キングギドラが“言いてぇ事言うのが
ヒップホップであること”を示した傑
作アルバム『最終兵器』

前回の当コラムでDragon Ashの『Viva La Revolution』を紹介したが、資料探しや事実確認のため、“Kj”やら“「Grateful Days」”をググると、検索順位の上位にZeebraとKjとの関係が出てきて少し驚いた。結構前の話だと思っていたが、こういうワイドショー的なスキャンダルはネット民もまだまだ好きらしい。かくいう筆者もそこをチェックしてしまったのだから世話はないわけだが、せっかくだから、この機会にキングギドラの音源にも触れておこうと思う。ワイドショー的側面を追っているだけでは見えてこない、彼らのアーティストとしての本質を考えてみたい。

“日本語で韻を踏む”ことを創出したグ
ループ

ラッパー同士が即興のラップでディスり合う“フリースタイル・ラップバトル”。その面白さが一般層にも大分浸透してきている。少し前なら上記の“ディスり合う”にも“罵り合う”とか“口喧嘩する”といった意訳が必要だっただろうが、現在、少なくともこのコラムをお読みの方には説明不要だろう。それが浸透した何よりの証拠。フリースタイル・バトルのブームは、言うまでもなく、TV番組『フリースタイルダンジョン』の存在が大きい。ヒップホップが所謂J-POPの中に組み込まれるようになってしばらく経つので、流石にラップがリズミカルに喋るように歌う歌唱法であることは周知されていただろうが、そこで韻を踏むことの奥深さがどれほど理解されていたかは疑わしいし、「ラップって早口で駄洒落を言うこと?」って思っている輩も少なからずいたに違いない。ラップを即興で行なうことに至っては、その高度なテクニックが地上波のテレビで取り上げられる機会はほとんどなかった。『フリースタイルダンジョン』のオーガナイザーであり、同番組のメインMCを務めているZeebra。そのZeebraがK DUB SHINEDJ OASISとともに立ち上げたヒップホップ・グループが93年に結成したのがキングギドラ(現:KGDR、以下同)で、彼らは日本語ラップを今の形に押し上げたグループのひとつであり、“日本語で韻を踏む”ことはほぼKGDRが国内に広めたといっていい(厳密に言うと、小節の最後の響きを合わせるというスタイルではなく、音節単位でも韻を踏むことだという)。

ヒップホップの礼儀的なバトルラップ

以前、Zeebraにインタビューさせてもらったことがある。活動20周年記念ベストアルバム『The Anthology』発売時(08年)だったので話は必然的に彼の来歴に及び、「ヒップホップからどんな影響を受けたか?」「いかに日本でヒップホップを広めていく作業を行なってきたのか?」という基本的なことも訊いた。00年代後半は、KREVAが日本人ラッパーとして初めてチャート1位を記録したり、SEAMOがNHK紅白歌合戦に出場したり、RHYMESTERが初の日本武道館公演を開催したりと、国内ヒップホップシーンも随分と活性化してきた頃であり、アイドルやポップスでラップする歌手も珍しくなくなっていた頃でもある。その取材で、そこまで20年間、孤軍奮闘してきたZeebraの姿を確認できたので、最後に「現在のように日本のヒット曲にも普通にヒップホップの要素が入ってきていることは、貴方にとっても喜ばしい状況ではないか?」と訊いた。すると彼の答えは「否」であり、「まだまだヒップホップを分かってない奴も多いし、そういうのを見るとがっかりする」と若干落胆気味でもあった。「多くのレコードを聴いてない=音楽を知らない者が多すぎる」「ヒップホップのマナーを知らない者も多すぎる」というのがその理由で、Zeebraにしてみれば、自身の全てを捧げてきたと言っていいヒップホップが、一部で表層的に扱われていることを簡単には看過できなかったのだろう。日本のヒップホップを牽引してきた人物の言葉だけに納得せざるを得なかった。
『フリースタイルダンジョン』が火付け役となった現在のヒップホップ・ブームは、かつてZeebraが想像した日本のヒップホップ・シーンにかなり近付いているのは間違いない。フリースタイルバトル、即ちMCバトルや、音源を通じて行なわれる中傷合戦=“ビーフ”は80年代、本場・米国のヒップホップ・シーンで定着したもので、言わばラップミュージックの基本とも言えるものだ。今日のような、さながら格闘技のような攻防こそが、本来のラップの華とも言える。KGDRはヒップホップのマナーに従ってこのバトルラップも仕掛けてきた。2ndアルバム『最終兵器』のM3「公開処刑 feat. BOY-KEN」はまさしくそれである。この中でDragon AshのKjは名指しされ、そしてKICK THE CAN CREW、RIP SLYMEは直接的ではないが、おそらく彼らだろうと思われる言葉で揶揄されている。Dragon Ash の5thシングル「Grateful Days」(99年)にZeebraがフィーチャーされていたことで、KjとZeebraとの関係が音楽ファンの間でプロレスの抗争的に語られたが、今となれば、それも極めてヒップホップ的というか、ヒップホップ・サイドからすればほとんど礼儀的なものだったことが分かるだろう。

