SEX MACHINEGUNSが
熱き魂を込めた楽曲で
“ジャパメタ氷河期”を融解した
『SEX MACHINEGUN』
一般層に定着しなかった
日本のヘヴィメタ
1980年に入ってLOUDNESS、そしてSHOW-YAや聖飢魔IIら、大衆に分け入ったメタルの先人たちもいたが、LOUDNESSの全米デビューは衝撃的だったものの、それが多くの一般リスナーの知るところだったかというと否であっただろう。SHOW-YAは今思い返すとガールズバンドがHM/HRをやっているとの括りが若干強かった印象があるし、聖飢魔IIはメンバーが悪魔ということで一般的な知名度が高まった一方、ヘヴィメタル専門誌『BURRN!』のディスクレビューで0点と評されたことからすると、メタルファンからは正当に評価されなかったような節もある。
1980年代後半にはX(現:X JAPAN)というモンスターバンドが現れたことでHM/HRサウンドがそれまで届かなかった層にも聴かれたのは間違いないが、それはヘヴィメタルの隆盛ではなく、ビジュアル系というそれまでなかった新種のジャンルを生み出すことにつながっていく。そして、皮肉なことに、そこからVOW WOW、ANTHEM、EARTHSHAKERといった1980年代のメタルシーンを彩ったバンドが次々と解散。一部には、この時期を“ジャパメタの氷河期”と呼ぶ向きもあるという。
長引くと思われた氷河期を融解
だが、しかし──奇しくも時を同じくしてメジャーデビューしたバンド、SEX MACHINEGUNS(以下、MACHINEGUNS)がヘヴィメタルをお茶の間に広めることになる。そこでもまたコアなメタルファンは否定的なスタンスを取ったと言われているが(『BURRN!』のディスクレビューでは“?(評価不能)”と判定されたとか)、前述したような状況下で、日本武道館公演を実現、アルバムをチャートベスト10入りさせたのは十分に称えられていい功績だと思う。1998年から2001年にかけて件のベテランバンドが次々と再結成している。それらに当時のMACHINEGUNSの快進撃の影響がなかったかと言ったら、まるで無縁だったとも言い難いのではなかろうか。
そのスタイルは高校時代の
ANCHANGが考案
「僕はやっぱりハードロックがやりたかったんですけど、ベースのやつがパンクみたいなのがやりたいとか言い出して(中略)そのとき初めて作ったのが“お金のうた”っていう曲なんですよね、♪お金! お金! お金! お金! 欲しい! 欲しい! 欲しい! 欲しい!”みたいな(笑)。(中略)僕的には曲の良い悪いは別にして“これはノレないわけがない”って思ってたんですよ」。「(中略)ハードロックをやるやつなんて誰もいなかったんですよ。だから“おもしろかった”とは言われるんですけどそれ以上は何もなくて」
「ブルーハーツとかテレビで観ると飛んでいるわけじゃないですか? みんなカラオケ行ったら“リンダ リンダ”で飛ぶんですよ。(中略)筋肉少女帯でいうと“ボヨヨン・ロック”とか、♪ボヨヨン ボヨヨン ボヨヨン、て“なんだ、こりゃ?”と思いましたからね。で“負けた!”と思って」「“リンダ リンダ”と“ボヨヨン・ロック”には勝てないと思いましたよ。“こんなのやられたら終わりだな”って。(中略)当たり前なんだけど意外と奥が深いから“リンダ リンダ”もあれだけ売れたんだろうなって。“リンダ リンダ~♪”で“なぜドブネズミなんだよ?”とか気になるじゃないですか? そういうのとか研究し出してしまうんですよ」「ウケを狙おうとしてる自分に気がついたんです」。(原文ママ)
