『ribbon』に見る、
音楽シーンを変えた女性シンガー、
渡辺美里の巨大な才能

『ribbon』(’88)/渡辺美里

『ribbon』(’88)/渡辺美里

渡辺美里が5月23日、『ribbon -30th Anniversary Edition-』をリリースした。今週はそのオリジナル盤を紹介する。西武ライオンズが40周年ということもあって、球場に所縁のある彼女が8月4日にメットライフドームで国家斉唱することや、その日1日限定で“MISATO TRAIN”(下記参照)が運行されることなども発表され、にわかに渡辺美里の周りが賑やかになってきた。

歴代5位、8年連続アルバム1位

この寄稿のために渡辺美里というアーティストのプロフィール、その詳細を目にして、少し背筋が伸びる思いがした。ガールポップの草分け的存在であることは十分に認識していたし、決して彼女の功績を軽んじていたつもりはないのだが、渡辺美里がその後の邦楽シーンに与えた影響の大きさは自分の想像以上であった。ファンの皆様は“そんなこと、お前に言われないでも分かってるわ、ゴラァ!!”と怒り心頭であろうから、素直に謝っておく。すみませんでした。恥の上塗りを承知で、以下、本稿前半では、その彼女の偉業をまとめてみたので、何卒お怒りをお沈めいただければと思う。

まず、多くの方がよく知る渡辺美里の偉業となると、8年連続アルバム1位獲得と、20年間連続での西武スタジアムライヴが挙げられる。前者は松田聖子、中森明菜らと並んで歴代5位タイであり、実に9作品が1位を獲得しているのだから、彼女が国内屈指のアルバムアーティストであることは間違いない。そうと言うとご存知ない方はアルバムしか売れていないといった印象を受けるかもしれないが、当たり前のようにシングルヒットも多い。シングルで1位を獲得したのは2作品のみとアルバムに比べて少ないので、彼女の記録を語る時はアルバムに話が及ぶことが多いのだろうが、2位となったシングルは何と8作品もあるのだ。これは十分な数字だと思う(余談だが──昔、某政治家が“2位じゃダメなんでしょうか?”って言っていたが、その意味では2位じゃダメなこともあるような気もする)。

西武スタジアムで20年間連続ライヴ

西武スタジアムでのライヴは彼女の代名詞であろう。ある程度の音楽ファンなら渡辺美里のイメージは西武スタジアムに直結するかもしれない。1986年から2005年までの20年間連続21公演で延べ70万人を動員。その規模が申し分ないばかりか、コンサート当日には“MISATO TRAIN”という臨時特別列車が運行していたというから、芸能の枠を超えて話題を提供した。

最初に西武スタジアム(当時は西武ライオンズ球場、現:メットライフドーム)公演を行なった1986年の夏には、この他に大阪スタヂアムと名古屋城深井丸広場でもコンサートを開催しているのだが、これが女性ソロシンガーが行なった国内初のスタジアムライヴ。しかも彼女が20歳になったばかりの頃である。アイドル全盛期の今では10代の女の子がスタジアムクラスでコンサートを行なうことは珍しくなくなったが、それと比較したとしても、20年間も連続で行なったのだから、まさしく偉業と言える。ちなみに1986年の音楽市場での年間売上金額の記録は中森明菜、レベッカに次ぐ堂々の3位。この年は完全に渡辺美里のものだった。

小室、木根、岡村、伊秩らが楽曲提供

そうした数字で表れる記録以外にも渡辺美里がシーンに示したものは少なくない。中でも注目なのは、のちの邦楽シーンに決定的な影響を与えたアーティストたちとコラボレーションしたことであろう。1985年のデビューアルバム『eyes』から小室哲哉、木根尚登、岡村靖幸、大江千里、白井貴子らが作曲で参加している。大江千里は彼の出世作と言えるシングル「十人十色」のヒット後で、白井貴子は当時の事務所の先輩ですでに一定に成功をしていたアーティストであったが、小室、木根両名はTM NETWORKで活動していたとはいえ、未だヒットに恵まれない時期であり、岡村靖幸に至ってはデビュー前である。岡村靖幸のデビューは1986年12月、TM NETWORKがシングル「Get Wild」をリリースしたのは1987年4月のことだから、まだその真価が一般に広まる前に作家として起用されていたことになる。

