松原みきのデビュー作
『POCKET PARK』は、
今、世界から注目を集める
日本独自のAOR
奇跡的リバイバルヒット
個人的なエピソードがどれほどの裏付けになるか分からないが、松原みきでちょっと思い出したことがあるので、以下に軽く書かせてもらう。それは筆者の学生時代。たぶん1986年か1987年で、「真夜中のドア〜」のリリースからは7、8年経った頃のことだったと思う。バイト先の有線から同曲が流れた。何気なく鼻歌を合わせながら作業していると、バイト先の正社員のおじさん(と言っても今思えば30代だっただろう)が“若いのに、そんな懐かしい歌、よく知ってるなぁ”と感心したように話しかけてきた。自分は松原みきがアシスタントをやっていたラジオ番組『MBSヤングタウン』をよく聴いていたこともあって、「真夜中のドア〜」もよく聴いたし、だからこそ空で歌詞が口ずさめたのだが、“懐かしい歌”と言われたのは意外だったような記憶がある。そのおじさんはかつて歌手を目指していて、夢破れてそこで働いているということを店長からそれとなく聞いていた。彼曰く、松原みきとはかつて一緒にヴォーカルレッスンを受けていたということだった。そこでいろいろとエピソードを話してくれたような気もするが、さすがにその辺は忘れた。
でも、彼が松原みきのことを親し気に“みきちゃん、みきちゃん”と呼んでいたのだけは妙に覚えているし、筆者が「真夜中のドア〜」を知っていたことを我がことのように喜んでいたことも記憶に残っている。彼にとって一緒にレッスンを受けた松原みきは共に夢を追いかけた戦友、あるいは可愛い後輩だったのだろう。もしかすると自分の夢を託すようなことがあったのかもしれない。今になってはそんなふうにも思う。バイト先のおじさんが本当に松原みきの先輩や同僚だったかも定かではないし、与太話であった可能性も十分にある。だけど、その1986年か1987年頃、リリースから7、8年経った時点では、少なくとも彼にとって「真夜中のドア〜」は“懐かしい歌”という認識ではあった。
Wikipediaで彼女のプロフィールを見てみると、ちょうどその頃にはオリジナル音源のリリースがほとんどなかったようで、彼女の名前がそれほど表舞台に出なくなっていたから余計に“懐メロ”的な印象を強くしたのかもしれない。取るに足らない個人的な思い出話で失礼した。こうはっきり言ってしまうのも申し訳ない話ではあるが、「真夜中のドア〜」はヒットした楽曲であることは間違いないけれども、いつの世のヒット曲もそうであったように、多くの人たちの記憶の中からは、そののちに出現した数々のヒット曲によって上書きされていった。そんな楽曲ではあったように思う。