日本のロックを創生した村八分、唯一
のオリジナル作『ライブ』

結構なロック好きで知られる女優の成海璃子が数年前にバラエティー番組で自室を紹介した際に、彼女の私物CDとしてINUやTHE STALIN、筋肉少女帯、高田渡、はっぴいえんどなど、日本のロッククラシックが取り上げられ、それらに交じって村八分のCDが『ライブ』も出たことがネットでちょっとした話題になったことがある(その他、あぶらだこや猛毒もあったというから彼女は筋金入りであるようだ)。楽曲はおろか、そのバンド名が放送自粛対象だったりするので電波メディアで取り上げられることが極めて少ないバンドであるが、日本語のロックを確立させたレジェンドのひとつである。

バンドの中心人物、柴田和志(Vo、通称:チャー坊)が「俺らを伝説にされるのはごめんやわ」と言ったという逸話があるとのことで、こう言うのも憚られる感じだが、こと日本において村八分ほど“伝説”と呼ぶに相応しいバンドもいない。1969年から4年の活動期間の中で発表したアルバムはライヴ盤1作品。しかも、リリース直後にバンドは解散。チャー坊がインタビュー嫌いだったという説もあり、活動中のメンバーの肉声はほとんど残っておらず、後に山口冨士夫(Gu)が著作『村八分』でその活動を振り返っているものの、チャー坊、山口を始め初期メンバーのほとんどが鬼籍に入られたこともあって、現在、村八分を検証するのはかなり難しい。もっともこのバンドの音楽性が愚にも付かないものであれば、伝説以前に語る価値すらないわけだが、日本ロックシーンを検証するうえでも村八分の存在はこの上なく大きいのだ。
日本のロックが確立された時期には諸説あろうが、おそらくはっぴいえんど辺りをその始祖と捉えることに異論は少なかろう。1966年のザ・ビートルズ来日公演以降、その影響も手伝って国内で流行したグループ・サウンズ。その衰退期であった1970年前後に活動を開始したジャックス、フラワー・トラヴェリン・バンド、サンハウス、頭脳警察、四人囃子、あるいは当時はまだアコースティック編成ではあったものの、RCサクセションもそうであろうし、この村八分も元祖・日本のロックバンドと言える存在だ。グループ・サウンズも欧米のヴォーカル・アンド・インストゥルメンタル・グループの流れを汲むもので、形態としてはロックバンドと変わらないものも多かったが、当時は未だレコード会社の意向が強く反映されており、会社専属の作曲家、作詞家によって作られた楽曲を演奏するバンドも少なくなかった。つまり、自らの演奏に自らの言葉を乗せたオリジナリティーのある音楽…今となっては当たり前とも言えるスタイルは彼ら先達によって進められた(その先に日本語か英語かの「日本語ロック論争」もあったというが、それは別項に譲る)。
はっぴいえんどが日本語を巧みにメロディーに乗せロックはフォークにも歌謡曲にもなり得ることを証明した一方、村八分はザ・ローリング・ストーンズに代表されるエッジの立ったR&Rに、そのサウンドが醸し出す雰囲気を損なうことなく、日本語を乗せたバンドの先駆けであったと思う。チャー坊は、これまた海外ロック史での伝説的なライヴ、オルタモントでのフリーコンサート(演奏中に観客が殺害される事件、俗に言う“オルタモントの悲劇”が起こったザ・ローリング・ストーンズ主催公演)を観に行くほどであったというから、村八分のサウンドはモロにザ・ローリング・ストーンズの影響を受けている。ザ・ローリング・ストーンズのルーツでもあるチャック・ベリーの匂いも濃い。時にソリッドに、時にルーズに響かせる山口冨士夫のギターは、その歪んだ音こそワイルドだが、案外生真面目というか、しっかりと鳴らされている印象で、テクニックだけで言えば、本家、キース・リチャーズ より幾分上手いのではないかと思うほどである。正直言って、アルバム『ライブ』収録曲はリズムがぶれている箇所が多々あるが、青木真一(Ba)は村八分参加以前には音楽活動の経験がなかったというから、メンバーのキャリア差からすればこれは致し方ないといったところだろう。ただ、その演奏は緊張感あふれるテイクばかりで、だからと言って聴きどころがないというわけではない。
さて、歌詞である。村八分を聴いたことがないという人の中にも、このバンドの歌詞は過激であることを知っている人がいるかもしれない。厳密に言うと過激というのではなく、所謂“差別用語”が使われていると言ったほうがよいと思う。具体的にはM1「あッ!!」の《俺はびっこで あきめくら/俺の事を たすけて欲しい/俺の事を 助けてくれ/解かる奴 聞け 俺の事》《俺の事 解かる奴 よく聞きな/耳を澄まして よく聞きな/俺は片輪 片輪者/心の醜い 片輪者》、M4「あくびして」の《めくらさがし めくらさがし あくびのためにめくらさがし》がそれに当たると思う(これらはこの京都大学西部講堂でのテイクの歌詞であって、これ以外ではもっとハードだったという指摘もあるが、本稿ではあくまでも『ライブ』での歌詞を指す)。障害者や身体的欠陥を指摘するものゆえに不謹慎と言えば言えるが、直接そういった人たちに向かったものではなく、自虐の比喩であったり、社会批判とおぼしき内容での喩えではあろうし(だからこそ、なおさら不謹慎との指摘もあるとは思うが…)、村八分の楽曲はNHKの放送自粛対象に指定されているというから、そもそも簡単に耳にできるものではないので、個人的にはもはや目くじらを立てるものではないと思う。異論はあるかもしれないが、先に述べた、エッジの立ったR&Rの雰囲気を損なうことのない日本語を乗せたという方法論のほうが重要ではないかと感じる。
ウィキペディアにも“差別用語と言われるような過激な表現の歌詞など、アンダーグラウンドな雰囲気が漂う”とあるくらいだから、このイメージはもはや如何ともし難いものだろう。M1「あッ!!」冒頭に収録されている「うるせぇ! 文句あるんやったらここ来たら?」の観客を罵倒するMCでも分かる通り、やはり村八分にはロック特有の不良性がある。だが、これは今回『ライブ』を聴いて感じたことでもあるが、チャー坊の作詞センスがそれらに糊塗されて正当な評価を得ていないのはもったいないと思う。M6「水たまり」《風に吹かれて水たまり/風に吹かれて吹きだまり/おちる下に水たまり》や、M10「ぐにゃぐにゃ」の《いるか あのこ あのこ いるか/そこ そこ そこ 探って/おぅ!ビックリぎょうてん!/押して 吹かれて 引いて 押して/あっ ユラ ユラ ユラユラユラユラ》などで見せる日本語の語感を強調したフレーズは詩的だ。《黄色い 黄色い/河の底から生まれでた馬の骨/揉まれて 踏まれて 揉まれて 馬の骨 骨の土》(M8「馬の骨」)のようにリフレインも多用しており、どことなく谷川俊太郎の詩に通じるような印象もある。
もう一度、言うが、このチャー坊の日本語へのこだわりを見せた歌詞と、本家をも凌駕する山口冨士夫のギターサウンドが合わさったことこそが村八分のケミストリーである。これは当時、他に類なきものであり、ひいては日本のロックの進化を導いたものだった。村八分は、はっぴいえんどと並び立つ、もう一方の巨人である。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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