めんたんぴんの『カントリー・ブレックファスト』

めんたんぴんの『カントリー・ブレックファスト』

めんたんぴんの
『カントリー・ブレックファスト』は
憧れの地であるアメリカで録音された
日本語ロックの名盤

60年代〜70年代のアメリカンロックに影響を受け、日本のグレイトフル・デッドとも形容されたバンド、めんたんぴん。素晴らしい音楽は残り、聴き継がれるという。もちろん全ての音楽がそうだというわけではないだろうが、70年代に素朴で良質でエモーショナルなロックを鳴らしていた彼らのようなバンドが今も歴史的ロックバンドとして愛されていると思うと本当に嬉しくなる。メンバーにとって憧れの地であっただろうアメリカの西海岸、LAのワーナーブラザーススタジオでレコーディングされたのが、3rdアルバム『カントリー・ブレックファスト』である。

骨太ロックなのに
癒されるめんたんぴんの魅力

 めんたんぴんの前身であるめんたんぴんブルースバンドは、高校の同級生だったメンバーによって石川県小松市で結成された。オフィシャルHPによると、メンバー全員が麻雀好きで、佐々木忠平(Vo&Gu)の「めんたんぴんでいこうや!」というひと言でバンド名が決まったらしい。その後、1972年にめんたんぴんとして本格的な活動を始動。メンバーは佐々木忠平、池田洋一郎(Gu)、石崎三郎(Ba)、沖村公平(Dr)の4人で翌年に飛田一男(Gu)が加入。1974年には日本のロックの歴史に残る福島県郡山市で開催された『ワンステップ・フェスティバル』に出演し、注目を集めた。その音楽性とライヴでの実力が評価され、1975年にメジャーデビュー。1stアルバム『MENTAN-PIN』をリリースすることになる。
 数多くの優れたロックバンドが存在していたものの、歌謡曲、フォークが主流の時代の中で、バンドがデビューを飾るというのは簡単なことではなかった。その事実だけでも、彼らがいかにシーンの中で光っていた存在だったかを物語っていると思う。めんたんぴんは『夕焼け祭り』や『ワンステップ・フェスティバル』などの大きなイベントに出演する他、自分たちの機材車でアマチュア時代から、全国各地を精力的に回っていたという。実際、当時のロックシーンにおいては、めんたんぴんはライヴを観ておかなければいけないバンドという空気があったように記憶している。イベントで観た彼らのライヴをもう1度観たいと思い、少女時代にクラスメートと一緒に初めて行く街のライヴハウスに行った時、めんたんぴんはきっともうデビューしていたのだろう。覚えているのは道に迷い、途方に暮れていたら、目の前を長身で長髪の集団が通り過ぎて行き、「あの人たちについて行けば大丈夫だ」と無事、ライヴハウスに着いたことだ。携帯がない時代のちょっと笑ってしまうエピソードだが、この話には落ちがあって、自分たちがついて行ったのは、めんたんぴんのメンバーだったということが彼らがステージに出てきて判明した。これも音楽雑誌がほとんどなかった時代ならではの話だよなぁと思う。
 そして、めんたんぴんのライヴは最高だった。この頃はハードロック、プログレッシブロック、ブルース、フォークロック、クロスオーバーといろんなジャンルのバンドが存在していたけれど、彼らのライヴは熱くて、どこかほっこり肩の力が抜けていて、観ている人たちをリラックスさせ、自然に笑顔にさせてしまうようなポジティブなエネルギーがあった。先述したように日本のグレイトフル・デッドと形容されていたことは後に知ることになるが、イーグルス、ドゥービー・ブラザーズ、オールマン・ブラザーズなどアメリカ西海岸から南部のロックに通じる匂いも漂わせていたように思う。そして、何よりも日本語でオリジナル曲を歌っていたことがより親近感を感じさせてくれた。骨太でいて癒される。めんたんぴんには、そんなイメージがある。

OKMusic編集部

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