぽいフルートのソロは秀逸。ソウルっぽいアレンジの「空と海の輝きに向けて」では、曲の後半、高低のユーミンのヴォーカルをふたつかぶせる部分は、なんとも凝ったアレンジで、今聴いても新鮮だ。
 「恋のスーパーパラシューター」は、アルバムの中で最もポップでキャッチーな仕上がり。この路線はこの後も継続して登場する、ユーミンお得意の作風のひとつ。コーラスやピアノがスワンプロックっぽいのは、おそらく時代のせいだろう。
 シングルカットされた「きっと言える」は、ボサノバやフレンチポップスをベースに、軽めのアレンジに仕上げられている。ピチカート・ファイブはこの曲あたりに影響を受けているかもしれない。転調を繰り返すなどかなり実験的なことをやっていて、スタジオでの熱い作業がよく分かる。EP盤(45回転…分かるかな?)で発売された当時、この曲のB面が「ひこうき雲」であった(…これは不思議)。
 「ベルベット・イースター」はユーミンの代表曲のひとつであり、このアルバムの中でも特に印象深い名曲。切なく静かな佇まいで、どこかフレンチポップスの雰囲気を感じさせる。細野晴臣のベースはヴォーカルに寄り添い、まるで歌っているみたいだ。
 「紙ヒコーキ」と「そのまま」の2曲は、駒沢裕城のペダルスティール・ギターをフィーチャーし、演奏面ではカントリーロック風味を感じさせるが、ユーミンのヴォーカル自体が都会的なだけに、土臭さはさほど感じない。どちらの曲もスニーキーピートを思わせる駒沢のペダルスティールが素晴らしい。また、歌の邪魔をしない鈴木茂のスライドギターが渋い! 「そのまま」では、松任谷正隆が珍しくバンジョーを弾いている。
 「雨の街を」はユーミン自身が最も好きな曲のひとつに挙げている。アルバム中最も和のテイストを感じさせるナンバーだろう。叙情的で美しいメロディーを持つ曲である。聴けば聴くほど、その良さが沁みてくる佳曲。後のヒット「春よ、来い」と似た雰囲気がある。
 「返事はいらない」はアルバムのリリース前に出したデビューシングルを録音しなおしたもの。シングルは売れなかったようだが、アルバムバージョンはラテンの要素を盛り込むなど、アレンジを変えて収録されている。
 ラストはデモ用にレコーディングされた1分足らずの「ひこうき雲」で幕を閉じる。最初と最後に「ひこうき雲」を配置するあたりに、レコーディングチームがこの曲をどれだけ大切に考えているのかがよく分かる。

 日本のポピュラー音楽において、60~70年代前半あたりのアルバム作りは、ヒット曲を中心にして埋め合わせの曲を適当に収めているもの、ヒット曲はなくてもアルバム全体を聴かせるものの2パターンがあり、ポップス界では前者が圧倒的に多かった。『ひこうき雲』は全体のコンセプトを聴かせるという意味で、後者であり、サウンド、楽曲、歌詞、そのどれもがそれまでにない成果であった。この作品がいわゆる“ニューミュージック”を生み、70年代の日本のポピュラー音楽シーンを牽引していくことになるのである。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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