『終わらない歌』収録の
「天使達の歌」
名曲誕生の背景を
坂本サトル本人に訊く

本当に心の底からできたものは
何か理屈じゃないところに伝わる

──でも、それがまた広がりをもって、汎用性がどんどん出ていったみたいな話も当時のインタビューで聞いた記憶があるんですけど、それも面白いところですよね。面白いって言ったら失礼か。
「「天使達の歌」の歌詞はありふれた表現なんですけど、“理屈じゃないところで届いていくのかな?”と思っているんですよね。すごい今も覚えているのが、小学生が路上で歌っている僕を見て、“どうしてもこの人のCDが欲しい!”って親に言ったんだけど、親は“いいよ、いいよ。もう行こう”と。それでも“僕のお小遣いで買うからお願い!”って言って買ってくれたんです。 うちの母親くらいの方が聴いて泣いていたり、身体中がピアスだらけの子とか、いわゆるヤクザとかが並んでCDを買っていく。刑務所から手紙ももらいましたしね。この人たちが何かしら感動してくれて…もう説明できないわけですよ。もうひとつ言うと、2000年くらいかな? 中国でライヴをやったんですね。深圳っていうところに工業団地みたいな場所があって、そこで働いている6000人ぐらいの従業員のためにライヴやったんです。中国っていわゆる方言的な言語がたくさんあるから、そこでは北京語が共通語として使われてたんで、“北京語で1曲くらい歌ったほうがいいですよ”と言われて「Happy Birthday」という曲を北京語で歌ったんですよ。それがやっぱりめちゃくちゃウケて。で、後日アンケートを取ったらしいんですよ。“どの曲が良かったか?”って。当然、俺は「Happy Birthday」だと思った。北京語で歌ったし。そしたら「天使達の歌」だったんです。日本語で歌ったんですよ、もちろん。なのに、「天使達の歌」だって」

──何かが入るんでしょうね。
「そういう経験はね、「天使達の歌」では本当何回もしました」

──若干余談含みになりますが、20数年前にサトルさんにインタビューをさせてもらった中で結構印象が残っているのはそれで、“歌は自分のことを入れれば入れるほど汎用性が高くなる”と。
「その当時よく言っていたのは、自分のことを掘り下げていくと、どんどん自分にしか分からない歌になっていくんですけど、それをさらに本当の最後の最後まで掘っていくと、地下水とかマグマみたいなもので、実は人って一番下の深いところでつながっているんじゃないかと。独りよがりだと思っていたものが、マグマに辿り着いた瞬間に一気に汎用性を持つと。独りよがりで終わっている歌っていうのはそのマグマまで辿り着いていないんだよね」

──あと、「天使達の歌」のメロディーも決して単純とは言わないですけど、例えば筒美京平さんだったらもうちょっと足すような感じがあると思うんです。イントロをもうちょっと派手にするとか、サビをもうちょっと…とか。でも、そうじゃないんですよ。ほんとに一筆書きに近いというか、流れるようなメロディーではありますよね。
「一筆書きで歌詞を書いて、曲もそのまま付けたから、音楽的に分解するとすごい変な構成の曲なんですよ。Aメロがあります。で、“Bっぽい”のがある。サビに行く。サビの後にもう一回Aに行きます。その後は間奏に行っちゃって、次はもう一個の新しいメロディーが来て、またサビに行くっていう。一回しか出てこないメロディーがあったり。それからこの曲のサビって5小節で1セットなんです。5小節を繰り返すという。奇数ってなかなかないんですよ」

──ちょっと変則的ですよね。分かります。
「結構変なところがいっぱい入っているんですけど、それなぜかって言うと、歌詞に合わせて一筆書きでメロディーも作ったから。でも、それが変に聴こえないっていうのは、やっぱり合ってるんですよね、曲が歌詞に」

──それを再構築して、整えちゃったらダメだったんでしょうね。
「ダメだと思う。それこそ筒美さんとか職業作家とかに預けちゃうと“サビをもう一回繰り返そうよ”みたいなことになったかもしれないですけど、その時のサウンドプロデュースをやってくれたカーネーションの棚谷さんがそこは一切崩さなかったんですよね(※註:棚谷祐一氏。2002年までカーネーションに在籍)。コード進行とか構成は一切崩さないで。何かやっちゃうとやっぱり辻褄が合わなくなるんですよ。“ここ、歌詞がちょっと足んないよね?”みたいになる」 

──間に合わせの歌詞を乗っけちゃったら台出しっていうことですよね?
「やっぱり、あの一筆書き感が重要なんだって気づきましたよね。一切繰り返さないじゃないですか、歌詞も含め。だから、変な曲なんですよ」

──旅立ちから終わりまできれいに流れていくという。
「そうなんですよ。だから、あれは本当にシンガーソングライターが書いた曲って感じですよね」

──だからこそ、それまでの16曲はダメ出しされてきたのに、17曲目の「天使達の歌」は満場一致でソロデビュー曲に決まったと。
「そうでしたね。初めて選曲会議でアンコールがかかりましたからね(笑)」

──で、ソロデビューとなるわけですけど、そこで小林さんが登場するんですね?(※註:小林英樹氏。当時はコロムビアレコードの社員だったが、のちに坂本と共に音楽制作会社“株式会社ラップランド”を設立することになる) すぐメジャーではなくて、東北・北海道限定のインディーズで「天使達の歌」を発売っていうのは小林さんと話しながら出てきたっていうことですか?
「あれはね、コロムビアレコードの中の主要な人何人かと…まぁ、そこに小林もいたのか。そこら辺の裏事情は分かんないんですけど、とにかくインディーズからやろうっていう。“だったら、ちょっと東北だけでやらせてくれ”みたいな。そういうのは小林が言ったんじゃないのかな?」

──小林さんはずっと仙台営業所にいらっしゃったんですよね。
「そう。小林ってバンドもやっていて、とっても音楽に詳しいし、ミュージシャンに対しての愛情もすごくあって。で、俺はレコード会社の中でも小林と一番仲良かったから、彼は僕の苦悩を見ていたんです。俺が追い詰められていくのも見てたし、そういう人の心の動きみたいなものに敏感な人だったから、きっと俺がヤバい状況になっていることを分かっていたと思うんですよ。で、その中で「天使達の歌」を俺が書いた時に“これは!?”って思ったと思うんですよね」

──“これはちゃんと売らなきゃいけない”と。プロモーターとして。
「まぁ、死んじゃったから良いように言いますけど、あいつが持っている人脈とかを全部使って、“もう思いっきりやらせてくれ!”って言ったんじゃないかな? コロムビアはそれでOKを出して。実は僕のソロになってからのインディーズの活動に関しては、コロムビアの本当にトップの人くらいしか知らなくて、現場の人は“サトルくん、最近は何やってるの?”ってなっていたんですよ。聞くところによると、コロムビアから小林に活動費っていうのが月いくらか出てて、“この中でサトルをやれ”と。周りの人たちは“サトルくんどうなっているの? 「天使達の歌」をレコーディングしてたよね?  あれはいつ出るの?”みたいな」

──完全独立部隊みたいな感じだったんですね。当時はまだCDバブルも続いていた頃で、全国流通も簡単にできたと思うのですが、インディーズでの東北・北海道限定にしたっていうのも今思うと慧眼というか。
「まぁ、そうですね。今思えば…ね」

OKMusic編集部

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