浅井健一がUAらと結成したバンド、
AJICOにしか発揮できない真価を
『深緑』に見る

『深緑』('01)/AJICO

『深緑』('01)/AJICO

今年9月半ば。浅井健一&THE INTERCHANGE KILLSの「TOO BLUE」がリリースされたあとくらいに、編集担当氏から“BLANKEY JET CITY の名盤は随分以前に紹介したので、今度は浅井さんつながりでSHERBETSやAJICOはどうですか?”と推されていたのだが、ここまでいろいろと新作リリースが続いて、大分先送りしてしまって申し訳ない。大変遅くなりました。今週はAJICOの『深緑』を紹介します。

画期的だったバンド結成

まずは、有名アーティスト同士による豪華コラボレーション、それも男女のコラボから語ってみたい。男女コラボというのは演歌や歌謡曲の世界ではことさら珍しいのものではなく、フランク永井/松尾和子「東京ナイトクラブ」(1959年)、橋幸夫/吉永小百合「いつでも夢を」(1962年)辺りから始まって、木の実ナナ/五木ひろし「居酒屋」(1982年)、小林幸子/美樹克彦「もしかしてPART II」(1984年)等々、いくらでも実例を挙げられるし、何ならほぼ歌えるほどでもある。であるからして…と思い、J-POP、J-ROCKに話を絞らせてもらおうと考えたのだが、これもまた殊更に少ないとも言えない。鈴木聖美 WITH RATS&STAR「ロンリー・チャップリン」(1987年)や中山美穂&WANDS「世界中の誰よりきっと」(1993年)辺りを例に上げようとするのは古い人間の悪癖だろうから、もう少し最近のもの(と言っても、ここ15年間くらいだが)に話を絞っても、記憶にも記録にも残る名曲はわりとある。順にザっと上げてみる。EXILE&倖田來未「WON'T BE LONG」(2006年)。絢香×コブクロ「WINDING ROAD」(2007年)。青山テルマ feat.SoulJa「そばにいるね」(2008年)。加藤ミリヤ×清水翔太「Love Forever」(2009年)。T.M.Revolution×水樹奈々「Preserved Roses」(2013年)。ちなみに「Love Forever」はのちに清水翔太×加藤ミリヤ「FOREVER LOVE」(2010年)というアンサーソングを生みだし、「Preserved Roses」は水樹奈々×T.M.Revolution「革命デュアリズム」(2013年)と連動していた。ここ数年で言えば、DAOKO×米津玄師「打上花火」(2017年)、椎名林檎とトータス松本「目抜き通り」(2017年)、椎名林檎と宮本浩次「獣ゆく細道」(2018年)などが鮮烈な印象を与えたし、アルバム収録曲ではあるがRADWIMPS「泣き出しそうだよ feat.あいみょん」(2018年、アルバム『ANTI ANTI GENERATION』収録)も記憶に新しいところだ。

こうして見てみると、一年に一作はヒット作、話題作が生み出されているような印象すらある男女コラボ曲。どうして毎年のように生まれて来るのか。それは、ニュースバリューを与えるためか、カラオケでの使用を増やそうという意図か、はたまた純粋にアーティスト同士の共感、共鳴によって創作されるのか分からないし、それぞれに事情は異なるのだろうが、それが我々、聴き手にとって刺激的な邂逅であることは間違いない。それぞれのヴォーカルのキーの違い、表現方法の違いが合わさることで、各々の楽曲とはまた別の味わい、聴き応えが出てくるのは確実…というか、絶対にそれが出てくるので、面白くないわけがないのである。男女の機微をそれぞれが歌唱する歌詞に乗せるケースも少なくない。その場合は世界観が一方向ではなくなるようではあって、その事の良し悪しはともかくとして、それによって、聴き手を分けないというか、男女いずれのリスナーにもシンパシーを抱かせることができることで、ヒットにつながっているのかもしれない。

事程左様に、音楽シーンにおける定番のようにも思う男女コラボであるが、ダブルネームないしは“feat.”がほとんどであるからして、それを一概に企画もの…と呼んでしまうのはやや乱暴ではあろうけれども、そのコラボでパーマネントな活動を模索したり、フルアルバムを制作したりすることは稀ではあるようだ。そのコラボでライヴをやることはわりとあるようだが、全国ツアーを回った…なんて話は、あったのかも知れないけれど、記憶に残っているものがない。アルバムはパッと思いついたところで言うと、安室奈美恵の『Checkmate!』(2012年)辺りはコラボレーションアルバムではあるものの、あれは彼女がゲスト参加した楽曲をコンパイルした作品。面子が固定されているものではない。前述のアーティストにしても同様で、例に上げたコラボ曲は収録されていても、それ一曲だけとかがほとんどだ。

その意味でも、UA(Vo)と浅井健一(Vo&Gu)とが2000年に結成したバンド、AJICOは邦楽史において稀有な存在ではあろう。1995年にデビューして、シングル「情熱」(1996年)「甘い運命」「悲しみジョニー」(ともに1997年)、アルバム『11』(1996年)『アメトラ』(1998年)が相次いでヒットし、その時点でシンガーソングライターとしての存在感をあまねく認知させていたUA。一方、1990年代において3ピースバンド、BLANKEY JET CITYを強烈なインパクトを放ち、1996年にはSHERBETを結成(※それを前身として1999年にバンドスタイルのSHERBETSとして結成)していた浅井。そんな彼が2000年にBLANKEY JET CITYの解散を発表後、UAとともに始動したAJICOは、その話題性はもちろんのこと、今となってみても、バンドというスタイルをとったことも実は画期的であったと言える。

OKMusic編集部

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