2ndアルバム『Lovin' you』(1986年)ではその小室哲哉、岡村靖幸が大半の楽曲を手掛け、3rdアルバム『BREATH』(1987年)には、その後、SPEEDの音楽プロデューサーとなる伊秩弘将、彼女の高校時代の先輩だった清水信之、佐橋佳幸も作曲に参加している。こうした背景には所属レコード会社であったEPIC・ソニー(現:エピックレコードジャパン)の戦略、意向があったのだろうが、それはその後の彼らの成功を見ればこの上なく見事にハマったと言える。当時の新進アーティスト、コンポーザーと組むことで、渡辺美里自身のポテンシャルが上手く引き出され、それが広く認知されたのだ。

歌謡曲全盛期のシーンに楔

また、こうしたコラボレーションは彼女を媒介として邦楽の多様性も伝播したのではないかと思う。そう推測するのは、先にお示しした彼女が年間売上で3位になった1986年を挟んで音楽市場が変化しているからだ。1985年まではオフコースや松山千春といったニューミュージック勢、あるいはサザンオールスターズがそこに名を連ねる年もあったが、上位は常に歌謡曲勢。特に1983年から1985年の3年間は連続で松田聖子と中森明菜が1位、2位を分け合っており、今見てもその牙城はかなり強固なものだったと思われる。そこに分け入ったのが所謂第二次バンドブーム。1986年には前述の通りレベッカが、以降1987年には安全地帯、BOØWYが、1989年にはプリンセス・プリンセス、TM NETWORKが、それぞれ10傑に登場してくる。HOUND DOG、BARBEE BOYS、SHOW-YA、米米CLUB、LINDBERGらが台頭し、THE BLUE HEARTS、ユニコーン、JUN SKY WALKER(S)、THE BOOMが盛り上がったのも、渡辺美里のデビューから少ししてのことだ。

渡辺美里はソロシンガーではあったものの、彼女に楽曲を提供したコンポーザーやアレンジャーのカラーを考えるまでもなく、そのサウンドはロックである。ソロシンガーであるゆえに渡辺美里の登場とブレイクがバンドブームと結び付けられることはこれまでほとんどなかったように思うが、事実を考えれば、渡辺美里の成功がのちのバンドブームを呼び、業界のブレイクスルーの一端を担ったという見方はそんなに突飛なものでもないのではないだろうか。これは記録に残っていることではないが、渡辺美里の偉業として捉えてもいいと思う。

リカットの多い洋楽的なヒットアルバム

さて、相変わらず前置きが長くなって申し訳ない。肝心の作品解説に移る。8年連続アルバム1位を獲得したアーティストであるからして、彼女の作品はどれも名盤であろうが、“30th Anniversary Edition”がリリースされたこのタイミングでは4thアルバム『ribbon』を取り上げるのが正攻法だろう。2ndアルバム『Lovin' you』は彼女にとって初のチャート1位作品であり、史上初の10代の邦楽アーティストによる2枚組のCDアルバムということで、こちらを選ぶという手もあったが、全20曲収録時間約90分というのは手に余る…というのは半分冗談だが(半分本気だが)、『ribbon』は件の作曲陣のバランスがいいように思うからである。小室色が強いわけでも、岡村色、伊秩色が強いわけでもなく、この時期に彼女を支えたコンポーザーの楽曲を満遍なく収録。まさにバラエティー豊かな作品であり、“戦後最大のポップアルバム”というキャッチコピーも決して伊達ではなかったと思う。ちなみに7thアルバム『Lucky』も『ribbon』同様、多彩な作家たちが参加したアルバムだが、30周年の節目を考えればこちらを優先するのが筋だ。