後のMACHINEGUNSにつながるアイディアは高校3年の頃に生まれたもので、しかもそれは単なる受け狙いではなく、意味がなくてはダメなことを気付いたとANCHANGは述懐している。意味は魂と言い換えてもいいかもしれない。『BURRN!』のディスクレビューが“?(評価不能)”と判定されたのは“歌詞が余りにもフザけ過ぎているという判断”からだったらしいが、一見フザけているように見えて、そうではなかったことはこのANCHANGの言葉からも推し量れる。彼がそう考えたのはおそらく1988年から1989年にかけて=バンドブームの渦中に構想は萌芽していたのだ。その考え方、指向はその後、約10年を経て熟成され、“ジャパメタの氷河期”を溶かす春風、あるいは薫風となる。
ヘヴィメタルを躊躇なく堂々と鳴らす
しかも、好事家たちが聴いたらニヤリとするようなフレーズが随所にある。METALLICA、HELLOWEEN、SLAYER、MEGADETH、Whitesnake、SKID ROW、LOUDNESS、イングヴェイ・マルムスティーンetc. 思いつくままに挙げても、彼らが影響を受けたであろう先人たちを彷彿させるフレーズを聴くことができる。それらをワンポイントに忍び込ませているのではなく、躊躇することなく出している印象だ。歌メロはキャッチーで、英語であっても分かりやすい言葉を上手く音符に乗せている上に、ハイトーンはあっても所謂デスヴォイスはないので、ヴォーカルのあるパートは万人に親しみやすいものではあると思うが、ギターソロは長くてHM/HRマナー(?)に忠実だし、ツーバスで速いリズムも多々ある。正調なヘヴィメタルである。
唯一デビューシングルでもあるM9「Hanabi-La大回転」がパンク寄りというか、V系寄りの感じはあるが、ツーバスが強調されているアウトロ近くにはメタルバンドの矜持を垣間見れる。M9「Hanabi-La大回転」は、当時V系バンド全盛期の中で居場所を確保するために“V系ヘヴィメタルバンド”を自称せざるを得なかった時期の名残であろうが、シングル曲はアルバム2曲目といった暗黙の了解に反してこれを後半に置いたことにもヘヴィメタルバンドとしてのプライドが感じられる。ミディアムテンポの、まさにヘヴィなサウンドから始まって《Sex Machinegun!》のシャウトからハイスパートに展開するM1「Sex Machinegun」~ミディアムで重いギターリフ&リズムだが、こちらはドラマチックな楽曲展開のM2「Japan」~デスメタル調でスリリングなM3「Scorpion Death Rock」と連なっていく。“ジャパメタの氷河期”において、のっけからこんなに堂々とヘヴィメタルを鳴らしたのは天晴れな行為であったと思う。
ロックが持つべき心の叫びを見事に表現
《いらっしゃいませ、何名様ですか?/2名様ですか?お連れさまが後から来る》
《朝から晩まで、あいさつは続く/愛しいあの子は、たぶんもう来ない/たのんでもないのに、コーヒーが来たよ》
《注文の品がまだ来ない まだ まだ まだ来ない/愛しい彼女もまだ来ない まだ まだ まだ来ない》
《ふられちまった ファミレスボンバー ファミレスボンバー/怒りバクハツ/爆弾しかけ/皆殺しだぜー》(M7「ファミレス・ボンバー」)。
来ない彼女を待って朝から晩までファミレスに居座る男の焦燥と悲哀。頼んでもいないコーヒーが注がれるという、無慈悲とも憐みとも受け取れる情景。そして、遂に爆発するルサンチマン。ヘヴィメタルが──いや、ロックが持つべき心の叫びが、時代性を伴ってありありと表現されているではないか。これを評価できないのは、何のコンプレックスを持たずにぬくぬくと育ってきたお坊ちゃんとお嬢ちゃんであろう。何よりも作者のANCHANGが高校生の頃から単なる受け狙いを否定していたのだから、リスナーとしてもその背後にあるメッセージをしっかり受け取った方がいいと思う。アルバム『SEX MACHINEGUN』のオープニングから彼らは下記のように歌っていたのだ。
《おろおろ怯える愚か者/何をためらうのか/全てをさらけ出して/その腕でつかみ取れ》《何も恐れることはない/俺はいつでもここにいる/ダメでもともと やるしかない/おまえの力で掴むんだ》(M1「Sex Machinegun」)。
容赦なく魂だらけの歌詞である。
TEXT:帆苅智之