藍坊主がデビュー作にして
如何なく“自分らしさ”を掲げた、
瑞々しさあふれるアルバム
『ヒロシゲブルー』

カラーの異なるコンポーザー2名

その藤森楽曲から見ていくと、この人の作る歌のメロディーラインには独特の抑揚がある。やはりM10「空」を例に挙げるのが最も分かりやすかろう。この楽曲はいわゆるサビ頭なので、《何もない空からね》と冒頭からいきなり新鮮なメロディーのアップダウンが飛び込んでくる。童謡や唱歌のような旋律と言ってもいいだろうか。アルバムを通して聴いてくると、10曲目でいい意味で聴き手の予想を裏切る──そんな言い方ができるかもしれない。語弊があることを承知で言うと、ロックだけを聴いてきた人からはなかなか出てこないメロディーではないかとすら思う。

M13「僕らしさ君らしさ」もそれに近いタイプ。ともにアルバム後半に置かれているのは他楽曲とはタイプの異なるメロディーであるゆえと考える。置場に難儀したとも思われるが、実際のところはどうだったのだろう。そんな余計な推測をしてしまうほど、特徴的な歌メロだと思う。M10の個性が突出していて、M13がそれに追随していると思うが、振り返ってみると、他の藤森楽曲にも彼ららしさが垣間見える。

M4「春風」、M5「追伸、僕は願う」、M11「おもいでの声」辺りにも当然その傾向を見出せるものの、アルバムのオープニングナンバーであるM1「鞄の中、心の中」も面白い。サビの《何度も何度も》のリフレインがキャッチーで、そこに耳が行きがちではあるけれども、Aメロから藤森らしさが十二分に発揮されている。《何気ない日の帰り道 帰宅ラッシュの電車乗り》。この辺はまだいいとして、《鞄から教科書取り出し》でちょっと“おや?”と思う。そのあとの《見ていると》の高音になる旋律で“!?”となり、《無意識に計算する僕の頭は君に会う確率を》で落ち着きつつも、《出してる》でまた高音となる。短いフレーズの中に音符のアップダウンがしっかりとあって、しかも当該楽曲の歌詞の世界観にマッチしているので(この辺はあとで述べると思う)嫌味がない印象である。ひと言で言うなら、やはりポップという形容が似合うような気がする。

一方のhozzyが描く旋律は滑らかな昇降があるという感じだろうか。流れるようなメロディーラインと言い換えることもできるだろう。いい意味でこちらの予想を裏切らない展開…と言うのは変な言い方だが、少なくとも本作でのhozzy楽曲の主旋律からは安心感のようなものが受け取れる。M3「雫」、M6「青葉台の夜」、M8「殴れ」辺りがそれに当たる。聴く人によってもよらなくても、やはりいわゆる“青春パンク”の匂いがするとは思う。フォーキーなメロディーをアップテンポなバンドサウンドでやるとそれらしくなるのだ。本作でのhozzy楽曲の幾つかはその好例だろうか。Wikipedia“青春パンク”と書かれたことはうなずけるところではある。この辺は時節柄があったのかもしれないし、彼自身はどこまで意識していたかは分からないけれど、メロディーにはフォークソングの影響が少なからずあったようには感じるM6の目の前に居る人に優しく語りかけるような旋律は特にその印象が強い。また、そのM6のBメロも、M2「サンデーモーニング」のBメロもそうで、今回久々に『ヒロシゲブルー』を聴いてみて、hozzyはBメロらしいBメロを作る人だとも感じた。J-ROCK、J-POPらしい展開がある…というと、これもまた若干語弊があるかもしれないけれど、この辺には個人的に好感を持ったところではある。そう思うと、hozzy楽曲は全体を通して抑揚を作っているということができるのかもしれない。藤森楽曲がミクロ的視点、hozzy楽曲がマクロ視点と言えるだろうか。自分で言っておいてよく分からない喩えだとも思うが、それはそれとして、藍坊主にはタイプの異なる(ある見方をすると真逆とも思える)コンポーザーがいて、それがバンドの特徴となっていることを強調しておきたい。

メロディーについてはもう一点。M9「宇宙を燃やせ」は、ここまで説明してきた藤森楽曲ともhozzy楽曲とも印象が少し異なる。The Toy Dollsのようなポップなパンクロックから始まって、浮遊感のあるサイケデリックな方向へ行くようなバンドサウンドも面白く、その辺に呼応したのか、歌メロも単にポップなだけでは終わらない。抑揚の少ないAメロと幻想感のあるサビは他楽曲とは明らかにタイプが違う。hozzyの作曲のようだが、藍坊主の楽曲を紹介しているWEBサイトのいくつかで作曲クレジットが田中悠一(=田中ユウイチ(Gu))、もしくは佐々木健太(=hozzy)&田中悠一となっているのを見つけた。手元にCDの現物がないので単に間違っているだけかもしれないが(事実誤認だったら謝ります。ごめんなさい)、もし田中が作曲に参加しているとしても合点がいく。それくらいに他の楽曲とは印象が違う。また、田中作曲でなかったにしても、マクロ視点のhozzy楽曲の本作での極北(大袈裟)という見方もできる。どちらにしても興味深い楽曲ではあるし、このバンドのポテンシャルを感じるところでもある。

OKMusic編集部

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