本作にはシングル曲が多く収録されている。とは言っても、M2「恋したっていいじゃない」は先行シングルであり、M1「センチメンタル カンガルー」とそのカップリング曲であったM8「ぼくでなくっちゃ」、M11「10 years」はアルバム発表後のシングル発売、所謂シングルカットであるので、その容姿はベスト盤的だが、洋楽によくあったリカットの多いヒットアルバムに近いもので、シングルに耐えうる楽曲を多数収録していたマルチな作品と見た方がよかろう。オープニングのM1「センチメンタル カンガルー」~M2「恋したっていいじゃない」からして当時の彼女のアーティストとしての勢いと、前述したロックテイストが全開で、掴みはバッチリという印象だ。

ファンキーでキレが良くて、ちょっとOlivia Newton-Johnを彷彿させるサウンドのM1から入り、疾走感とポップさを同居させた、のちのガールポップのひな型ともなったようなスタイルのR&RであるM2につながる構成はお見事。アルバムの世界観、ひいては渡辺美里のアーティスト性にグッと引き込まれる。M3「さくらの花の咲くころに」がミディアム~スローで、アップチューンが連続しすぎないというのも、少なくともこの時代は適切であったように思う。抑制の効いた歌の旋律は奥ゆかしさがあり、M4「Believe(Remix Version)」での転調するが抑揚は薄く、そうかと思えば突然高音域に突入することもある、所謂小室メロディーとは真逆な印象だが、この辺りはそれをともに歌いこなす、シンガー、渡辺美里の実力を感じさせるところでもある。M3ではフィル・スペクター風、M4ではニューウェイブ的なギターと、タイプの異なるスタイルが連なるのも楽しいところだ。

岡村臭をも糊塗する美里らしさ

それに続くM5「シャララ」とM6「19才の秘かな欲望(The Lover Soul Version)」は、ともに岡村靖幸の作曲である。ここではどう仕様もない岡村靖幸らしさと、どう仕様もない渡辺美里らしさが、より明確に堪能できる。ひとりひとりが唯一無二のアーティストであるメジャー音楽シーンの中でも特に比類なき才能である岡村靖幸。M5の後半での合唱パートであったり、M6で前面に出たファンク色であったりはいかにも岡村らしいが、パッと聴き、岡村臭が目立つかというとそうでもない。色は見えるが匂いは薄い印象である。もちろんアレンジの妙はあるし(M5は佐橋佳幸、西平彰の両名、M6は佐橋佳幸で、ホーンアレンジは清岡太郎が担当)、岡村はデビュー前であるから、そのスタンスは作家寄りだったからかもしれない。しかしながら、のちに自身の2nd アルバム『DATE』(1988年)でセルフカバーされたM6を聴くと、本来(という言い方もおかしいが)このメロディーは純分に灰汁が強いことも分かる。つまり、渡辺美里の歌唱、ヴォイスパフォーマンスが岡村メロディーを糊塗していると見るのは正解ではないだろうか。

前述のM4「Believe」、M10「悲しいね(Remix Version)」の小室メロディーにしても、それを認識した上で聴くとこれもどう仕様もなく大江千里が作るサビメロであるM11「10 years」にしてもそうで、彼女が歌うとどんなメロディーでもそれは渡辺美里の歌になるのである。ありふれた言い方で恐縮だが、作家陣が多彩なだけに本作は渡辺美里のシンガーとしての存在感を強調しているようでもある。

