小沢健二が魅せたポップミュージック
の新境地『LIFE』は邦楽オールタイム
ベスト作のひとつ
歌詞の先行発表も話題となったシングル「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」を2月14日にリリース。ゴールデンウイークには東京、大阪で4公演のライヴを行なうことがすでに発表されている。シングル曲は岡崎京子の人気コミックの実写化となる、二階堂ふみ主演映画『リバーズ・エッジ』の主題歌。コンサートの方は本人曰く「36人編成ファンク交響楽です」とのことで、ともにファンならずとも注目の内容になりそうである。
2018年、50歳となる小沢健二。論語の“五十にして天命を知る”じゃないが、そのアーティストとしての使命を完遂せんとするのであろうか。
目の当たりにしたオザケン待望論
筆者は小沢健二にしてもThe Flipper's Guitarにしても、その直撃世代ではなく、個人的には特に思い入れが強いわけではないのだが、そこまで煽られると、オザケンの歌唱がちょっとした“世紀の決定的瞬間”にも思えてくる。そこで彼が歌った「今夜はブギー・バック featuring スチャダラパー」「流動体について」に思わず観入ってしまった。以下、この日、小沢健二を観ていて思ったこと(というよりも、『MUSIC STATION SPECIAL SUPERLIVE』を観ていて思ったこと…だが、その辺は後述)も交えつつ、彼の代表作『LIFE』について書き記そう。
ポップマジックに彩られた傑作
例えば、M1「愛し愛されて生きるのさ」にしても、M2「ラブリー」やM7「ぼくらが旅に出る理由」にしても、やはり耳に残るのはまさしくキャッチーな歌メロであろうが、いずれもブラス、ストリングスはもちろんのこと、それを支えるギター、ベース、鍵盤、リズム隊も含めて、サウンドはゴージャス。ソウルフルなホーンセクション、美麗なストリングス、ファンキーなギターのカッティング、モータウンなベースラインなど、聴きどころは実に多い。マスタリングも絶妙なのだろう。それらが折り重なっても圧迫感はなく、気持ちのいいグルーブを生み出しているのはお見事と言わざるを得ない。
しかも、本作は全9曲中7曲がシングルとなっており(M9「いちょう並木のセレナーデ(reprise)」は、M4「いちょう並木のセレナーデ」のオルゴールVer.なので、実質的には8曲中7曲!)、ほぼシングルベストといった内容で、小沢健二のコンポーザーとしての天才的な資質をこれでもかと見せつけられる格好だ。今でも、よくぞここまで秀曲が量産できたものだと思う。一方、『LIFE』のサウンド面においては、M2「ラブリー」がBETTY WRIGHTの「CLEAN UP WOMAN」っぽいとか、M7「ぼくらが旅に出る理由」にはPaul Simonの「You Can Call Me Al」と「Late in the Evening」とが引用されているといった、言わば“元ネタ探し”が付いて回っているところもある。そういう聴き方がいいとか悪いとか一概には言えないと思うが、如何にもサブカルチャーっぽい行為だとは思うし、その辺は(本人がそれを望んでいるかどうかはともかくとしても)元祖渋谷系ミュージシャンの証みたいなものであろう。本作に付随するトピックとしてあってしかるべきかも…と個人的には思う。
面目躍如たる哲学的な歌詞
《いつだって可笑しいほど誰もが誰か 愛し愛されて生きるのさ/それだけがただ僕らを悩める時にも 未来の世界へ連れてく》《ナーンにも見えない夜空仰向けで見てた/そっと手をのばせば僕らは手をつなげたさ/けどそんな時はすぎて 大人になりずいぶん経つ /ふてくされてばかりの10代をすぎ 分別もついて歳をとり/夢から夢といつも醒めぬまま 僕らは未来の世界へ駆けてく》《10年前の僕らは胸をいためて「いとしのエリー」なんて聴いてた/ふぞろいな心は まだいまでも僕らをやるせなく悩ませるのさ》(M1「愛し愛されて生きるのさ」)。
《遠くまで旅する恋人に あふれる幸せを祈るよ/ぼくらの住むこの世界では太陽がいつものぼり/喜びと悲しみが時に訪ねる》《遠くから届く宇宙の光 街中でつづいてく暮らし/ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり/誰もみな手をふってはしばし別れる》《そして毎日はつづいてく 丘を越え僕たちは歩く/美しい星におとずれた夕暮れ時の瞬間/せつなくてせつなくて胸が痛むほど》(M7「ぼくらが旅に出る理由」)。
誰にも《悩める時》はあるし、《分別もついて歳を》とるし、《悲しみが時に訪ね》、《誰もみな手をふってはしばし別れる》し、《せつなくてせつなくて胸が痛むほど》ではあると歌っている。現実は否が応にも迫ってくるということだろう。そんな日々だからこそ、人は恋愛を必要とし、それを渇望するのだろうし、もっと言えば、それを綴った歌も世の中に必要不可欠なものだと言っているようだ。《夢から夢といつも醒めぬまま》と一見、手放しで恋愛を礼賛しているように見えて、作品全体としてはわずかにその悲哀も忍ばせているバランス感覚はさすがだし、とても好感がもてるところだ。
その大衆性はロックの理想か
昨今は“歌が上手い”が重宝されていて、“歌がいい”はないがしろにされているとは言わないまでも、それが先に来ることは少なくなってきている気がしてならない。ここで言う“歌がいい”とは、特別な旋律を持った曲でも、レンジが広くて音階が何オクターブもある曲でもなく、誰もが口ずさめるような親しみやすい歌のことだ。件の番組においても、綺麗なハイトーンヴォイスを聴かせるシンガーも、絶妙なフェイクを響かせるシンガーも大勢いた。しかし、楽曲そのものが若干難解な印象のものもあり、汎用性に乏しいというか、“ポップ=大衆的”とは言い難いものもあったように思う。それらはプロフェッショナルな仕事としては申し分ないし、そうしたオンリーワンの芸を見せるのはエンターテインメントの本懐であろうから、それ自体は否定しない。だが、大衆音楽がそればかりになってしまうのも違うとは思う。小沢健二がそれを標ぼうしたかどうか分からないが、彼が『LIFE』の楽曲で示したポップ感は極めて大衆的だと思う。それは芸能としては高尚なものではないかもしれないが、ロックとしては理想的なものではないかとも思う。そう考えると、彼が鳴りを潜めている時に小沢健二待望論が立ち上がったのもよく分かるし、音楽活動を再開の報に喝采が上がるのも当然のことなのだろう。
TEXT:帆苅智之