大胆不敵に自己を貫き通したリリック

KGDRの名盤と言うと、1stアルバム『空からの力』が挙げられることが多い。何しろ、それまで日本のヒップホップになかった要素を、強引ではあるものの豊富な知識力による独自の解釈で注入した作品であるからして、日本ヒップホップ史上の発明である。邦楽史にその名を残す名盤であることは間違いないが、本コラムでは上記“ビーフ”を含むリリックのワンイシューで『最終兵器』を推そうと思う。
《Yo! シャレんなんねぇだろう/現実を描かなきゃストリートじゃねぇ/テレビじゃいいけどCDじゃ不可能?(ムリ)/言いてぇ事言うのがヒップホップだろ/周りのヤツらのケツにキスして/本当どいつもこいつも自主規制/クソみてえなのが出回ってるぜ/そろそろリアルにいかねえと》(M1「最終兵器」)。
《どこ相手にしてもリアルに言う これがギドラが真剣にやる理由》《全て強者が弱者を支配 ほとんどのヤツには八百長試合/その下手な芝居 ファック偽善者/だから俺らはラップしてんだ》《俺は これで絶対天下取る/てゆうか これがなけりゃ何誇る/てゆうか 俺が死んだ後何残る/だから目の前にあるこのマイクを取る》(M6「リアルにやる」)
《俺は只 前を見てただけ 絶対負けねえと 心に決めただけ/ほんのちょっと ペースがズレただけ 時が経って ギャップが増えただけ/そう ただそれだけ 何も変わらねぇ/むしろ変わったのは お前の方だぜ/それもしょうがねぇ But that's all a game/そんなもん 抜きにした友情だぜ》(M11「友情」)。
ビーフそのものの良し悪し、好き嫌いは度外視するにして、ここまで自己主張を貫かれると清々しさすら感じるほどだ。『最終兵器』の発売時期、00年初頭の日本の音楽シーンは所謂“ディーヴァ”たちが人気を博していた頃で、こんなに大胆不敵な──誤解を恐れずに言えば、雄々しい歌詞はメジャーシーンでは珍しかったであろう。Hi-STANDARDも00年には活動を休止しており、もしかすると当時のロックシーンにもこのタイプは少なかったかもしれない。“Zeebra vs Kj”という構図に話題が集まったため、そこが中心となって語られることが多い『最終兵器』だが、本来、注目しなければならないのはその社会性だろう。
《BAD BOY トビ過ぎだぜ さっきから見てて落ち着きがねえ/BAD BOYトビ過ぎだぜ マジ悪魔の罠に乗り過ぎだぜ》(M4「トビスギ(Don't Do It)」)。
《報復による報復による報復 いつになっても得られない幸福/誰がどこで何をより何故 おきたかの方が大切だぜ/文明と正義、偽善、ごちゃ交ぜ アフガン難民に吹く冷たい風/犠牲はいつも市民の方へ来る 今夜もブッシュはベッドで眠る》(M7「911(Original Version)」)。
《国民がさらわれても何もしねぇ そんな国家俺らは断固否定》(M8「真実の爆弾」)。
《常に投資家達のマネーゲーム 消費者相手にお金増える/株とか為替 一般に買わせ 口裏合わせ 得る一定のパーセント/権利持ち 転がす土地 万全の処置 不景気予知/絵画 宝石 武器 貿易 全て法的には行く懲役》《グローバリズムに資本主義 問題あるなんて事はもう議論済み/金は使っても使われるんじゃねぇ More money More problems 福沢諭吉》(M10「マネーの虎」)。
ここでラップされていることが今も十分に通用してしまうというのは何ともおぞましい気もするが、それだけ正鵠を射ていたとも言える。今、一部に「音楽に政治を持ち込むな」といった風潮もあるようだが、KGDRの世間に対する物言いは容赦がない。KGDRの褒め称えられるべき点は、DJ OASISの作るスリリングなトラックのカッコ良さ、K DUB SHINE、Zeebra、それぞれのラップのスキルの確かさはもちろんのこと、アーティストとしての揺るぎない姿勢だと思う。受け手に阿ることなく、自らの主張を放つこと──それもヒップホップであることをKGDRは示してくれた。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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