潜在能力を引き出した多彩なサウンド

サウンドで面白いのは中盤以降。M6「19才の秘かな欲望」からM9「Tokyo Calling」がいい。ギターもブラスも派手めなM6はスキャットがあったり、ゴスペルっぽいコーラスワークがあったりと、遊び心が発揮されている印象。ブラックミュージックの雰囲気を出そうとしている努力が十二分に感じられる。M7「彼女の彼」はギターもドラムスも音がザクザクと粗くカッコ良い。Cメロとアウトロでサイケっぽい味付けがされているので、かなりロックを意識していたことも偲ばれる。M8「ぼくでなくっちゃ」とM9はシンセサイザーの使い方が興味深い。M8は──誤解を恐れずに言えば、のちにEPIC・ソニーの後輩となるアーティスト、遊佐未森や、ある時期の坂本龍一を彷彿させるアーシーなサウンド。映画の劇伴的なサウンドというか、時代性を感じない普遍的音作りで、今となってはむしろ新鮮でもある。一方、中華的な旋律を内包しつつ、キレの良いバンドサウンドで聴かせるM9はYMO的と言ったらいいだろうか。

メロディーと歌唱はいかにも渡辺美里だが、(言い方は変だが)音作りはそれに迎合していないというか、イントロでヒップホップ的なサンプリングを含めて、いろいろと試みていたことがうかがえる。こうしたチャレンジ精神が垣間見えるところも『ribbon』の良さであるし、その姿勢がアーティスト、渡辺美里の潜在能力を引き出し、のちにつなげていったのではないかと想像する。

まるで職業作家のような堂々とした作風

さて、最後に歌詞について。“アフター・佐野元春”なM1「センチメンタル カンガルー」やM2「恋したっていいじゃない」、随分と早く“桜ソング”をやっていたんだなぁというM3「さくらの花の咲くころに」など、歌詞の面でもさすがに興味深いものは多いが、強調しておかなければならないのは、やはりその気高さすら感じさせる前向きさではないかと思う。

《ひとつのサヨナラに/キミは憶病にならないで/いつものキミになれるまで/自由に生きることさ/夢を夢のままでは終わらせないでいて/人は違う傷みに胸しめつけられて/この河の流れを 越えてゆく》(M4「Believe」)。
《空にのびるビルディング 新しいシャツで/肩にぶつかる人の波 歩いて行く/街をかざるウィンドウ あの頃を映す/長い一人の夜 ぼくを変えてゆくよ》(M5「シャララ」)。
《一番の勇気はいつの日も/自分らしく素直に生きること/白い雪 目の中におちてくる/君以外 見えなくなる》(M10「悲しいね」)。

これもまた彼女の歌声とメロディーがそれを力強く後押ししていることは間違いないが、ものすごく堂々とした印象がある。M10にしても《悲しいね さよならは いつだって/悲しいね ひとりきり いつだって》からしてどう聴いてもロストラブソングなのだが、《君に泣き顔みせないように/後ろ向きで手をふるのは 何故》と綴っているのだ。こちらのほうが“何故”と訊きたくなるくらい、歌詞の主人公は凛としている。しかも、それと同時に、《国道沿いの街路樹へと 風がゆれる/かじかむ手のひらに 冬が近づいてる/人のこころのあたたかさに/情けない程 ふれたいのは 何故/踏切の音にわけもなく 涙があふれだす》と、風景や温度、音をそれと特定しない形でしっかりと入れ込んでいる。これは不特定多数のリスナーにとってかなり感情移入しやすいものだろう。この時、彼女はまだ20代前半だったはずだが、その作風は職業作家のような老獪さすら感じさせるもので、改めて渡辺美里の巨大な才能を感じるところである。

TEXT:帆苅智之

アルバム『ribbon』1988年発表作品
    • <収録曲>
    • 1.センチメンタル カンガルー
    • 2.恋したっていいじゃない
    • 3.さくらの花の咲くころに
    • 4.Believe(Remix Version)
    • 5.シャララ
    • 6.19才の秘かな欲望(The Lover Soul Version)
    • 7.彼女の彼
    • 8.ぼくでなくっちゃ
    • 9.Tokyo Calling
    • 10.悲しいね(Remix Version)
    • 11.10 years
『ribbon』(’88)/渡辺美里

OKMusic編集部

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